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ハイファンタジーは初挑戦なので、手探りでやっていきます
人の心を斬るのは、剣ではない。言葉だ。
そして、最も鋭く深く刺さる刃は、身内の口から放たれる。
黎家の武道場に、乾いた木の音が響く。
模擬剣と模擬剣が打ち合う甲高い音。若き兄弟たちが気を張って稽古に励むその隅で、ひとりの少年が黙々と本を読んでいた。
黎 雲舟。
剣神の三男にして、剣を学ばぬ異端児。
剣を捨てた子、学者志望の“でくの坊”。
「またかよ、雲舟。お前、ほんとに木偶の坊だな」
長兄・鋭真が笑った。鍛え抜かれた筋肉と、常に自信に満ちた態度。彼にとって“末弟”とは、苛めるために存在するようなものだった。
「文字の読みすぎで腕が細くなってんじゃねーか?」
その横で、次兄・俊悟が肩をすくめる。
「いっそ筆でも振り回して戦ったら? “書斎剣法”とか言ってさ」
二人の兄の嘲りは、日常風景だった。
雲舟はそれに何も言わず、手元の書をめくり続ける。
読んでいるのは『気脈理論序解』。
武術とは別に分類される、古代の学派による人体論と呼吸術の理論書。
普通の剣士なら退屈して寝てしまいそうな図表の羅列を、彼は黙々と目で追っていた。
「おいおい、なんか言えよ」
鋭真がからかうように覗き込む。
雲舟は小さく言った。
「兄さんたちが稽古に励んでる間に、俺は知を積みたいだけだよ」
その言い方がまた、兄たちの癇に障る。
「知だあ? 剣神の子が、知識で生きるつもりかよ。夢見すぎじゃねぇの?」
「母上の死以来、変になったよなぁ。ま、どうせ“使い物にならない子”って周りも思ってるしな」
鋭真の言葉に、雲舟の指が一瞬止まった。
が、それだけだった。何も言わずに頁をめくる。
だが、その沈黙を破るように、演武場の扉が重々しく開いた。
「へえ……また本か。相変わらずね、雲舟」
現れたのは、紅の稽古着を纏った少女。
剣姫──白蓮。名門・華江家の一人娘。剣の腕は同世代で右に出る者なしと称され、兄たちすら頭が上がらない。
「ねえ、何がそんなに面白いの? 剣を投げ捨ててまで、得られるものってあるの?」
その声は美しくも冷たい。
白蓮は雲舟に歩み寄ると、ため息混じりに肩をすくめる。
「私、ずっと不思議だったの。なんであなたが“剣神家”にいるのか」
雲舟は目を上げずに言う。
「俺がここに生まれただけだよ。選んだわけじゃない」
「そうね。でも、“選ばれたからには応える”のが、私たちでしょ?」
白蓮の目は冷たく光っていた。
「……“でくの坊”。あなたに剣を教えてあげるって何度言ったか覚えてる? 全部、無視されたけど」
鋭真が苦笑いを浮かべた。
「白蓮、お前も懲りねぇな。こいつ、剣を持つ手すら震えてんだぜ」
「怖いんでしょ。自分の弱さに向き合うのが」
白蓮の言葉は鋭く、芯を突いてくる。
雲舟はゆっくりと書を閉じた。
その動作に、怯えも怒りもなかった。ただ、少しだけ空を仰ぐ。
「剣を振るうとね、心が濁る気がするんだ」
その言葉に、空気が変わった。
兄たちも、白蓮も──黙った。
「母さんが言ってた。“剣は人を守るものであって、人を傷つける道具じゃない”って」
その声音は静かで、遠く、どこか寂しげだった。
「……甘いわね」
白蓮が呟いた。
「剣を持つ者の覚悟が、そんな“優しさ”だけで務まると思ってるの?」
そう言って、踵を返す。
「ま、いずれわかる時がくるわ。“優しさ”だけじゃ、誰も守れないってことが」
雲舟は何も返さなかった。
ただその背中を目で追い、誰にも聞こえぬ声で言った。
「それでも、俺は学者になるよ」
彼の手が、本から離れ、畳の上の木刀へと伸びた。
だが、触れなかった。
誰も気づいていない。
彼が兄たちの癖を、白蓮の構えを、瞬き一つで見抜いていたことに。
