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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
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汚れた面

 




 私は彼から目を離さなかったが、それがいけなくてなにか横で動いたと思うと肩の先に鋭い痛みを覚え、片腕かまったく動かなくなった。振り向くと、坂本が無表情でたっていて、人相の悪いヤキソバ頭な手にはピストルが握られてあった。薄汚い髪を結んでいて、着物をだらしなく着て、胸元がはだけていて、いかにもたちの悪そうな格好をしていた。汚い仕事をしている人間の生き残りほどたちの悪いものはなかった。そういう世界では悪い人間ほど生き残るものだし、いい人間は弱さと一緒ですぐに死んでしまうのだから、この男は手強い人間の部類に入るはずであった。


 私は腕をさすると少し我慢できるようになったが、指先までしびれてしまっていたので刀を抜いたところで握ることさえ覚束ないだろう。


 桐野が坂本の方へてを差し出すと、坂本は彼にピストルを差し出した。桐野は受け取り不適に笑った。「久しぶりだな、先生。どこにぶちこもうか」


 答えられない質問で、私は彼を見ただけであった。


「あんたにきいているんだぜ、先生」


 私は唇をなめてききかえした。


「サクマ先生をやったのはお前だな」


「さあ、覚えてないや」と彼は柔らかく言った。


「そういえば、あんたは昔から頭が弱かったな」


 壁に持たれていた坂本が大声で笑った。


「その腕はどうしたんだい、先生」


「なに、ヤキソバを踏んで転んだだけさ」


 彼は表情を変えることなく、私をろくに見ずにピストルで私の頭を殴った。


「冗談を言い合っている暇はないぜ。もう時間切れだ」

 額から血が流れてきて視界がぐらつき頭が割れるようにいたくなってきた。もう一度殴られると私は死んでいたかもしれないがなんとか喋ることができた。


「お前になんの関係がある」


 彼は笑いながら言った。「俺からじかにお前に言いたいことがあったし、サクマ先生の件も同じだよ。上から言われただけさ。俺は上の人間には恩があってね。感謝しているんだよ」


「サクマ先生はどんな理由で殺されたんだ」と、彼の関心を他に向けようとしたが望みは薄かった。


「やつは西郷先生のいうことにけちをつけやがった。全ての国が協力して戦争を起こさないように努めるべきだとさ」


「あんたが怒るのも無理はない」と私は言った。「今さらそんな理想をいってみたところで、なにも変わらないとサクマ先生は知っていなくちゃいけない。ところで、俺は何をしたんだ」


 彼はまた私を殴ったが、はじめより強くはなかった。


「西郷先生の顔を潰したじゃねえか。俺たちの世界では二度同じことをいわないことになっている。仕事のミスは許されない。できなけりゃ、俺たちは飯を食べていけない」


「飯だけじゃないだろうよ」と私は言った。「ハンカチで頭を拭いてもいいだろうか」


「気取りやがって」と桐野が言った。「まったくバカにしている。この俺をだ。刀で細切れにしてやってもいいんだぜ」


「小松と坂本は知り合いだったな」と私は言ってから、坂本の顔を見た。「その彼が、誰かに殺されたように死んだ。俺は無罪を証明するためにどうしてもしなければならないことをした。それが西郷大将の顔を潰したことになっても、君の知り合いの小松は、君たちの仕事のために命を失った。だが、君はなんとも思っていないようだ。自分のことだけしか考えていない。自分ではいいきになっているつもりだが、誰も君のことなんてなんとも思っていないさ」


 坂本は真顔で私を見ていた。桐野が私を殴るために腕を後ろに回した。今度は本気で殴るつもりだと思った。私は少し前に出て彼の腹を蹴りあげた。


 考えてやったことではなかったし、どんな結果になるか想像もできなかった。勝手なことを言われ続けていたし、頭痛がひどくて我慢がならなかったのだ。


 彼は呻きながら、ピストルを投げ出して地面に手をついた。苦しそうな音をたてながら、ピストルを拾おうとした。私は膝で彼の顔を蹴ると、ぎゃっという音がした。


 壁に持たれていた坂本が笑っていた。私は急いでピストルを取り上げようと思ったが足がよろめいて転けそうになると、坂本はピストルを拾い上げて銃口をこっちに向けていた。


「もういい、うんざりだ」と坂本は言った。「楽しかったで、人斬り」


 そのとき、暗闇から人の動く気配がして、大久保中将がドアを蹴破って現れた。彼は表情ひとつかえず落ち着き払っていて桐野を見下ろした。桐野は顔を床につけてうずくまっていた。


「西郷さんの切り札にしては意気地がないな」と大久保は言った。「まったくなっちゃいない」


「そうじゃない」と私は言った。「油断していたんだ。誰だって不意をつかれることはあるし、サクマ先生は意気地のない男じゃなかっただろう」


 大久保は私を見た。誰もなにも話さなかった。


「たばこを捨てろよ」と私は大久保に怒鳴った。「吸わないなら口にくわえるな。軍人の面なんか見たくねえ、顔を見ただけでいやになる」


 私の怒声に驚いたようであったが、彼はにやにや笑っていた。「ひどいか怪我じゃないか、可哀想に殴られたんだな。残念だが君はやられることになっていたんだ。大いに我々の役に立ってくれたよ」彼は桐野を見下ろした。彼は床に膝をつけて少しずつ身体を起こそうとしていた。


