臆病者
今度は昼間であり新撰組の永倉の部屋で、土方が出かけたことを除けば、この前とかわりはなかった。永倉と大久保中将のほかに、ヤキソバみたいな頭をした坂本と、彼と同じ国出身の中岡という男がいた。中岡という男は中背でなかなかの男前で、怪しい噂のある男であった。
永倉はデスクで書類にサインしていた。それを終えると「これは非公式の集まりです」と言った。皆が椅子に腰かけると、永倉が続けた。「記録はとりません。言いたいことだけを話してください。まず現状を島田くんに話してもらおう」
島田は無愛想に言った。「どの点から見ても死因は明らかと思われます。我々が現場についたとき、夫人の息は微かにあったが意識を取り戻すことはありませんでした。このような状態ならまず回復は見込めません。体温も下がっていて、専門のものでないと生きていると判断できなかったでしょう。平野君は死んだものと思ったのも無理もありません。しかし、死んだのはそれから一時間後のことです。ときどき眠れなくなることがあったようで、薬は坂本くんからいただいていたようですね」
「全てが俺からというわけではなかろう」と彼は微笑みを浮かべた。「アサヒ夫人は薬の常用者ではなかった。それに俺は夫人から、薬がなくなったのでほしいといって渡した」坂本は冷ややかにいった。
「しかし、あんたは五十個以上も与えていた」と永倉は言った。「たくさん与えていい薬ではない」
坂本は冷ややかに笑みを浮かべていた。「さあ、俺は医者じゃない。夫人は眠れなくて悩んでいた。俺は薬の流通もやっていた。それだけだ」
「島田くん、なにか意見は」
「そうですね」島田はゆっくり言った。「こういう件の証拠を見つけるのは非常に難しいし、もし見つかっても何かの間違いだったと言い逃れは簡単です。まあもう少しすれば、はっきりするでしょう。まさか、事件の真実を求めているのではないのでしょう、永倉さん」
永倉はデスクの上を見下ろした。
「納得がいかないな。医者でもないのに薬を服用しているやつがいるなんて知らなかったよ。こんなところに長くいると色々なことを経験するものだ」
永倉は彼の方をちらと見て、島田に顔を向けた。「もしこの事実をあげたらなにか困ることでもあるかね」
中岡といういう男はぼんやりとした視線を私に投げかけた。「この男はどうしてここにいるんだ」
「私が呼んだ」と永倉が言った。
「誰かに話すかもしれない」
「そうだな、よく喋る男だよ。この前あげたときは助かったな」
島田は苦笑した。「しかし、いささか信用できない部分もある。疲れた夫人。愛人と死別。薬を服用、戦争で全てを失った被害者。男との関係性。そいつがここへ戻ってきた。罪の意識にとらわれて、苦悩から逃れようとした」
彼は言葉を止めて、辺りを眺めた。誰もなにも言わなかった。
「事件に関係ない私がいうのもなんだが、その告白をもとに罪にするのは難しいよ。たとえ、夫人が生きていたとしても」と中岡は言った。
「違う人間を信用しているから、それ以外のことから眼を背けているのだな」と永倉が皮肉を言った。
「そう言うなよ永倉さん。こんなことに巻き込まれている人間の身にもなってくれ。もしこの事件が公になると、我々の国は少し困ったことになる。これは間違いない。今はとても微妙なときだからね」
永倉は言った。「わかった。わかった。いいようにしてくれ。ここにサインだけすれば、それでいい」
彼はデスクの上の書類を中岡に渡した。彼はかがみこんでサインした。それから、それを永倉に渡すと部屋から出ていった。
島田は立ち上がった。なにもかも心得ているという感じがあった。「この間の事件は少々、ことを急ぎすぎたかもしれない」と彼は言った。「今日はなにもしなくていいでしょう」
彼は大久保中将と永倉にうなずき、坂本と固い握手をして出ていった。
坂本が立ち上がった。
「この事件に関する人間が、これ以上詮索されないのか」
