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君の声が聞こえる場所 ――深夜ラジオに届いた手紙は、声を失った男からだった 声がなくても、届く言葉がある。沈黙にも、愛がある。  作者: かーすけ
声なき手紙

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4/10

第三話 やわらかい感じ

 十月の終わりに、スタッフが一人増えた。

 制作進行の研修生で、名前を坂本いづみといった。

 二十三歳、大学を出たばかりで、局に入って半年だという。

 小柄で、髪を短く切っていて、何かあるたびにメモ帳を取り出す。

 彩が話しかけると毎回少し緊張するのが表情に出た。


 初めて収録に同席した日、いづみは出番がなくても編集室の隅で三時間じっと座っていた。

 帰り際に「お疲れ様でした」と頭を下げる角度が、九十度を超えていた。

 その翌週、いづみが手紙の仕分けを手伝うようになった。

 彩が一通ずつ開封して読む作業を、いづみは隣で封筒を切りながら手伝う。

 二人とも黙って作業する時間が長い。

 いづみは余計なことを言わない子だと、彩はすぐに気づいた。

 若いスタッフの中には、沈黙を怖がって話し続ける子がいる。

 いづみはそうではなかった。

 黙って手を動かしながら、時々彩の手元をちらりと見る。

 それだけだ。


 その日も二人で仕分けをしていると、いづみが一通の封筒を彩に差し出した。

「これ、万年筆ですね」

 彩は受け取った。

 見なくてもわかる。

 白い洋封筒に、神田諒の筆跡。五通目だった。

「そう」

「いつも来る方ですか」

「うん」

 いづみはそれ以上聞かなかった。

 彩は封を切り、便箋を広げた。


 先週の放送で、三浦さんがリスナーの手紙を読んでいました。

 その中に、亡くなった父親のことを書いた手紙があったと思います。

 三浦さんはその手紙を読み終えたあと、少し間を置いてから次の言葉に移りました。

 その間が、私には丁寧に感じられました。

 言葉で何かを言うのではなく、間で受け取っている——そういう感じがしました。

 誰かの悲しみを、声で扱うのは難しいと思います。

 それでも、あの番組にはそれができる静けさがある気がします。

 神田諒


 彩は便箋を机に置いた。

 先週の手紙のことは、彩も覚えている。

 父親を春に亡くしたという女性からの手紙で、悲しいというより穏やかな文面だった。

 三浦がそれを読み終えたあとの間は、彩もモニター越しに感じていた。

 三浦が意図したのかどうかはわからない。

 ただあの間は、確かにそこにあった。

 あの番組にはそれができる静けさがある。

 静けさ、と彩は心の中で繰り返した。

 自分たちが作っているものを、そういう言葉で受け取っている人がいる。

 彩は数字でものを考えることが多い。

 聴取率、完聴率、SNSでの反応。

 それらは大切だし、それらを無視して仕事はできない。

 でも数字の外側に、こういう受け取り方をしている人間がいる——その事実が、彩には毎回少し意外で、毎回少し、どこかを温めた。

 温めた、という感触を、彩は自分で少し持て余した。

「藤沢さん」

 いづみの声で顔を上げた。

「これ、どちらに入れますか」

 いづみが差し出したのは、絵柄のついたはがきだった。

「放送で読む方か、ファイルの方か」

「読む方に入れて」

 彩は答えた。

「Aブロックで使える」

「わかりました」

 いづみはていねいにはがきをクリアファイルに入れた。

 その手つきを見ながら、彩はふと聞いた。

「番組、聴いてる?」

「はい」いづみは少し顔を上げた。

「入局する前から聴いてました」

「そうなんだ」

「あの」

 いづみはメモ帳を持っていない手で、少しだけ袖を引っ張った。

「最近、なんか変わりましたよね」

 彩は手を止めた。「何が」

「番組が」いづみはまっすぐ彩を見た。

「なんか、聴きやすくなったというか。前から好きだったんですけど、最近はもっと、なんというか——やわらかい感じがして」

 彩は何も言わなかった。

 いづみは言い過ぎたかと思ったのか、すぐに「うまく言えないんですけど」と付け加えて、またメモ帳を取り出した。それ以上は何も言わなかった。

 部屋の奥で、三浦がコーヒーメーカーにカップをセットする音がした。

 三浦はこちらを見ていなかった。

 見ていないふりをしているのかもしれなかったし、本当に聞こえていないのかもしれなかった。

 彩にはわからなかった。

 ただ三浦は何も言わなかった。

 カップをセットして、ボタンを押して、窓の外に目をやった。それだけだった。

 彩は神田諒の五通目の手紙を、ファイルボックスに戻した。


 帰り道、彩は寄り道をした。

 駅の手前にある小さな公園で、ベンチに腰を下ろした。

 特に理由はない。ただ、まっすぐ帰る気になれなかった。

 十月の終わりの夜は、もう確実に冷たかった。

 コートの前を合わせながら、彩は空を見た。

 雲が多くて星は見えない。

 遠くにビルの灯りが並んでいる。

 東京の夜の空は、どこを見ても明るい。

 暗くなりきれない空だと、彩はいつも思う。

 最近、やわらかい感じがして。

 いづみの言葉が、静かに戻ってきた。

 自分では気づいていなかった。 

 気づいていなかったというより、気にしていなかった。

 毎週同じように構成を組み、同じように収録に臨み、同じように照明を落として帰る。

 その繰り返しの中で、何かが変わっていたとしたら——

 手紙、と彩は思った。


 神田諒の手紙を読むようになってから、彩は収録前に少し違うことをするようになっていた。

 構成表の数字を確認するだけでなく、その週の手紙をもう一度読み直す。

 三浦の呼吸の音を消さずにいる。

 曲と曲の間の沈黙を、以前より少しだけ長く置くようにした——意図したわけではなく、気がついたらそうしていた。

 それが外側から見えていたとしたら。

 彩は少しの間、その事実を持て余した。

 変わったことが恥ずかしいわけではない。

 でも変わっていたことを、自分より先に他人が気づいていた——その事実が、少し、落ち着かなかった。


 ベンチから立ち上がり、コートの埃を払った。

 風が来て、公園の木が揺れた。

 葉が数枚、音を立てて落ちた。

 秋の音は輪郭を持ち始める、と神田諒は書いた。

 今夜の風の音には、確かに輪郭があった。

 丸くなく、どこか角張った、冷たい音。

 彩は歩き始めた。

 駅へ向かいながら、今夜初めて、はっきりとそう思った。

 次の手紙が、来るといい。

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