上陸
重い船室のドアを開くと、強い風が流れ込む。どこか生温かいそれを頬に受けながら、斎藤はドアを全て押し開いた。人気のない船の廊下を進み、風が吹く方へと歩いていく。やがて、外の様子が見れる突き当たりまででると、そこにはこれまで居た地とはまるで違う風景が広がっていた。
どこまでも続く砂の大地。船舶が停泊している港には詰所らしき建物がいくつか見えるが、他には何もない。遠くの小高い丘の向こうに古びた建物が一つ見えるぐらいだ。
砂の影響か、空は晴れているのに、くすんだ色をしている。さらに風の感触から、匂いまで、何もかもが日本とは違っている。
「斎藤少将」
名を呼ばれ、声がした方を見ると、船橋の先で一人の尉官が敬礼していた。どうぞこちらへ、と促されて、斎藤は再び歩き出す。
革製の鞄を持ち直し、着慣れた濃紺の軍服の裾を風に靡かせ、同系色の軍帽の鍔に、何かのまじないのように軽く触れて、斎藤一流は漸く見知らぬ土地に降り立った。
――普羅。
海を一つ越えてたどり着く、日本とは違う大陸を支配する国。大きく、遠い国。
船を下りた斎藤は、港の付近に点在する詰所の一つに案内された。階を一つ上がったところにある、会議室らしき部屋に通される。すると、それまで斎藤を案内していた尉官は両開きの扉の前で一礼し、部屋の扉を閉めて去って行ってしまった。
一人残された斎藤は会議室を見渡した。中央に大きなテーブルがあり、それを囲むようにして幾つもの椅子が並んでいる。窓からは砂地以外なにも見えない。壁は全て漆が塗られているようだが、僅かに砂埃で汚れていた。
斎藤は荷物を床に置き、息をついた。船の旅は、意外と疲れがたまる。久々に気を緩め、ゆるく目を閉じた。
その瞬間だった。
突然扉が開き、一人の軍人が入ってきた。
「あー…、ごめんね、ノック忘れてた。驚いたでしょ」
「若草色の軍服……。佐官か」
斎藤が問うと、今までニコニコしていた男は、急に凛とした表情となり、ピシリと敬礼した。
「はい。日本軍国境警備隊第四部隊所属、一番隊隊長沖田総士少佐。斎藤少将をお迎えにあがりました」
それがすむと、またニコニコとして、満面の笑みを浮かべる。
斎藤よりやや背が大きく、髪は鳶色で、やはり斎藤より少し長い。瞳は穏やかで、軍人とはとても思えない。
「遅くなってごめんね。って…どうしたの?」
「敬語は」
「ん~。嫌いってのもあるけれど、此処じゃ上司にタメ口なんて当たり前だよ?」
「は…?」
「本国と違って、色々ギリギリだから上も下も、ごっちゃなんだよ。此処はね」
沖田は肩をすくめてみせ、胸ポケットからジープの鍵を取り出し、斎藤の荷物を持ち上げた。
「しかし、少将殿が気にくわないというのであれば、直しましょう。さて、遠路はるばるようこそ。お疲れでしょう、荷物運びますね」
すると、斎藤は荷物を取り上げて、鋭い声をあげた。
「やめろ」
「どれをでしょう?少将殿」
「その敬語を、だ。取り繕っているようで気持ち悪い…。それに、俺は疲れてなどいない。荷物運びは不要だ」
キョトンとしていた沖田だが、突然笑い出した。斎藤はその様子に眉をひそめ、睨む。
ひとしきり笑った沖田は、それでも、ひーひー言いながら軍帽を被り直し、じゃあ遠慮なくと言って、ドアを開けた。
「ふふ、君と話すのは楽しいけれど、そろそろ行かないとね。さて、案内するよ、少将殿。僕らの城へ」
沖田の背を見ながら進む廊下は先程までと変わらないもののはず。しかし、今の斎藤には、何処か別の場所へと続いているように思えた。
心地良いぬるま湯のような本土とは違う、弱肉強食にして修羅の世界。そこに何が待ち受け、何が起こるのか。
場違いに高揚する心を戒めつつ、斎藤は沖田を追った。
行く末は、神のみぞ知る――。