ある告白
私は右腕の定期検診で病院の待合室に座っていた。室内で看護師たちがせかせかと行ったり来たりしていた。コズエの姿は見当たらなかった。私は一人の看護師を捕まえて、彼女の居場所を聞いた。その看護師はコズエは今来客中だと言った。
「特別なお客なので、ご承知でしょうが」
私はなにかわからなかったが、とりあえず承知していますと答えた。
「でも、桐野大佐もこんな頻繁に通わなくてもいいのに。いくら好いた人だからといってもね」
それを聞いたときの私はきっとバカな顔をしていたに違いなかった。開いた口が塞がらないとはまさにこのことだった。
しばらくして、桐野大佐と目尻に刀傷のある男が診察室から出てきた。
「これはサイトウ君じゃないか。久しぶりだね」
「お久しぶりです。大佐」そう言って私は敬礼をした。
「いやまあ、楽にしてくれ。君は彼と会うのははじめてかな?」桐野大佐は刀傷のある男を指差した。
「いえ、二度めです」
刀傷のある男は私に手をさしのべて「シ国からきた、田中です」と言った。なかなか言い声をしていた。
私は彼と握手した。意外にも華奢な手をしていた。
「この田中少尉は剣の達人で、わざわざシ国から招かれて来たのだ。いまは軍の剣術指南をしてもらっている」
「わざわざシ国から、ご苦労様です」
「ありがとうございます。ですが、この国はとても居心地がいいので、苦労と思ったことはありませんよ」
田中少尉は笑った。なにが面白いのかわからなかったが、一応私も笑っておいた。
色白で子供のように笑う彼は、永遠に子供の心を持ち続けているように思えた。
「では、私たちはこれで失礼するよ」
腕の診察を終えて、私は中庭のベンチに座っていた。庭には貫禄のある木々が生えている。すぐ先にコズエが歩いていた。彼女は私に気がつくと、小さく手を振って近づいてきた。
「こんなところで、おサボりですか?」そう言って、彼女は私の隣に座った。
「ええ、コズエさんと違って、俺は訪ねて来る客もいませんから」
「誰から聞いたの、そんなこと」
「看護師が噂をしていました」すると、彼女は暗い顔になった。
「桐野大佐と付き合っているのですか」私は唐突に聞いてみた。気になって仕方がなかったのだ。
「ええ?」彼女は目を大きく見開いて、私の顔を見た。「もう一度、言ってください」
「だから、桐野大佐と付き合っているのですか?」
すると、彼女は急に笑いだした。笑いは長いあいだ続いた。
「ごめんなさい。桐野大佐とはそんな関係じゃないのよ。ただ昔、弟がお世話になったものだから」
「コズエさんが思っていなくても、あっちはどうかわかりませんよ」
すると彼女は私に顔を近づけて「それがわかるんです」と言った。蜂蜜のような匂いがした。
「どうして、そんなことお聞きになるの?」彼女は面白そうに私の顔を眺めていた。
「付き合ってなければお茶でもどうかと思いまして」私は意を決して言った。
すると彼女はにっこり笑って「ええ、また日を改めて。今日は本当に忙しいですから」
これはいけないと思った。
小松の尋問は三日続いたが、播磨屋の店主、高松は一言も話さなかった。そうして、尋問は桐野大佐に引き継がれた。この桐野大佐は尋問中、拷問をすることで有名であった。彼は拷問で嫌疑のかかったものを何人も死なせていた。この播磨屋の店主も例外に漏れず、桐野大佐の拷問中に死んだ。けっきょく我々は、高松からなんの情報も聞き出せず、この事件は迷宮入りするかと思われた。
その翌日に、私はコズエから手紙をもらったのだ。お茶の誘いであった。私は喜びのあまり、急いで仕事をきりあげ、待ち合わせの時間よりずいぶん早くにカフェに到着した。
恋と言うものは私には縁遠いものと思っていた。久しぶりの雨で街が白く染まっていく、私は緊張しながらテラス席で彼女を待っていた。
