快男児
私が旅籠屋に戻ると郵便物が部屋に置かれてあった。大抵の郵便物をゴミ箱にいれた。私は胸から手紙をとりだすと転びながら読んだ。
その手紙は微細なことまで細かく書かれてあった。普通の人間ならば納得するだろうと思われた。アサヒ夫人は嫉妬でコトを殺害し、そのあと事情を知っているヒサタケを殺した。アサヒ夫人がヒサタケの自殺を止めたのは、機会を作るための芝居と考えてもよかった。永久にとけない問題として残ったのはヒサタケがなんの策も施さないで彼女にされるがままだったということだ。どんなことになるのかわかっていたに違いない。どうなろうとよかったのだろうか。外交官で、ある程度の感情を論理的に言葉にできたはずの彼がこの事についてなにも言わなかった。まだ睡眠薬が五十ほど残っていますと記されてあった。これから私はこのほとんどを飲んで眠ることにします。おそらく助かることはないでしょう。村田さん、この事をよく頭にいれておいてください。私は死ぬのです。全ての言葉が本当なのです。なにも後悔することはありません。強いて言うならひとつだけ、彼らが一緒のところで殺せなかったことでしょうか。私は小松になんの未練もありません。彼は私が愛した男の悲しい脱け殻です。もう私には意味のない人です。あの日の午後、戦争が終わり彼をいちど見たとき、はじめ私はよくわかりませんでした。少しして彼は私に気がつき、私も彼に気がつきました。彼は私が恋した昔のままどこかで綺麗なままに死ぬべきだったのです。彼は女にだらしない男友達として、人間の屑として、そして、おそらく過去になんらかの罪を犯している人間として戻ってきました。時間がたつとすべてが色褪せるものです。私はそんな風になりたくはないのです。さよなら、村田さん。
私は手紙を胸元にしまった。昼時であったが、食欲がわかなかった。私はふいに手紙を書いて小間使いにそれを渡した。それから外へ出た。
安い居酒屋であった。そのうち土方が来た。だんだら羽織ではなく、燕脂色の羽織を着ていた。彼は私の前に座った。
「手紙を読んでくれたかい。どうだ欲しくなりそうかね」
「どんなネタだ」
「二つの事件の告白書」
「どこにある?」
私は自分の胸を叩いて、ここでは渡せないと言った。
「どこで手にいれた、そのネタに価値があるのか」
「君の部下の机にある、発表はしないそうだがね。三つの国が隠してしまった事件が明るみに出る」
「わかった、話を聞こうじゃないか」
私は酒を注文して、それが来るのを待った。店内はやけに騒がしかった。
土方は私が尋問を受けたときとあまり変わっていなかった。むしろあの時より表情が穏やかになり若返ったような気がした。彼は煙草をそそくさ吸った。
「俺も暇じゃない。さっさと用件にうつってもらおうか」
「俺の条件が呑めなければ、これは見なかったことにしてくれ」
私は胸元から手紙を出した。彼は一枚の手紙を丹念に読んでいた。ひどく興奮しているようであった。
「どんな方法で手にいれた」
「それは君の知ったことじゃない」
「条件はなんだ。それからこの手紙は回収させてもらうよ」
「小松の時のようにもみ消す気か」
「あのときはあんたの国がもみ消したんだ。どちらかというと俺はとことん追いかけたかった。条件はなんだ」
「小松の事件をもういちど調べて欲しい。それだけだ」
「報酬は要らないのか」
「金でもらおうとは思わない」
彼は煙草を吸って煙をはいた。目の前が白くなった。
「承知した」と彼は言った。彼は手紙を胸元にしまった。
「あんたはあまり利口じゃない」
「自分でもそう思うよ」
「気は変わらないのか」
「変わらない。俺には会いたい友達がいた。そいつと俺はさよならを言う機会がずっと先だと思っていた。だけど潮時だ。君が事件をもう一度あらってくれたら、俺は彼に本当のさよならを言える」
「よくわかった」と彼は言った。「それでもあんたは馬鹿だ。言わなくてもわかるだろう」
「まあ言ってみてくれ」
「俺は仕事柄いろいろ知っているんだぜ。これが表に出たら腹をたてる人間が大勢いる。将軍、クマソ国、イズモ国、シ国、西郷大将、坂本という正体不明の商人。おそらくあんたは殺されるだろうな」
「俺はそうは思わない」
「あんたの意見は聞いてないし俺の考えを言っているだけだ。西郷大将が腹をたてるのは、せっかく隠した事件をほじくりかえすからだし、いちおう片付いた事件がこの手紙が出るとただじゃすまなくなるし、なぜ小松が死んだのか、ほんとうに自殺だったのか、誰かが手をくだしたのか真相を知りたがる人間がたくさんいるだろう。それに新撰組の一人がこの手紙の残りを持っているとしたら、新撰組の連中が裏切ったと思うに違いない」
「この手紙のことは西郷大将は知らない」
「もちろんそうだろうし、我々は新撰組だ。ことを荒立てたくないし、坂本のようなやつを好き勝手させておきながら、責任を問わせるようなこともしないが、ある場所で行われている限り彼の行動は合法的であって、それが合法の間は誰も止めることができない。あんたはこれを新撰組の屯所から盗んだわけだが、どうしてそんなに平然としていられるんだ」
「それは言えない」
「わかったよ。新撰組はヒサタケを自殺だと認めたから腹をたてるが、我々も一枚岩ではないかぎり、誰かが応援をした。西郷大将も腹をたてる。坂本が腹をたてるのは、おそらく彼の忠告を訊かなかったからだろう。ああいう連中に逆らうと痛い目を見るし、サクマ先生のようにならないよう用心しとくんだな」
「サクマ先生は自分を過信していたのだろう」
「あのような連中に言葉は通用しないが、連中がなにか言ってきたら素直に言うことをきくべきだが、あんたが手を引く気がないのならあいつらもあんたをそのままにしておくはずがない。あの連中の上のボスが黙っているはずはないし、そういう連中なんだ。それに高杉という男もいる」
「イズモは彼が治めているようなものだときいている」
「その通り、高杉はいいやつだが危険な思想を持っている男で、不逞浪士をたくさん抱えているらしい。もし彼らが一斉に暴れだすと厄介なことになりかねないが、味方ならばこれ以上心強いことはない。上の人間は高杉の機嫌を損なわしたくはないらしいが、そんなことは下端の俺らには関係のないことだし、俺はそういう立場を利用しながら国の上に立とうとする奴が嫌いなんだ」
「俺のことなんて知らないさ」
土方は苦笑した。「知る必要なんかないさ。高杉と西郷大将はよく知り合った仲だから、ときどき話すことだってあるし、その時にサイトウという奴が余計な口ばかりだしてうるさいと言うと、その言葉が高杉の口から伝わって腕利き自慢が一汗かくことになるということだ。まあそれが奴らの仕事だ。どうだこれを返そうか?」
彼は手紙を差しだした。
「覚悟はできている」
土方はゆっくりと立ち上がった。「あんたとは気が合いそうだ」と彼は言った。「それにあんたは俺よりいろいろなことを知っているし、西郷大将にも間近で会ったこともある。彼がどういう人間か俺にはわからない」
「とても危険な人だよ」と私は言った。「話したのはいちどだけだが、手段を選ばない男だ。きっと君の前に立ちはだかるだろう」
「のぞむところだね」と彼は笑った。それから颯爽と店から出ていった。




