道化の初恋
最初マジで、影薄い子だなと思った。しかし『本日最も目に入るで賞』があるなら、金賞を彼女に授与したい。
なにしろ、怖い先輩方の日々の活動により剣呑な雰囲気の『漫画イラスト研究部』の椅子に座っている。そこで肩を縮めて怯えている。隠せてない気持ちは分かりやすくて、本当によく目立った。
無造作に伸び切った前髪をヘアピンでかきあげている。メガネが傾いていた。天パーなのか、湿気の多い今日はクルックルのボサッボサだ。自分の見た目にはそこまで無頓着に見えた。
彼女はきっと絵を描くのが好きで、見学に来たのだろうが、完全に彼女の想像と違った様だ。気持ちは分かる。俺も先輩方を内心"創作ヤクザ"とか呼んでる。実際、校内規則破って好き放題活動するから、評判はガチで悪い。
この漫研を見たら、世間一般の漫研のイメージなんて彼方にぶっ飛ぶだろう。
"創作ヤクザ"が支配した世紀末の漫研からは、既存の心優しきオタク達は淘汰された。可哀想に、オタク達は新しく創作サークルを立ち上げて頑張っていた。本当に頑張れ。幸せになってほしい。俺は"創作ヤクザ"の悪行には何も加担してません。ホントに。
俺は自分で漫画とかイラストを描くのが面倒だ。根気がいる作業は好きじゃない。
のらりくらり一年間部室に居座り、さりげなく数枚イラストを描くくらいはしておいた。やる気がなくて、即売会とかとは無縁であった。
じゃあなぜ部員やってるかというと、居心地が良いからだ。この部活には大学の中でも素行不良気味で周囲に溶け込めない様な奇怪なやつばかり集まる。真面目に生きるのを辞めてる俺も広い意味じゃその枠に入るだろうなとは思う。
ただ、人付き合いも適当に流してしまいたい俺には、この部活にいる人間達が貴重だった。ほとんどが、あまり深く他人に踏み込んでこない。
…………そんな中途半端な事をしていると、ついに一番怖え組長みたいな先輩に詰められた。「この部にいるなら、もっとなんかやれ作れ殺すぞ」と。闇金の取立てみてえだ、て思った。しらんけど。
で、仕方なく活動しているってわけ!
面倒なので、やってる雰囲気出すのも他力本願だ。
一つのイラスト集を作るチームをスタートさせたくて、勧誘を仲間に頼んだ。そして数人集まり、今に至る。
その経緯で来た数人のうちの一人が『本日最も目に入るで賞』金賞受賞の影薄い子ちゃんだったが……ビビりようが可哀想だなと思って、声をかけた。
そしたら不思議なことに、お互い良いなと思う作品について話すうちに、楽しくなっていって──意外と話せる子だったのは驚きだ。
その子をA子と呼ぶのだけど、A子はいつのまにか、放課後よく部室に来るようになった。俺とは一緒によく帰る。言葉を選ばずいうなら、A子がくっついてくるようになった。
A子は他人と接するのが苦手だが、自分の夢とか好きなことに本気になれる、真っ直ぐな人だった。一年生にして、部の中でも既にあたま五つくらい抜けて絵が上手い。
いつかは忘れたけど、彼女は俺に本音を語ったことがある。
「私の人生から絵を取ったら、空っぽですから」
一語一句、忘れることはないだろう。それは魂からの言葉だったのだろう。
肌が粟立ちそうになるほど、"圧"っぽいものを感じた。
彼女は適当なニンゲンである自分とはまるで真逆だが、尊敬する気持ちのおかげか、良好な関係を築けている。
犬みたいに懐いて付いてくるかわいい後輩。だけど、すごい尊敬できる後輩。
そのくらいの気持ちで察していたと思う。
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童貞なもんだから、「彼女作らないの?」とかよく言われた。
ホモソーシャルの空気感に当てられて、何となくワンチャンありそうな子を思い浮かべた。
A子の顔が浮かんだ。
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A子と出会い一年が過ぎた。
俺とA子、俺がバイトの日を除き、二人の日常は放課後の部室で始まる。
