この声は天に届くのか?
蒸気機関の吐き出す煙が月明かりの照らす空を流れていくのをぼんやりと眺めていると、車窓に冴えない中年男の姿が映った。
私が溜息をつくと、男も死んだ魚のような目で私の真似をする。
……そういえば、ここ数日まともに寝てなかったな。朝、私を見送ってくれた娘が心配そうにしていたのはこれが理由か。
この仕事が終わったら、数日休みを取って娘と美味いものでも食べに行こう。
手帳を開いて、今回の取材相手の情報を改めて確認する。
『天からの声を御子より賜る教団』教祖——倉橋 天司。
金森財閥傘下の貿易会社で働いていたが、一年前に辞職し『天声教』を創設。
家族構成は娘—愛久、養女—小夜、祈里の三人。妻とは離婚している。
秘密主義な男のようでこれまで取材に応じたという話は聞かなかったが、一体どういう心境の変化なのだろうか……?
駅に降りるとあまりの人の多さにくらくらした。都会には何度か来たことがあるが、この人波はどうにも慣れない。
駅を出て案内人を探す。街灯が照らす煌びやかな街並みは、まさに眠りを知らないこの国の中心街といった様子だ。
……電話越しだと案内人の姿は一目見ればすぐにわかると言っていたが、一体どんな奇抜な格好をしているんだ?
「…………あの。」
案内人を探しながら人波に逆らわずに歩いていると、突然袖を引かれた。
「……君、迷子かい?」
振り返ると肩まで届く金色の髪で右目が隠れている少女が、黒い外套の中から真っ白な腕を伸ばして私を引き留め、ギョロリとした左目でじっとこちらを見上げている。……正直不気味だ。
「…………お待ちしていました。針尾、圭一さん。」
「……君が案内人?」
「小夜、です。」
少女が頭を下げる。——なるほど、これは奇抜だな。まさか倉橋の養女がお出迎えとは。
「……ようこそ、天声教へ。」
小夜に付いて町の一角にある大きな建物まで来ると、その前には人だかりができていた。年齢、性別、背格好もバラバラな彼らは、皆一様にひな壇の上の少女に祈りを捧げている。
ふわふわとした白髪の少女はゆっくりと一人の老婆に近づき、何事かを囁いた。すると老婆が泣き出し、手を合わせて平伏する。
「愛久ちゃ――御子様から天の声を頂いたみたいですね。」
——愛久?倉橋の娘が御子なのか?
「彼女、何歳なんだ?」
「5歳です。……私は9歳、です。」
小夜はそう言って指を二本立て、得意気に笑う。
…………5歳って、私の娘と同じ年じゃないか。
「…………ぶぅ、無視。」
そんなことを考えていると小夜が鳴き声?をあげた。
「あー……小夜君、天の声というのはなんなんだ?」
「…………悩める人々を導く声、です。それに従えば、救われるんです。」
「それをあの子が?」
「御子様は、ただ天の声を告げているにすぎません。」
うぅむ……にわかには信じがたいな。
「——というか、教祖様はいないのか?」
壇上では御子がせわしなく動いているが、倉橋天司の姿は無い。
「おじ様……天司様は中でお待ちです。」
「……この人ごみの中を進むのか?」
建物の前は信徒であふれかえっている。これを進むのは難しいだろう。
「こっち、です…………。」
小夜はそう言うと建物横の暗がりに向かって歩き出した。それに付いて建物の裏側に回り込む。
裏口から建物に入った瞬間、前の通りから讃美歌を紡ぐ澄んだ歌声が聞こえてきた。
どこか幼い、しかし美しい歌声に聞き入っていると、小夜が袖を引っ張ってくる。
「行きます、よ?」
「あ、あぁ……。」
廊下を歩いていると、前からやってきた若い女中が話しかけてきた。
「あら?小夜様!こちらにいらっしゃったのですね?!お姿が見えないものですから心配しましたよ~。」
「時子さん。……うん。お客様を迎えに行ってたの。」
「まぁ、お一人でですか?言ってくだされば時子が承りましたのに~!」
女中は値踏みするように私を見ている。とりあえず頭を下げておこう。
「うぅん、天司様の大事なお客様、だから……。」
「あっ、失礼しました。天声教へようこそ。」
小夜が私を紹介すると、今度は女中が畏まった様子でこちらに頭を下げた。
「私はそのまま祈祷に入るから、また明日、ね。」
「畏まりました。お休みなさいませ、小夜様。」
小夜は挨拶を交わすと、女中と別れて階段を上がっていく。
「……祈祷、とは?」
「天の声を聞く方法は、一つじゃないんです。御子様ほどじゃないけど、私も祈祷を捧げれば天の声を聞くことができます。」
「……なるほど。」
そうこうしているうちに三階まで上がって来た。……階段を上がるのがキツイ。膝が悲鳴を上げている。
「……昇降機は、付いてない、のか?」
噂では教団の懐は大層潤っていると聞いていたが、あれは嘘だったのか?
