第2話 囚われた翼
* * *
──冷たい、鉄の匂いが満ちている。
灰色に沈んだ部屋。
錆びついた鉄の椅子。
その中央に、ひとりの少女が、座らされていた。
両手両足は、無骨な金属の枷でつながれ、白い衣服は、拘束の長さを物語るように擦り切れ、裂けている。
銀の髪が、ぼさぼさに乱れ、顔にかかっていた。
──生きているのか。
その問いすら、意味をなさない。
少女の瞳には、感情がなかった。
まるで、魂だけが抜け落ちてしまったように。
誰も、声をかけない。
誰も、少女を見ない。
この空間に、存在していないかのように。
けれど──
その指先が、かすかに震えた。
光のない天井を、ほんの一瞬だけ、求めるように。
すぐに、その手は力なく垂れる。
また、無音。
ただ、沈黙だけが、部屋を満たす。
──遠く、警報の音が、微かに鳴り始めた。
その音が、少女の瞳に、ほんのわずかにだけ揺らぎを与えたことに──
誰も、気づかなかった。
* * *
かすかな鐘の音が、ひび割れた空に滲んでいた。
司たちは、次の作戦へ向かう道すがら、ひとつの小さな町に立ち寄っていた。
革命軍の連絡拠点が、この町の片隅にある。
物資の補給と情報の受け取り――それが今回の目的だった。
しかし──
人々の暮らしは、どこかぎこちない。
笑うことも、怒ることも、すべて押し殺している。
この国では、それが“普通”だった。
──天使因子を持つ者たち。
生まれつき特別な力を宿した者たちは、身体に刻まれた因子の焼印と、老いを知らない肉体、そして光を透かすような神秘的な存在感を持っていた。
容姿は総じて整っていたが、髪や肌の色には個体差があり、淡い色を持つ者が多い。
黒髪で生まれた司もまた、稀な例外のひとりだった。
「……あれ」
レオが通りの先を指差す。
ふたりの子どもが、道端に座り込んでいた。
どちらも淡い金色の髪。
首筋には、管理番号と施設名の焼き印が見える。
──逃げてきたのだ。
自由を求めて。
だが──
人々の視線は冷たかった。
「早く兵に渡した方がいいんじゃないか」
「おい、見るな。俺たちも巻き込まれるぞ」
無関心と、恐れと、軽蔑。
ごちゃまぜの感情が、幼い彼らに向けられていた。
司は、黙って歩み寄る。
腰のポーチを探り、小さな携帯食と水の入った革袋を取り出す。
しゃがみ込み、そっと子どもたちの前に差し出した。
怯えた瞳。
細い指が、震えながらもパンへと伸びる。
「大丈夫だ。俺たちは、君たちを追い返したりしない」
静かで、まっすぐな声。
それだけで、子どもたちの目に涙が滲んだ。
「……このまま、連れていくんすか?」
レオが、小声で問う。
「町の北端に連絡拠点がある」
司は即答した。
「安全とは言えないが、ここに置いていくよりはいい」
そのとき、背後で兵士の怒鳴り声が響いた。
「そこだ! 逃亡天使を保護する行為は反逆とみなす!」
司はさっと子どもたちの前に立ち、その体をかばうように腕を広げる。
「なら、反逆で結構だ」
次の瞬間、雷がレオの指先で弾け、朋也の剣が鞘を離れた。
司の足元には、炎がかすかに揺れている。
短い応戦の末、兵は退けられた。
三人は子どもたちを連れ、人気のない裏道を抜けて、連絡拠点へと急いだ。
* * *
革命軍の連絡拠点。
石造りの倉庫を改装したその場所は、暖炉の明かりが仄かに揺れていた。
毛布に包まれた子どもたちは、ようやく安らかな寝息を立てている。
「……相変わらず甘いな」
朋也が、苦笑まじりに呟いた。
「甘いっていうか、司さんってやっぱ優しすぎるっすよ」
レオがにやりと笑う。
「おい司」
朋也の声が、ふいに静まる。
「こういう子ども、あと何人いると思ってる。……全員は、助けられないんだぞ?」
司は火の揺らめきを見つめながら、答える。
「……わかってる。それでも――」
目の前にいる命を、見捨てる理由にはならない。
ただ、生まれただけ。
ただ、力を持っていただけ。
それだけで、鎖に繋がれる世界など──
「変えてみせる」
司は立ち上がる。
「この国に、天使たちの自由を」
「そのために、俺たちは戦う」
まだ小さな、小さな革命の火。
けれど──
それは、確かにこの国を変える力になろうとしていた。
怯えた子どもたちの寝顔を背に、三人の戦士は、再び歩き出す。
──希望を連れて。