「こいつ、柄にもなくよくしゃべっていたな」と大久保が言った。「昔なら、西郷さんとしゃべっていても木のように静かなやつだったが」


 彼は桐野の胸ぐらをつかんで立ち上がらせた。桐野はなにも話さなかった。


「筋書き通りだ」と大久保は子供に教えるように言った。「俺はサクマ先生のことなんてなんとも思っちゃいないが、彼は軍人だぜ。お前たちのような軍人くずれが手をだすことなんて許されない。よく覚えておけ」


 桐野は大久保を見て、私に視線を移した。壁に持たれている坂本をちらと見ると、とつぜん桐野が脇差しを抜いて大久保に飛びかかった。大久保は、素早く身をかわすと片手で桐野の喉をつかみ苦もなく刀を取り上げると、そのまま部屋を横切って壁に強く押し付けた。桐野は足が床についておらずバタバタさせていた。


「つぎ俺に刀を抜いてみろ、殺してやるからな」と大久保は言った。「次はないぜ」それから手をはなした。


 桐野はしばらくむせていたが、立ち上がって冷笑して見せた。大久保は坂本の持っているピストルを見た。


「弾丸は入ってないよ」阪元は興味なさそうに言った。


「筋書き通りだな」と桐野は大久保に言った。


「お前らのやり方を面白く思っていないやつもいるんだよ。お前らに会いたいという男が二人いるが、一人は西郷さんのつてのものでキョウトから出ていくのでもいいし、それが嫌なら俺と一緒に新撰組の副長と会いに行ってもいい。とにかく、お前たちの顔を見たという人間が往来で二人まっている」


「また国外か」と振り返りながら桐野は言った。それから覚悟を決めたように入り口から出ていくと、坂本も後を追った。大久保は彼らの背中を見ていた。


「あいつらをあげなくてよかったのか」と私は大久保に言った。


「あげたところでどうにもならんことは君がいちばん知っているだろ」彼はプツンと言った。


「見事だったよ中将。だが新撰組をふりきって、無事に国外なんか出られるのか」


「もう俺らを出し抜こうと考えるな」と彼は決めつけるように言った。「我々は必ず桐野と坂本が出てくると思って、手紙を盗ませたんだぜ。そこで永倉さんに応援を頼んだ。たとえ国は違う軍人であろうが、このキョウトで軍人を痛めつけた野郎をそのままにしておくわけにはいかない」


 私は中将を見た。「驚いたな。軍人のやることにしては実に立派だ、中将。俺の知っている軍人がやるとは思えないよ」


「すまなかった」と彼は言った。「本当はこんなことをしたくなかった。いい作戦とは言えないし、とことんやらなければ効き目がない。あいつらを一枚くわせるには、こちらに被害が出るならお前たちの大将もただじゃおかないと思わせる必要があったんだ」


「殴られたかいがあったよ」


 彼は急に真面目な顔になった。「俺は西郷さんを憎んでいる。昔はそうじゃなかったが、いまになってわかる。西郷さんが周りの人間に流されて暴挙に出ていると思ったら大間違いだ。彼はそんな柔な人間じゃないし、そんな奴にクマソ国の人間はついていきやしない。俺も昔はそういう風に考えたこともあった。だが仕方ないことなのかもしれない。このご時世、ああいう破壊する力の強い人間が必要なのかもしれない。けどそういう行為でたくさんの人間が死んでいる。西郷さんは急ぎすぎている。しかし、全てを知って行動している彼に、皆は慕っている。まるで宗教だよ。俺はなんだかやりきれなくなった。何度か西郷さんに意見をしたことがあったが、耳を貸してもらえなかった。国民は戦争なんか望んじゃいない。誰が望んでいると思う?軍人か?いや違う、全ての人間が望んでいるんだ。一定数の全ての人間、臆病な人間、野心のある人間、堕落な人間、これらはどの職業階級にも一定数のはびこってやがる。そういう人間が声だかに正義を掲げたりして、誰かを惑わそうとすることを誰も止められやしないんだ。俺はもう人間なんて大嫌いさ」


「気がすんだか」私はハンカチを頭にあてながら言った。


「俺は軍人なのに、理想ばかり語っている」


「気味は立派な軍人だよ、中将。ただ人を見すぎるんだ。軍人にも君のような人間は少なからずいるが、皆が皆罪のつけかたを間違っている気がする。戦争がダメなら同盟しろ。言うことをきかないなら放り出せ。酒と女は禁止しろ。上の階級なんか目指すんじゃない」


「くだらない」


「そうだくだらないさ。下端の軍人の意見だからな。くよくよ考えるなよ中将。戦争は病気じゃない。ヒトツノ徴候にすぎない。軍人という人間は患者が最後に頼る最後の医者みたいなものさ。我々は誰も完璧ではないし、聖人でもない。戦争は我々が生活していった代償だし、正しいことを言っている君たちだって戦争を起こす引き金になる可能性は充分にあるんだぜ。こんなもの、いつまでたってもなくなりゃしないさ。戦争というのは我々の、豊かな生活の汚れた一面なのさ」


「きれいな面はなんだ」


「さあ、まだ見たことがないよ。西郷さんなら教えてくれるかもしれない。一杯のもうじゃないか」


「あの蹴りをいれたのはちょっといかしていたぜ」と中将は言った。


「桐野を壁に押さえつけていた方がいかしていたよ」


「握手しよう」と言って彼は手を差し出した。


 我々は共に外を出た。まだ暗かった。長い時間がたったように思えただけであった。






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