肩で息する私を、小夜が心配そうに見上げている。そんな顔で見ないでくれ、心にくる。
「もうすぐ、です。が、頑張って……!」
そう言って階段に足を掛ける小夜。まだ上がるのか……?
「………………運動不足だな。」
運動しよう。……本当に。
四階には扉が一つしか無かった。階段はまだ上へ続いている。……頼むから、まだ上に行くなんて言わないでくれよ?
「……この上は、私たちの部屋、です。勝手に行っちゃだめ、ですよ?」
私が上階を睨みつけていると、小夜が手で×を作った。
「……そいつは良かった。ようやくこっちも仕事ができる。」
「…………ぶぅ。」
つまる所、あの扉の向こうに倉橋天司がいるというわけだ。
「……………………あっ。」
上がった息を整えていると小夜が声を上げた。振り返ると二人の少女が階段を上がって来る。
「……愛久ちゃん。祈里ちゃん。」
「小夜、おつかれ~。」
頭を下げる小夜に、愛久はヒラヒラと手を振る。呆然としていると、その後ろにいる長い金色の髪の少女と目が合った。彼女がもう一人の養女―祈里か。
祈里は恐ろしいほどに整った顔に疑問符を浮かべて、大きな瞳でじっとこちらを見上げている。
しばし見つめあっていると、祈里は愛久の後ろに隠れてしまった。……そういえば、今の私は死んだ魚の目をしているんだった。すまないね、怖がらせて。
「あー……私は怪しいものじゃないよ。君たちのお父さんを取材しに来たんだ。」
「……ふ~ん?」
私が説明すると、今度は愛久と目が合う。彼女は何かを考えているのか、じっとこちらを見上げたまま動かなくなった。
「…………いんがだね~。」
しばらくすると、愛久がそんなことを呟く。いんが?…………因果の事か?
「どういうことだ?」
「おまえはもうすぐ死ぬ~。」
———は?
「残り短いしょうがいを、ゆ~いぎに過ごせ~。」
愛久はそれだけ言うと私に興味を失ったのか、踵を返して階段を上がっていく。後ろにいた祈里も戸惑った顔でチラチラとこちらを見ながら愛久に付いて行った。
「…………なんだよ、それ。」
何か気に障ることをしたか?私。
「…………針尾さんは、祈里ちゃんみたいな子が好き、なの?」
二人を呆然と見送っていると、小夜がジト目でこっちを見てくる。
「いや、好きとかじゃなくて、あの子も君や愛久君のように何か役目を与えられているのか気になってね。」
「祈里ちゃんは、天に捧げる歌を歌っています。」
ここに入った時に聞こえた歌の事か。あれは今までに会ったどんなスタァ歌手にも引けを取らない美しいものだった。
「素晴らしい歌声だったと彼女に伝えておいてくれ。」
「………………すけべ。」
「なぜ?!」
小夜に促され扉の中に入ると、そこは講堂だった。広さを考えると、四階すべてを使っているようだ。たくさんの客席に、上にはシャンデリア。力を誇示するような豪華な装飾に呆れてくる。
口を開けて呆けていると背後で扉が閉じられた。小夜は入ってこないようだ。
「素晴らしい装飾だろう?西洋の技術をふんだんに取り入れたんだ。」
歌うように軽やかな男の声が聞こえそちらを見ると、舞台へと続く通路の中心に一人の中年が立っていた。
「待っていたよ。針尾圭一君。」
かっちりとスーツを着こなす男は、両手を広げて私を歓迎する。
「自己紹介はいらないようですね。倉橋天司さん。」
「あぁそんな堅苦しい挨拶はいらないよ。気軽に公尋と呼んでくれたまえ。天司は洗礼名なんだ。」
倉橋はこちらに近づいて肩を叩いてきた。妙に馴れ馴れしいな、この男。
「……いえ、これも仕事なので。しかし倉橋さん、この度はなぜウチの取材を?今まで新聞社からの取材など一度もお受けにならなかったでしょう?」
「……色々あってね。君のことは小夜から聞いたよ。愛久と同じ年の娘がいるのだろう?しかも男手一つで育ててきた。僕もそうだから、なんだか親近感が沸いてねぇ。」
……こいつ。どこまで私のことを調べた?
