猜疑心2
一時間ほどたって、彼女は私の耳をくすぐりながら言った。「私と結婚する気はない」
「一年も続かないだろうな」
「それがどうしたの」と彼女は言った。「試してみる価値はあるわ。それともあなたは、人生の危険なことは何にもしないつもりなのかしら」
「俺はこの年になるまで、自分を頼りにしてきたから、まともな考え方ができなくなっている。君もすこしばかりまともじゃない。俺のせいでもあるのだけど……」
「あなたのせいじゃないのよ。そんな風に言い訳みたいに言わなくてもわかっているわ。誰だって生きていくためにやらなくてはいけないことがあったはずなのよ」
私は彼女の髪を無言で撫でていた。
「一緒にカントウへ行って楽しく遊びましょうよ」彼女は肩肘をついてから身体をおこし、私を見下ろした。瞳が輝いているのがわかったが表情まではわからなかった。「結婚を反対する理由が何かあるの」
「大抵の人にとっては素晴らしいことだよ。それも始めだけなんだけどね。十年もたってみればわかるさ。男に残されるのはボロボロになった手だけさ」
「ウィスキーが欲しいわ」
「それに」と私は言葉を続けた。「君にとって恋なんてのは日常茶飯事なんだ。まだ若いしね。でも誰だって初めの男は思い出に残るだろうが、二度や三度になるともうなにも問題がなくなるんだ。それは君のせいではない。十年たって往来であっても、どこかであったことあるような男だ思うだけさ。それも、俺が目にとまったとした話だけど」
「とんだおバカさんだわ。ウィスキーをちょうだい」
「こんな付き合いをしていれば、君もきっと覚えているよ」
「自信家ね。私があなたを覚えていると思う?何人の男と関係を持ってもあなたを覚えていると思うの。なぜあなただけを覚えていなくちゃ行けないの?」
「少し言いすぎたよ。ウィスキーをいれよう」
「私たちいいコンビじゃないの」と彼女は皮肉な口調で言った。「お金はしばらく困らないし、これからも増えるかもしれないわよ。あなたは何を持っているの。家に帰ったって一人だし、こんな生活を続けるよりも私と一緒にいた方がいいじゃないの」
「どんな生活をしようと俺の勝手だよ。俺はヒサタケじゃない」
「あなたは私をはねつけたたった一人の男になりたいの、そんなことなんの自慢にならないのよ。私がこれだけ言っているのがわかっているの、結婚してくださいと言ったのよ」
「それ以上のことをしてくれたらね」
彼女は泣き出した。「バカ」その涙が私の頬にも伝わってきた。「一年か二年続いただけで、あなたにどんな損があるというの。こんな生活が、ひとりぼっちの生活がそんなにありがたいの」
「まだウィスキーをのむかい」
「いただくわ」
私は彼女を引き寄せた。彼女は私の胸に顔をうずめて泣いた。私を愛しているわけではなかった。私たちはどちらもその事をよく知っていた。彼女は私のために泣いているのではなかった。私も彼女のために慰めているのではなかった。
やがて彼女が身を引いて布団からでた。
「泣いたりしてごめんなさい」と彼女は言った。「半年もたてばきっとあなたのことなんて思い出すことないでしょうね。あなたも座って、ウィスキーを飲みましょう」
私は言われたとおりにした。私はウィスキーのグラスを彼女の前においた。彼女はグラスにてをつけなかった。
「一緒に飲もう」と私は言った。
「さっきのように」
「さっきのようなことは二度とない」
彼女はウィスキーのグラスを目の前に上げてわずかに酒を飲むと、グラスを傾けて残ったウィスキー私の顔に、かけた。そしてまたなきはじめた。
「なぜこんなことしたかわからないわ」と彼女が言った。「でもお願いだから、女のすることがいつも一度の感情のことだと思わないで」
私は彼女のグラスにウィスキーを注いで笑って見せた。彼女はゆっくりと酒を飲むと私の肩に身体を倒した。
「つかれたわ」と彼女は言った。「今度は優しく抱いてちょうだい」
しばらくしてから、彼女は眠りに落ちた。
朝になって、私が布団から身体をおこして服を着ていたとき彼女はまだ寝ていた。まもなくして彼女が目を覚ました。それから一緒に朝食をとった。
私たちが別れの挨拶をかわすと、彼女は部屋から出ていった。枕の上には黒いまっすぐな髪が一本落ちていた。おそらく彼女と私はもう会うことはないだろう。ふとこんな考えが思い浮かんだ。




