第5話 信じるということ
──薄曇りの空の下。
「……ここか」
司が立ち止まったのは、町の外れにある小さな酒場だった。
看板はかすれ、軒先のランプも半分壊れている。
壁にはひびが入り、誰も手入れしていないのが一目でわかる。
こんな場所でなければ、国家に追われる能力者たちは、生きられない。
「信用できるのか?」
朋也が眉をひそめる。
「行ってみなきゃ分かんねぇっすよ」
レオが、ひょいと肩をすくめる。
風に揺れる金髪を軽くかき上げた。
司は、無言のまま扉に手をかけた。
* * *
酒場の中は、彼らが入った瞬間、静まり返った。
椅子に座っていた者たちが、一斉にこちらを睨む。
色素の薄い髪を持つ者たち──天使因子を持ちながら、国家から逃げてきたもの達だ。
「……またかよ。どうせお前らも、俺たちを利用する気なんだろ?」
ひとりが吐き捨てるように言った。
その目は、諦めと怒りで濁っている。
司は、ゆっくりと一歩、前へ出た。
「違う」
その一言だけで、空気がわずかに揺れた。
低く、静かだが、確かな力を宿した声だった。
「俺たちは、お前たちの力を奪いに来たわけじゃない」
「一緒に、この国を変えたい」
──その言葉に、誰かが鼻で笑った。
「綺麗ごとを……お前らに、何が分かる」
重たい沈黙。
司は迷わず、シャツの襟を引き下げる。
首筋には、くっきりと焼き付いた古い刻印があった。
管理番号と施設コード。
天使因子を持つ者に押される、国家による“所有の証”。
「……普段は隠してる。でも、忘れたことはない」
レオも、ためらわず首筋を見せる。
そこにも、同じように焦げ跡のような焼印が刻まれていた。
「俺たちも、同じっす」
司がまっすぐに前を見据えた。
「だからこそ、終わらせたいんだ。
力の有無で、生きる価値を決められる世界を」
誰も、すぐには信じなかった。
空気は重く、痛いほどに張り詰めている。
それでも。
「司さん、見た目ちょっと怖いっすけど、悪いやつじゃないっすよ」
レオが軽く笑って言う。
「……誰が怖い顔だ」
司がぼそりと返す。
朋也がため息をつきながら、ぽんと司の背を叩いた。
「まあ、顔は怖えけどな。中身は筋金入りのバカだ」
「……おい」
「他人のことばっか先に考えやがる。おかげで俺たちはいつも苦労してんだ」
冗談混じりのやり取りに、酒場の空気がわずかに緩む。
司は、目の前の青年──銀灰の髪を持つ鋭い目の男に、まっすぐ向き合った。
「選べ」
「このまま、誰にも何も期待せずに生きるか」
「それとも──
この腐った世界を変えるために、共に立ち上がるか」
沈黙。
長く、重い沈黙。
やがて。
銀灰の青年が、ふっと鼻で笑った。
「……面白いこと言うじゃねえか」
「いいぜ。賭けてやるよ」
その言葉を皮切りに、数人の者たちが、ゆっくりと立ち上がった。
かつて、信じることを諦めた者たち。
その胸に、再び小さな火が灯った瞬間だった。
司は、何も言わず、小さく頷いた。
仲間は、まだ少ない。
それでも──
確実に、増え始めている。
それが、どれだけ困難な道であっても。
「……行こう」
司が、静かに言った。
朋也とレオも、当然のようにその背後に続く。
夜の空気が、静かに流れた。
それは、まだ誰も知らない、小さな革命の始まりだった。