「……いやいや!そんな顔をしないでくれ。別に君たちに危害を加えるつもりは無いよ本当だ!ただ君と話がしたかったんだ。……娘を持つ父親としてね。」
「……わかりました。では、取材を始めさせていただきます——。」
客席に座って取材を始める。こちらの情報を握られている以上、細心の注意を払わなければならない。
「——次は、天声教を作った理由についてお話を伺いたいのですが。」
「…………なぁ、圭一君。娘はかわいいかい?」
しばらく取材を進めていると、倉橋が突然こちらに話題を振ってきた。
「……………………えぇ、まぁ。」
来た!一体、私に何をさせるつもりだ?
「……そんな顔をしないでくれ。本当に何かするつもりも、何かをさせるつもりも無いよ。これは本当に裏の無い、純粋な質問さ。」
…………なんだ?
「……かわいいですよ。目に入れても痛くない、自慢の娘です。」
「……そうだろうな、娘はかわいい。そうとも…………。」
なぜこの男は、こんなに怯えた顔をしているんだ?
「愛久は僕の全てだ。あの子が人と違うものを持っていたとしても、僕の愛する娘なんだ……。」
「…………御子なんてものに祀り上げるのは、どうかと思いますがね。」
娘がかわいいのはわかる。例え超常的な力を持っていたとしても、その愛に変わりはないだろう。しかし、宗教じみた祀り上げは感心しない。あんなやり方では、彼女は多かれ少なかれ世間の悪意を直視することになってしまう。それは5歳の少女には残酷な仕打ちだ。
「………………。」
倉橋が目を見開いてこちらを見つめてくる。
…………細心の注意を払うつもりだったが、子を持つ親としてついカッとなってしまった。マズかったか?
「…………もっともだ。でもね……あれは僕が望んだわけじゃない。」
「何……?」
倉橋は席を立ち、ふらふらと舞台へ歩いていく。
「信じてもらえないと思うが、天声教を作ったのは愛久だよ。……あの子は頭がよくてね。一度見たものは決して忘れないんだ。」
通路の真ん中あたりまで来たところで立ち止まり、倉橋は語りだした。
「……会社の事業に失敗した僕を色々手助けしてくれてね。愛久の言う通りにしたら全て上手くいった。どうやったのか聞いたら、『たくさん考えた』などと言っていたよ。……しばらくして、愛久は天声教を作った。僕を教祖として祀り上げてね。」
…………この男は何を言っている?5歳の子どもが、教団を作り上げた?
「最初はそれらしいことを言っているだけで良かった。だが教団が大きくなっていくうちに、僕の与り知らない所で愛久が色々していることを知った。僕の名義で小夜と祈里を引き取り、かつて買った別荘を天声教の聖地と呼び、信徒たちは膨大に増えていった……。気付いてしまったんだ。愛久にとって僕は……彼らと同じ信徒の一人に過ぎないのかもしれない、とね。」
キリキリキリ…………。
吊るされたシャンデリアが音を立てて揺れる。
倉橋の表情はこちらからは見えない。しかし、その背中は妙に小さく見えた。
「怖くなった……。愛久がいつの間にか知らない何かになってしまったようで……。あの子が何を考えているのか、まったくわからないんだ。」
そう言って倉橋が振り返る。先程までの余裕のある笑みはすっかり鳴りを潜め、憔悴しきった顔でこちらを見上げた。
「少し前に、愛久に言われたよ……。『父さまはもうすぐ死ぬ』、と……。」
「…………そんな話を、信じているのですか?」
娘にそんなことを言われるのはショックだろう。
——いや、そんな話ではないな。
御子としての預言?馬鹿馬鹿しい。何か嫌われるようなことをしたんじゃないか?
「今まであの子が預言を外したことは無いよ。あらゆる情報からあらゆる可能性を精査し、これから起こる事態を高精度で予測している。天からの言葉と言われれば、信じてしまうほど正確にね……。」
それが預言の正体か……。本当の事なら色んな意味でインチキだな。
「倉橋さんに何か持病があるとか?」
「僕はいたって健康だよ。虫歯一つない。君の取材を受けたのは、最後に誰かに話したかったんだ。倉橋公尋という男が、どれだけ苦脳していたのかをね……。」
倉橋は息を吐いた。シャンデリアが揺れる。
キリキリキリ…………。
「…………私は新聞記者です。この話が世間に公表されてしまうかもしれませんよ?」
「構わないよ。僕が生きている限りあの子たちのことは全力で守るし、愛久はどんな状況になっても『たくさん考えて』なんとかしてしまうだろうからね……。」
私の言葉を聞いた倉橋の目に一瞬強い光が宿る。どれだけ憔悴していても、その目は娘を信じる親のものだ。
「…………記事にはしませんよ。こんな与太話、きっと誰も信じない。」
「……………………そうか、与太話か。はっはっはっ……。」
乾いた笑い声が静かな講堂に響いた。……大の大人がここまで憔悴しているのは、どうにもいたたまれないな。
「今度、飲みに行きませんか?娘の自慢話ならいくらでも聞きますよ?」
「……それはいい。君の娘の話も、是非聞かせてくれ。」
「えぇ、もちろん。たっぷり聞いてもらいますよ。」
キリキリキリ…………。
シャンデリアが揺れる。……さっきから風もないのに、どうして揺れているんだ?
