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君の声が聞こえる場所 ――深夜ラジオに届いた手紙は、声を失った男からだった 声がなくても、届く言葉がある。沈黙にも、愛がある。  作者: かーすけ
沈黙の言語

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10/12

第九話 ラジオの仕事を選んだ理由

 十二月が来た。

 街がいっせいに光り始める季節を、彩は毎年少し持て余した。

 イルミネーションが点灯し、BGMが変わり、人の流れが速くなる。

 街全体が何かに向かって急いでいるような、その集団的な前のめりが、彩にはどこか落ち着かなかった。

 自分だけが逆方向を向いているような、薄い疎外感。

 でも今年は、少し違った。

 違う、とはっきり言えるほどではない。

 ただ、駅のイルミネーションを見ても、いつもほど心が離れなかった。

 光の中を歩く人たちを見ても、その流れから自分だけが取り残されている感じが、今年は薄かった。

 理由は考えなかった。

 考えなくてもわかっていたし、わかっていることをわざわざ言葉にする必要を、彩は感じなかった。


 木曜日が、二人の日になった。

 決めたわけではない。

 約束をしたわけでもない。

 ただ気がついたら、木曜日の午後三時に代々木公園のあのベンチに行くと、諒がいた。

 あるいは諒が先に来ていて、彩が後から来た。

 一度だけ彩が先に着いたことがあり、そのときは池を見ながら待った。

 待つのは好きだと諒は言っていた。

 その言葉を思い出しながら、彩は自分も待つのが嫌いではないとわかった。

 二人でいる時間に、決まった形はなかった。

 話すこともあったし、黙っていることもあった。

 諒がノートに書いて渡し、彩が声で答える。

 彩が問いを出して、諒が少し考えてから打ち込む。

 そのやりとりの速度は、普通の会話より遅かった。

 遅いぶん、言葉の一つひとつに重さがあった。

 彩はその重さに、少しずつ慣れていった。

 慣れる、というより——その重さを当然のものとして受け取れるようになっていった。

 十二月の第二週の木曜日、諒が珍しく先に話題を出した。

 ノートに書いて、彩に渡した。


  一つ、聞いてもいいですか。

  ラジオのディレクターになったのは、なぜですか。


 彩は少し考えた。

 この問いに、彩は短く答えられない。

 短く答えられないことを、彩は普段あまり人に聞かれたくない。

 でも諒に聞かれることは、なぜか構わなかった。

「父親が、ラジオが好きだったんです」彩は言った。

 「日曜日の朝、決まって台所でラジオをつけていた。料理をしながら、鼻歌を歌いながら。子どもの頃の私にとって、ラジオの音は日曜日の朝の匂いと同じだった」

 諒は静かに聞いていた。

「大学のとき、放送研究会に入って、初めて自分で番組を作ったんです。誰かの声を乗せて、電波に出す。その瞬間が好きで。届くかどうかわからないのに、出ていく。その無防備さが」

 言いながら、彩は自分がこの話を誰かにしたのが、いつ以来かを考えた。

 就職活動の面接で話したことはある。

 でも今日のように、話しながら自分でも初めて気づくことがある、という感触で話したのは——初めてかもしれない。

 諒がノートに書いた。


  無防備さ、というのが好きです。その言葉。

  届くかどうかわからないのに出ていく。

  手紙も同じだと思います。


「そうですね」彩は言った。

「送ってしまったら、もう手元にない」


  でも送らないと、何も始まらない。


 彩はその一文を読んで、顔を上げた。

 諒は池の方を見ていた。

 横顔が、十二月の光の中にある。

 少し前傾みの姿勢で、でも今日はいつもより背筋が伸びている気がした。

 彩はその横顔を、少しの間見ていた。

 見ていることに、気づかれた。

 諒がこちらを向いた。

 彩は視線を池に戻した。

 少し遅かったかもしれない。

 耳の後ろが、かすかに熱くなった。

 諒がスマートフォンを取り出した。


  見ていましたか。


「見ていません」


  そうですか。


 その二文字に、諒の笑いが滲んでいることが、彩にはわかった。

 画面を見なくてもわかった。

 顔が見えなくてもわかった。

 文字の温度、とでも言うべきものが、この人の言葉にはある。

 彩はわざと池の方を向いたまま言った。

「手紙を送り始めたのも、そういうことですか。送らないと何も始まらないから」

 少し間があった。

 諒は答えなかった。

 スマートフォンも、ノートも、取り出さなかった。

 彩は池を見たまま、その沈黙を受け取った。

 答えない、ということが答えだと、今の彩にはわかった。

 以前なら、答えが返ってこないことを、拒絶か困惑として受け取ったかもしれない。

 でも今は違う。

 この沈黙の中に、肯定がある。

 言葉にするには大きすぎるものを、諒は沈黙の形で差し出している。

 彩はそれを、静かに受け取った。

 受け取りながら、胸の奥に小さな熱があることを感じた。

 温かい、という感触が、じわりと広がった。

 池に鴨が一羽降りてきた。

 水面を叩く音がして、波紋が広がった。

 波紋は広がりながら薄くなって、やがて消えた。

 でも消えた後も、水面は少し前とは違う形をしていた。

 十二月の光が、低く、穏やかに、公園を照らしていた。


 その日の帰り道、彩は寄り道をしなかった。

 まっすぐ局に戻って、来週の構成作業をした。

 いつもの作業だった。

 でも手を動かしながら、彩の中で何かがゆっくりと整理されていくような感触があった。

 整理、というより——散らばっていたものが、静かに場所を見つけていく、そういう感触。

 作業が一段落して、彩はふと窓の外を見た。

 十二月の夜が、街を暗くしている。

 でもイルミネーションの光が、あちこちで滲んでいる。

 完全に暗くなりきれない夜。

 今年はそれが、去年より少し、綺麗に見えた。

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