液タブとPCを持参し、絵を描きながらおしゃべり。好きなゲームとかアニメとか勧めあったり、感想も言う。そんで夜遅く帰宅。それだけ。
平坦で平和な関係性。その歯車が狂い出すのは一瞬だった。
ボソッと空腹をひとりごつA子に、何気なく提案した。
「お腹すいたなぁ」
「じゃあ、食べにいく?近所のインドカレー屋気になってて」
A子は驚いた様に目を見開いて、純粋無垢な笑みを浮かべた。人と話すのが嫌なだけで、本当は喜怒哀楽があって素直な女の子だって、俺は知ってる。
ズキリと、胸の奥がねじ切れるように傷んだ。
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俺たちはデートみたいなのを重ねるうちに、お互いの家を行き来して遊ぶようになった。
流行りのドラマを観たり、A子が薦める乙女ゲームをプレイしたりして、沢山一緒に笑った。
彼女と話したり、遊ぶのは、純粋に飽きなくて楽しい。気が合うのだろうか。
食に興味が無く、普段卵かけご飯しか食べない俺が作った、ボソボソした下手っぴのハンバーグを、本当に嬉しそうに食べてくれた。
こんなんで喜んでくれるなら、もうちょい練習しとけばよかったな。
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「先輩ってどうして、私と仲良くしてくれるんです?」
不意に聞かれて本当にびっくりした。
振り返ると、夕暮れの部室の中、A子は微笑みながらもどこか不安そうで。
「シンプルにさ、一緒にいておもろいからね」
「それならいいんですけど……私……いや、なんでもないです。忘れてもろて」
自信なさげに何かを言いかけて、カラッといつもの楽しそうな表情に戻ってみせた。
俺は軽く頷いて、何も聞かなかった。
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翌週、A子を部室を見かけて驚いた。
周りに人が集まってるから何事かと思ったんだが。
「あ、先輩」
「前髪が生えてる……!それに、メガネ取ってる」
「何ですかその言い方、切ったんですよ」
膨れっ面のA子。
無造作にかきあげていた前髪が、可愛らしく切り揃えられていた。それに、いつもかけてるメガネが、無い。
こういう前髪、なんて言うんだっけな。なんちゃらバングとかそんなんだったはず。
「冗談冗談!可愛いと思う。すごく似合ってるじゃん」
心からそう思った。可愛いと思った。そのはずなのに、俺は俺の気持ちが分からない様な、モヤる感じがする。
A子は口角をあげるが、照れた表情で顔を背けた。
「可愛いとか……こんなブスに、先輩も物好きですねまったく」
物言いは卑屈だが、満更でもなさそうだった。
この日の彼女は人気者だった。
『A子前髪生誕祭』が急遽開催され、部内はまさかの賑わいを見せた。
「あのA子がおしゃれに目覚めた……!?こうしちゃいられねえ!」
「なに、A子に前髪が!??」
「お母さん(自称)嬉しいよ」
各々そう口走っては、キャンパス内のコンビニに走ってお菓子を買って戻ってきた。その全てはA子に捧げられた。A子の小さな身体はお菓子に埋れていった。
普段俺としかほぼ話さないA子が、今日はいろんな人と楽しそうに喋ってる。
ちょっと嫌だった。新しくなったA子となんだかずっと話していたい。普段仲良くしてるのは俺なのに、急にわんさかたかるなし……!
「あ……」
その時、モヤモヤ見えなかった自分の気持ちに、初めて気がついた。
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A子は結局、いつも通り俺と一緒にバスに乗って帰った。
そのことに少し安堵しつつも、この子への目線の向け方がわからず、内心ドギマギしていた。
「疲れたー……ああいうの無理です私」
囲まれてもみくちゃにされたA子は本当に疲れた表情で、隣に座っていた。なんだかそれを見て安心した。
いつも通り、軽い気持ちで会話をする。
できてるだろうか?