「なんなら今からでも行くかい?いい店を知って——。」
キリキリキリ…………
バツンッ!
突如、シャンデリアが嫌な音を立てて自らを吊っていた鎖から解き放たれた。
「危ないっ!」
叫びも空しく、巨大なガラスの塊が倉橋を飲み込む。
ガシャーンッ!!
ガラス片が飛び散り、思わず客席の後ろに隠れる。ほんの数秒の内に静寂が戻り客席から顔を出すが、その先に倉橋の姿は無い。
「…………なんでだよ。」
目の前で繰り広げられた死に思考がかき乱され、シャンデリアに飲み込まれる直前の倉橋の顔が脳裏に焼き付いて離れない。これが御子の預言だっていうのか?
頭の中の倉橋がすべてを諦めたように微笑み、口を動かす。その声はここまで届かなかったが、何と言ったかは不思議と理解できた。
”すまない——。”
警察の取り調べは夜遅くまで続いた。
事故現場に居合わせた私は、事故の状況から取材の経緯まで根掘り葉掘り聴かれた。
捜査によるとシャンデリアの金具は老朽化しており、重さに耐えきれず落下したのだという。
天声教は解散。そのほとんどの資産を押収され、愛久達はどこかの孤児院に保護されるだろうとのことだった。
……もう機関車も止まっている時間だ。今日はホテルに泊まるしかない。出口を探して署内を歩いていると、三人の少女を見かけた。
少女達は若いおさげの女性警官から事情を聴かれているらしく、小さく寄り添い合っている。警官の横には医者か何かだろうか、眼鏡をかけた私服姿の若い女性がいて同じように三人の話を聞いているようだ。
「ひっぐ………ひっぐ…………。」
中央にいる少女は大粒の涙を流しており、横の二人に慰められている。
「愛久が……、愛久がいけないの……。愛久が失敗したから、父さまは……。……うえぇぇぇぇぇ!」
その涙はどう見ても偽りのない、悲しみの涙だ。
「……………………良かったな、倉橋。」
お前の娘はバケモノでも何でもない、普通の女の子だよ……。
ここにいても私が彼女達にしてあげられることは何もない。踵を返して警察署の出口を目指す。本当なら一刻も早く家に帰って、娘の顔が見たいんだが……。
「…………あの子のことは、私達に任せて?」
小夜の声が聞こえた気がして振り返る。遠くにいる彼女はこちらに気付いた様子もなく、愛久を慰めていた。……気のせいか?
きっと疲れているのだ。早くホテルに行って休もう。
私は警察署を後にした。
翌朝、私は駅のホームにいた。
結局、いろいろな考えが渦巻いてほとんど眠れなかった。朝日が疲れた目に沁みる。
倉橋との約束もあるし、今回の取材はボツだ。編集長になんて報告するか考えなければならないな……。
しかし、今はそんなことよりも一刻も早く娘に会いたい。あの子は寂しがり屋なんだ。早く帰って安心させてあげないと……。
ブオォォォォォ——!
汽笛の音に顔を上げると、黒い鉄の箱が煙を上げながら近づいてくるのが見えた。
逸る気持ちを押さえて機関車を待つ。
「——天司様の仇っ!」
「えっ?」
どんっ!
恨みのこもった声に振り向くと同時に、衝撃を受けて体が浮遊感に包まれる。
ゆっくりと時間が流れるように、ホームの様子が見えた。
私を涙目で睨みつけ、こちらに手を突き出している女——たしか女中の時子と言ったか。
どうやら彼女に突き飛ばされたらしい。私は何もしていないというのに、逆恨みもいいところだ。
視界の端に黒い塊が映った。どうやら機関車がホームに入って来たようだ。黒い煙を吐き出し、車輪から火花を上げながら近づいてくる。
……私はここで死ぬのか、御子の預言通りに——。
娘の顔が頭の中を廻る。寂しがり屋で、少し朝に弱くて……。あの子を、一人にしてしまう…………?
…………嫌だ。死にたくない。誰か助けてくれ!神でも御子でも、誰でもいい!頼む、天よ。私の声を聞き届けてくれ——!
背中がレールに叩きつけられ、痛みで視界が滲む。
起き上がろうと顔を上げると、火花を上げる黒い鉄の箱はすぐそこまで迫っていた。
「…………すまない、瑠璃。」
思わず娘の名を呼ぶ。
この声はきっと、天には届かない。
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