“剣を学ばぬ者”ではない。
“剣を知りすぎてしまった者”──それが黎 雲舟だった。 人の心を斬るのは、剣ではない。言葉だ。
そして、最も鋭く深く刺さる刃は、身内の口から放たれる。
黎家の武道場に、乾いた木の音が響く。
模擬剣と模擬剣が打ち合う甲高い音。若き兄弟たちが気を張って稽古に励むその隅で、ひとりの少年が黙々と本を読んでいた。
黎 雲舟。剣神の三男にして、剣を学ばぬ異端児。
剣を捨てた子、学者志望の“でくの坊”。
「またかよ、雲舟。お前、ほんとに木偶の坊だな」
長兄・鋭真が笑った。鍛え抜かれた筋肉と、常に自信に満ちた態度。彼にとって“末弟”とは、苛めるために存在するようなものだった。
「文字の読みすぎで腕が細くなってんじゃねーか?」
その横で、次兄・俊悟が肩をすくめる。
「いっそ筆でも振り回して戦ったら? “書斎剣法”とか言ってさ」
二人の兄の嘲りは、日常風景だった。
雲舟はそれに何も言わず、手元の書をめくり続ける。
読んでいるのは『気脈理論序解』。
武術とは別に分類される、古代の学派による人体論と呼吸術の理論書。
普通の剣士なら退屈して寝てしまいそうな図表の羅列を、彼は黙々と目で追っていた。
「おいおい、なんか言えよ」
鋭真がからかうように覗き込む。
雲舟は小さく言った。
「兄さんたちが稽古に励んでる間に、俺は知を積みたいだけだよ」
その言い方がまた、兄たちの癇に障る。
「知だあ? 剣神の子が、知識で生きるつもりかよ。夢見すぎじゃねぇの?」
「母上の死以来、変になったよなぁ。ま、どうせ“使い物にならない子”って周りも思ってるしな」
鋭真の言葉に、雲舟の指が一瞬止まった。
が、それだけだった。何も言わずに頁をめくる。
だが、その沈黙を破るように、演武場の扉が重々しく開いた。
「へえ……また本か。相変わらずね、雲舟」
現れたのは、紅の稽古着を纏った少女。
剣姫──白蓮。名門・華江家の一人娘。剣の腕は同世代で右に出る者なしと称され、兄たちすら頭が上がらない。
「ねえ、何がそんなに面白いの? 剣を投げ捨ててまで、得られるものってあるの?」
その声は美しくも冷たい。
白蓮は雲舟に歩み寄ると、ため息混じりに肩をすくめる。
「私、ずっと不思議だったの。なんであなたが“剣神家”にいるのか」
雲舟は目を上げずに言う。
「俺がここに生まれただけだよ。選んだわけじゃない」
「そうね。でも、“選ばれたからには応える”のが、私たちでしょ?」
白蓮の目は冷たく光っていた。
「……“でくの坊”。あなたに剣を教えてあげるって何度言ったか覚えてる? 全部、無視されたけど」
鋭真が苦笑いを浮かべた。
「白蓮、お前も懲りねぇな。こいつ、剣を持つ手すら震えてんだぜ」
「怖いんでしょ。自分の弱さに向き合うのが」
白蓮の言葉は鋭く、芯を突いてくる。
雲舟はゆっくりと書を閉じた。
その動作に、怯えも怒りもなかった。ただ、少しだけ空を仰ぐ。
「剣を振るうとね、心が濁る気がするんだ」
その言葉に、空気が変わった。
兄たちも、白蓮も──黙った。
「母さんが言ってた。“剣は人を守るものであって、人を傷つける道具じゃない”って」
その声音は静かで、遠く、どこか寂しげだった。
「……甘いわね」
白蓮が呟いた。
「剣を持つ者の覚悟が、そんな“優しさ”だけで務まると思ってるの?」
そう言って、踵を返す。
「ま、いずれわかる時がくるわ。“優しさ”だけじゃ、誰も守れないってことが」
雲舟は何も返さなかった。
ただその背中を目で追い、誰にも聞こえぬ声で言った。
「それでも、俺は学者になるよ」
彼の手が、本から離れ、畳の上の木刀へと伸びた。
だが、触れなかった。
誰も気づいていない。
彼が兄たちの癖を、白蓮の構えを、瞬き一つで見抜いていたことに。
“剣を学ばぬ者”ではない。
“剣を知りすぎてしまった者”──それが黎 雲舟だった。