A子を見る。
人のことが苦手だけど、本当は素直で誠実で、そんで、自分の夢に一途な人。
俺とは真逆だ。やっぱ、カッコいいな。そう思うと、緊張する。
俺は身の丈に合わない相手に惚れているかもしれない。
「俺は平気なん?」
「先輩は平気ですよ。なんていうか、一緒にいて楽」
「そんなことある?」
「……最初、憶えてます?先輩と初めて会った日です」
「あー、憶えてる。ビビってたよなA子。はは……」
「はい、もうちびりそうでしたけど。でも先輩だけが怖くなかったんですよ。なんていうか、先輩ってほら、人柄がいいじゃないですか。やさしーい雰囲気」
「それは八方美人の賜物なのだよA子くん」
「そうですかね。本当にそうなら、先輩が始めたイラストチームがここまで成功して17人まで増えることなんて、無かったと思いますよ。問題だらけの部が存続することもなかっただろうし……先輩はいい人です」
「へぇ……じゃあ、そゆことにしておこ〜」
「あ、なんかむかつく!」
思ったよりも褒められて小っ恥ずかしくなって。
そんで窓のそとに視線を外して気がついた。
「雨、やばくね?」
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土砂降りの中、幸い二人とも傘を持っていたから、それぞれさして、一列に並んで歩いた。
考え事をしていた。
もう、告白してもいいんじゃないかって。
だって多分、A子は自分のことが好きだ。
片想いをしたことはないが、片想いされた経験は多い。これはその経験則に基づく直感だが。たぶん、A子は自分のことが好きだ。
でもA子は絶対に、確信が持てる様な尻尾は出してこない。証拠がなさすぎる。これまでの人とは違うところだ。
それが限りなく自分を不安にさせる。
肝心な部分で、A子の真意が分からなかった。
でも、まあ、いいかって思う。
A子が俺のこと好きじゃなかったら、シンプルにご縁がなかったってことだよなって。
だから、今、おれ自身の気持ちに気づいて内心盛り上がってる今だからこそ、勢いで言ってしまいたい。
でも、本心を明かすのは怖い。怖いから、俺は人と適当な付き合いを続けてきたんじゃないか。
「あ、見送り助かりました。ここで大丈夫です」
「わかった、土砂降りだったなぁ……足濡れた」
「先輩がいるから、私は楽しかったですよ」
なんか今の言葉にドキッとした。ああもういい。
今決めた。言う。言ってやる。
「A子、あのさ」
柄にもなく、自分の本心を明かそうとしたその瞬間、目の前が猛スピードで、イヤな記憶に塗りつぶされる***********
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バスケをやってた頃。信頼してたチームメイトに裏切られ、いじめを受けていた。
挙げ句の果て、出来レースの賭けでハメられ、罰ゲームで真夏の日中に荷物を全て持たされ、長時間歩き、熱中症になった。
試合中に意識を失い搬送され、一命は取り留めた。
他にもああ、いろいろあった。
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*******思い出した。
母さんの失くした財布を見つけたら、犯人扱いされて、顔中腫れるほど殴られたんだ。
泣き叫ぼうが、血が出ようが、何度も、何度も
何度も
何度も
何度も何度も何度も
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度********
「あのさ、おれたち、付き合ってみない?」
小声で、思ってもない軽薄な口説き文句が出た。思わず冷や汗が噴出した。何言ってんだよ俺は。
「え、なんて言いましたか!?」
だが、土砂降りの雨で聞こえなかったらしい。本当に良かった。
頑張れ、今度は、勝てよ俺。
どうでもいいって思った人生を乗り越えていけ。いまがたぶん、その時だぞ。がんばれ──そう自分を叱咤激励する。
そして俺は、道路の向かいの歩道まで聞こえるかもしれない程の声で、伝えた。
立ち止まって、真っ直ぐA子の瞳をみつめて。
今度こそ、素直な自分でいられるように。
「好きです。付き合ってください」