表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

羊の三題噺。

【三題噺】誰もNを知らない。

作者: シュレディンガーの羊
掲載日:2011/07/29




「私のことはNって呼んで」


蝋燭の明かりの向こうで白い顔がそう笑った。

口が三日月のように弧を描く。

地下室へと続く階段は暗く湿っていて、いつ足を踏み外すかと気が気ではない。

僕は振り返ってみせた彼女に投げやりに返事する。


「なにそれ、窒素のこと?」


高校になってから覚えた原子記号表を思い出す。

あの頃は毎日が10円ガムだった。

つまりは、小さな当たり外れに一喜一憂する毎日だったということ。

そんな例えをしたら、旧友に大爆笑されたが。


「窒素?そんなのちっとも知らないなぁ」


げらげらと品のない笑い声が、階段に反響して不気味に響く。

蝋燭のぼうっとした光が、彼女が体を揺らす度に揺れ動いた。

それが妙に不快で苛立たしくて、声を尖らせる。


「いいから、早く進んでくれ」

「はいはーい」


彼女はまたくるりと前を向くと、スキップのような軽やかな足どりで歩き出す。

後ろをついていく僕のことをまるで忘れたみたいに。

小さい頃に読んだ絵本。暗い森に迷い込んだ小さな兄妹の話。

そういえば、あの2人はあの後どうなったんだっけかな。

彼女の後をついていきながら、そんなことを考えた。




「ほら、ここよー」


ぼやけた炎に照らされたのは、古びた扉。

彼女は僕に蝋燭を渡すと、じゃらりと鍵束を取り出す。

変な形の鍵ばかりが20本ほど、鈍く光る。


「えい」


やる気の感じられない掛け声で、彼女はひとつの鍵を選びだし、鍵穴に差し込む。

カチリとこれまた呆気ない音。


「どうぞどうぞぉ」


ギィと開けられた部屋は暗い。

蝋燭で照らしてみても、奥は見えなかった。


「明かりは?」

「そんなものないよー」

「ない?」

「ここは闇に屠られた場所。沈黙の柩。そんなものいらない」


げらげらげらげら。彼女がまた笑い出す。

頭の中がぐにゃりと歪んだ気がした。


「うるさい黙ってくれ」


強い言葉で命令したつもりだった。

でも、彼女は笑うのを止めない。

そして、狂ったように体を揺らし始める。

蝋燭に照らされた彼女の影が、暗闇のなかで化け物のように動く。

彼女の声が頭に響き、揺れる影に追い詰められる。


「お願いだ。黙ってくれ」


かすれた声で懇願する。

彼女がピタリと笑うのを止めた。

無表情の白い顔が能面のように照らし出される。


「この奥にいるよ」


ひたと指された部屋の奥は、化け物の口を思わせる。

僕は自ら破滅に向かうのか。


「行く?」

「……行こう」


彼女に問われ、小さく頷く。

今さら、ただで帰るわけには行かないのだ。

思い出した。あの兄妹は魔女の家に着いたのだ。




部屋の一番奥に無造作に置かれた机の上。

硝子ケースに収められたひとつの卵。

その白さは人間の骨を思わせた。


「これが……?」

「あなたの求めたもの?」


僕は尋ね、彼女は首を傾げた。

ひどくどうでもよさそうに。


「こんなものが欲しいの」


ふぅんと彼女が手を伸ばした。

僕はその手を叩き落とす。


「触るな」

「私は卵の番人」

「これが何かも知らないくせに、なんでお前が番人なんだ」


今までの苛立ちをこめた皮肉のつもりだった。

けれど、その瞬間に彼女が俯く。


「違う。私はN、偽物違う。番人N、本物になる。違う。私は本物」

「お、おい」


壊れた機械のように彼女が繰り返す。

本物、偽物、N、違う。

蝋燭が手から滑り落ち、音をたてた。


「私は選ばれた、成功。Nになれた、成功」


顔に爪をたて、彼女は頭を振る。

狂ったようにぶつぶつと言葉を吐き出しつづける。


「ちっ」


小さい舌打ち。もうこいつは使えない。

彼女に背を向け、硝子ケースから卵を取り出す。

その冷たい感触にぞっとした。

蝋燭はもう使い物にならない。

明かりがないままで元来た道を戻れるだろうか。


「私は……」


不意に彼女が背後で沈黙した。

呪詛のような言葉の羅列が止んで、安堵の息をつく。


「大丈夫か?」


振り返って絶句する。僕の顔が目の前にあった。


「私はその卵から生まれ、た」


彼女の声がだんだんと低くなる。

手から卵が音もなく零れ落ちた。


「私はNじゃない。誰かの代用品」


彼女が僕になっていく。顔も背丈も声も。

短い悲鳴が喉から洩れる。後ずさり、後ろの壁に背中がついた。


「だから、ねぇ?わかったよ」


彼女、いや僕が嗤う。

その手に光るのは、鈍い銀色の―――――


「僕はあなたになればいいんだね」


衝撃が痛みに変わる瞬間、僕は見た。

僕が泣いているのを。

そして、僕の意識は途絶えた。




「早くあいつ帰って来ないかなー」

「今回って何の仕事でしたっけ?」


女がぼやいて、男が腕組みする。

研究室の一角で彼等は休憩がわりにコーヒーを飲んでいた。


「今回はヤバい仕事だろ?敵チームからクローンデータを奪取してくるとか」

「あぁ。そのデータ媒体が卵の形してるとか言ってた気がしますね」

「卵か。クローンのデータが卵型とは、あちらさんも趣味が悪いな」


女が嘲笑うように唇の端を吊り上げる。

男はそれに肩を竦めた。


「でも、その技術が恐ろしいらしくて。噂ではもう20体は試作品があるそうで」

「失敗作はどうしてるんだろうな」

「またまた噂では他の人間に成り代わらせるとか」

「それは……怖いな」


眉を潜めて女はコーヒーを飲み干す。


「研究者は自分の娘を作りたかったらしいですよ。なんでも奈々とかいう一人娘だって」


さぞかし可愛かったんでしょうね―――しみじみと男がため息を零す。


「ま、何はともあれあいつが無事に帰って来てくれればいいんですよ」

「そうだな」


男と女は互いに頷いて、仕事に戻る。




「無事に帰って来たか」

「よかった、よかった」


女と男に肩を叩かれる。

それに笑って応じる。

ふと、女が言う。


「あれ?お前なんか変わった?」


僕は苦笑して答えた。


「えぇ、生まれ変わりましたから」


三題噺として書きました。

お題:卵、蝋燭、窒素

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