ドアのベルが鳴った。彼女が薄紫のワンピースを着こなして入ってきたとき、私の心臓は破裂しそうであった。
「雨が涼しいですね」と彼女が笑って言ったとき、私は無愛想に「そうですね」としか答えられなかった。
コーヒーを飲むと、すこし緊張が和らいだ。しかし、彼女と話す内容が一向に思い浮かばなかった。だから、彼女が笑顔で私を見つめながら「どうして、コクラグチの戦いで、作戦を中止せずに指揮をしたのですか?」と聞いたとき、普段から私は戦争のことは口にしないことにしていたのだが、彼女の取り繕った笑顔を見ると、話さなければいけないような気がした。
「あの時、俺は指揮をしていません。指揮をしていたのは大久保少将です」
あの戦では、71部隊は全滅で、他にも敵の攻撃で多くの人が死んだ。しかし、別動隊を率いていた西郷中将は英雄となり、大久保少将は王佐の才という仰々しい渾名がつけられることになった。クマソ国に敗戦はないのだ。
「でもそれは、世間で言われていることでしょう。本当はあなたが指揮をしていたとお聞きしています」
「いいえ、本当に私は……」
「嘘をつかないでください」ピシャリと彼女が言った。顔には笑顔はなく、眉間に皺を寄せ私を睨み付けていた。その目からうっすらと涙が浮かんでいた。
「あの戦争で、私は婚約者を失いました」彼女は言った。
私は驚いた。こんな偶然があるのだろうか。
「71部隊にいたのですか?」と恐る恐る聞いた。
「ええ、そうです。どうして、あなたはあんな作戦を実行したの?」
私はしばらく返す言葉がわからなかった。何を言っても彼女には解ってもらえそうになかったからだ。しかし、それは私が真実を言わない言い訳にはならないのだ。
「たしかに、あの作戦を止めていません。俺がしたことは、71部隊と他の部隊の配置を変えてはどうかと提案しただけです。というのも、71部隊には俺の友人もたくさんいましたから。しかし、俺には才能がなかった。彼ら二百名が犠牲になり、敵による砲撃で次々と味方が死んでいく、そんなクズみたいな作戦の代わりが思いつかなかった。だから、俺にできたのはわがままを言って、隣の上司に身体を押さえつけられていたくらいのものでした」
「どうして、そんな嘘ばかり……」
「嘘じゃありません」私は語調を強めながら「いったい誰が、そんな出鱈目をあなたに吹き込んだのですか?」
「桐野大佐です」彼女ははっきりと言った。「ある日、私の家に桐野大佐が来ました。婚約者のことについて話があるということでした。その時、彼は婚約者の死を勇敢に語りながら、今回の作戦の批判とサイトウさんが指揮をしていたとはっきり言いました」
「あなたは、そんな出鱈目を信じたのですか?俺があの作戦を指揮をしていたら、どうして幕僚のなかで俺だけが出世していないんですか。まだ一介の警備員というのはおかしいじゃないですか」
すると彼女の顔は青白くなっていき、目から涙が数敵こぼれた。そうして、彼女はうなだれた。そう思うと、ゆっくり青白い顔をあげ、うっすらと笑って言った。
「私は今日、あなたを殺すために来ているのですよ。桐野大佐から、街外れにあるネコ神社にあなたを連れていくよう言われています」
私は大きいため息をついた。外の雨は弱くなっていた。
「私を殺したいですか?」
「いいえ」彼女は両手で私の手を握った。ひどく冷たい手をしていた。「逃げてください」そう言って、とうとう泣き出してしまった。
「困った人だ。俺が逃げたと知れば、あいつらはあなたを殺しますよ」
「死ぬ覚悟はできています」
「そんなこと軽々しく言ってはいけない。それに、俺はあなたに死んでほしくはない。あなたには命の恩人ですから」
彼女はなにも言わなかった。雨があがった。
「さあ、雨も上がったことですし、そろそろいきましょうか」私は静かに言った。




