さりとて、言葉を尽くしたところで何も変わらない
ラブコメの波動する
十三年という月日は、私にとっては長いのか短いのかよくわかっていない。記憶を巡らせて振り返って見てもよくわからない。腹部は高熱の鉄棒を押しつけられたかのように痛い。必死に傷口を押さえている左手は既に真紅に染まっている。私の作った血の海の香りの中に微かに土の匂いが混じる。
そうか、私、野菜を取りに……。
徐々にそのときを思い出してきた。私は今日の晩御飯の材料にと畑に野菜を収穫に来ていて、そこで刺されたのだ。何かに刺されて倒れている。死んじゃうのかな。
「ダメだよ。諦めちゃあ」
そのとき、声がした。文字通り天から降って湧いたように。どこからともなく、私に呼びかけていた。
その人の顔はよく見えなかった。私の意識は朦朧としていて、視界がぼやけていて男なのか女なのかすらわからない。けれど、その人は私のお腹を優しく撫でてくれた。とっても心地よくて私は目を瞑った。そして温かな感触が私の全身にゆっくりと広がっていった。
世の中はまったくもって面白くない。巫女というのは十五歳から二十五歳までの十年間、神に仕えるらしいが必要なのは顔の良さだけというのが、面白くない。言ってしまえば、ちょっと上の美人のお姉さんがまるっきり村から消えてしまうわけでまったくもって面白くない。
という話をすると、十四歳の幼馴染は馬の糞を見るような目で睨むのでさらに面白くない。
「で、あんたのどうでもいい話を聞かされて無駄な時間を使ってしまったこのあたしにどうやって落とし前つけてくれるの?」
「俺にできることなんて大してないだろ。それじゃあ何だ、今度二人でどこか行くのか?」
この幼馴染はかなりの美人で間違いなく翌年には巫女になっているだろう。それも面白くないとはいえ、その見た目を台無しにしてしまうくらい性格は酷いのだが。
「あんた失礼なこと考えてるでしょ。それにどこか行くかなんて、そんなの仕事があるから無理に決まってるじゃない」
正論だ。この村は神様が代替わりしたばかりだし、神の子も一人しかいないため税がかなり少ない。とはいえ、日々の生活の糧を得るためにはやっぱり親の農作業なんかを手伝わなければいけない。
「ま、そうだな。じゃあ、忘れてくれ」
「なんで簡単に諦めるのよっ!」
何言ってんだよ、こいつ。
「じゃあ何だよ。お前は俺と一緒にどっか行きたいのかよ。仕事をサボってまでか?」
「あ、あぅ。べ、別に行きたいなんて言ってないでしょー! あたしはぁ? ただぁ? 何にも取り柄のないあんたを慮ってっ! 気持ちだけで勘弁してやろうかと思ったの!」
「わかったよ。怒られてやるさ。一緒にどこか遊びに行って、落とし前つけてやるよ」
「ほんとに!」
溜め息混じりに呟くと、勢いよく顔を近づけてくる――
「「ったぁ!」」
頭突きされた……女に頭突きされた。
「何すんだてめぇ!」
「あ、あんたが避けないのがいけないんでしょ! それに何でおでこなのよ!」
「ふざけんな! でこかんけぇねーだろ!」
「あるわよ! も、もしもうちょっと、場所が違えば……てぇ違うわよ!」
面倒だ。ひたすらに面倒だ。はっきり言って俺は悪くない。無駄な話をしてしまったことはまあ認めてもいい。それで何かしてやるというのもいい。しかし、あっちから思い切りぶつかってきて俺が悪いっていうのは納得できない。それになんででこだったことに文句言うんだよ。むしろでこで済んでよかったと感謝されるべきなのだ。俺が咄嗟に俯いていなければ多分、唇同士が当たっていた。
そんなことになっていれば結婚だ。村では口づけはそういう意味だし、言い換えればしてしまえばよっぽど無理やりじゃなければそうしなければいけない。ましてや、こうして頻繁に話してるんだから逃れようがないだろう。
別に嫌だってわけじゃない。多分、向こうだって嫌だというわけでもないだろう。だからといってしたいとは限らない。
巫女にだってなれるであろうこいつの未来をこんな偶然で潰すわけにはいかない。
「じゃあ、何が違うんだよ……?」
「え、ええぇーと。それは……そうっ! あんた何かにお前呼ばわりされる筋合いはないって言ってるでしょ!」
「……わかったよ。俺が悪かった」
「へ? へへーん、そうよあたしが正しいの。わかった?」
「わかったわかった」
「なーんか真剣味が感じられないのよねぇ?」
ぎろりと睨みつけられる。弱みを見せればすぐにこれだ。まったくもって面白くない。正直に言って体のいい子分扱いで徐々に要求が加速している感覚がする。
「さらなる言いがかりはさすがに勘弁だぞ……」
「なによ。あたしが理不尽な要求ばかりしてるみたいじゃない」
「みたいじゃなくて、してる。だと思うんだけどな」
「そんなにあたしって酷いこと言ってる?」
ちょっと俯いて、しゅんとしている。ずるいなと思った。こうしてしおらしくされてしまうと、どんなに傲慢で減らず口を叩かれても、許してしまう。だってそれはこいつは強い女なんかじゃなくて、強い言葉で自らを震え立たせないといけないちょっとだけ臆病な女だって、理解させられるから。
「いや、ちょっと面倒臭いだけだ」
「……そう、あたし、面倒臭い……のね」
「あー、いや、ほらお前は綺麗だからさ、そういうところも魅力の一つだよ?」
「名前」
「は?」
「だから、ちゃんと名前で」
「はぁ……」
俺の言葉なんてこいつには必要ないだろうに。だけど、望まれているなら、あげよう。
「綺麗だよ、椿」
「……ありがと」
しっかり俯いていて表情は伺えない。どうやら、満足してくれたみたいだ。
「ほら、さっさと戻れ。またどやされるぞ」
「うん」
促された椿はこくりと頷くとふらふらと怪しい足取りで戻っていった。
「おい、遥! 中々の色男ぶりじゃねぇか! ガハハ!」
「うっせぇっよ! おっさん! 黙って仕事してろ!」
「図星だなぁ、こえぇこえぇ」
一部始終を眺めていた野次馬のおっさん共を威嚇しつつ俺も畑の方へと向かう。他の人たちは既に仕事を再開していた。俺と椿がバカみたいに長話していたに過ぎない。
「おい、遥。楓はどこに行った?」
からかいの声を入れてきたやつとは違うおっさんが――椿の父親だから俺に対しては厳しい――辺りを見回しながら尋ねてくる。楓は俺と椿の一つ年下の女だ。椿のとこのおっさんと同じように辺りを見渡すと確かに姿は見えない。
「……見てないですけど」
「晩飯の食材を採ってきてもらってんだがァ、ちぃと遅いな。ちょうどいいから、探してこい、遥」
楓は、椿とは違う系統の美人だ。椿が並んで歩くのを好む女なら、楓は一歩引いて歩くのが好きな女だ。戻ってきてるなら、一声かけるだろうし、確かにおかしい。
「わかりました。行ってきます」
「おうおう、流石に椿のおやじには舐めた口ぁ聞けないか!」
中々に怒りを沸かせてくれる笑いだったが、普通に答えるのも楽にはならない。
「源治さんもどうぞお仕事を頑張りなさってくださいませ」
「よせよ、きもちわりぃ」
なんて嫌味みたいな口に聞き方もあっさり流されてしまう。
「亮さん、大変だ!」
亮さん、椿の父親の名前を呼びながら、ただごとじゃない雰囲気で伴司さんが走ってきた。伴司さんは妻に先立たれた独身なので、再婚でも決まったのだろうか。
「落ち着けよ、伴さん。どうした?」
「か、神の子が……」
「尊様か? 尊様がどうかしたんだ?」
神の子っていうのは神様から授かった子供で実質的に村の運営をしている。神の子って呼ぶやつもいれば、名前をつけて呼ぶやつもいる。うちの村の神の子は尊様一人だけだ。
「神の子が……」
亡くなっていた。そう呆然とした表情で話す伴司さんの言葉を俺は正確に理解できなかった。
次回以降の内容は知りません。このまま続くのか、神様の視点に戻るのかはまったくもって不明です。