「仕事がたくさんあるのに、わざわざすまなかったな」
「あんたはまだ質問に答えちゃいない」と坂本は荒々しく言った。「ついでに言っとくが……」
「はやく帰れよ」と永倉が言った。
坂本は驚いて足をふらつかせた。慌てて姿勢を正すと、部屋から出ていった。永倉がたばこを取り出して火をつけた。それから私を見た。
「どうした」と彼が言った。
「なにが?」
「なにを待っている」
「もういいのか」
「説明してやってくれよ、大久保中将」
「そうだ、これで終わりだ」と大久保中将が言った。
「じつはもう一度あの女を尋問しようとしていた。ヒサタケは自殺じゃなかった。自殺するには酔いすぎていた。動機もない。あの女のいうことは、細かい点は違っていても、ずっとヒサタケを観察していたことをものがたっている。あの女は、小松の別荘がどんなのかをよく知っていた。そこで起きたことは考えなくてもわかる。小松の女は、あの女の男を二人ともとっちまった。ただひとつ、君が村田に聞くのを忘れたことがある。ヒサタケは脇差しをもっていたかということだ。持っていたんだ。村田とは少し話した。ヒサタケは酔うと前後不覚になる。あの男はコトという女を殺したと思ったが、本当に殺したのか。あるいは、なにか確かな理由があったに違いない。いつまでも黙ってはいられなかったろう。確かにあの男はずっと前から飲んだくれで奇行の多いやつだったよ。だが、女には魅力があったのかもしれん。あの夫人は顔のわりになんの取り柄もなかった。古代人コスプレの平野はなにもかも知っていた。彼はなんでも知っていた。あの女は画から出てきたような女だ。男と寝たとしてもなにを考えているのか見当もつかない。もし彼女に好きな男がいれば、そいつは現実には存在しちゃいない。俺の言っていることがわかるか」
私は黙っていた。
「もう少しでものにできたのにな」
私はなにも言わなかった。
大久保中将は永倉と眼を合わせてから苦笑した。「俺たちだって、いちおう頭を持っているんだぜ」と彼は言った。「あの女がはだかになったという話しは、すべてが嘘だとは思わなかったよ。君が平野を言い負かしたんで、彼は強く言えなかったんだ。だが、ヒサタケに心服していたから本当のことを知りたかった。事実だと知れば脇差を使ったろうがこれは彼の問題だ。ヒサタケに告げ口はしなかった。しかし、夫人がヒサタケに話した。ヒサタケの気持ちを混乱させるために、ありもしないこともベラベラ話した。それが思った以上の効果をあげて、あの女もヒサタケを恐れるようになった。ヒサタケはあの女を殴っちゃいない。酔ったヒサタケが躓いて、夫人が支えようとしたときに肘が顔に当たったのだ。平野も見ていた」
「今話したことと、俺が彼女を嫁にしたい理由にはならない」
「理由ならいくらでも考えられるさ。その一つはべつに誇らしくないことだ。我々のようなものなら、誰だって経験しているはずだ。もちろん君もだ。とにかく君の考えがよくわからなかった。君は小松を逃がした男だ。彼の友達。小松が信用していた人間。小松がどんなことを知っていて、君にどんなことを話したのだろうか。小松はあの女が刺したあと、女の顔をぐちゃぐちゃにした。彼女のためにした行為といってもいい。すると、彼女が刺したことを知っていたのかもしれない。彼が死んだとき、あの女は自殺したと思ったにちがいない。だが君はどうだろうか。君についてはやはり確かなことはわからない。そこで君に近づこうとした。男には近づく自信があるし、運もよく口実もあった。人のいいところを利用されたわけだ。どれだけとがってみせても、人の本質は変わらないものだな」
「中将のいうように、彼女がなにもかも知っていたわけじゃない」
中将はポケットからたばこを出して火をつけた。
「もうひとつの理由は男に飢えていた説だ。昔を忘れさせてくれるようなしびれるようないい男が欲しかった」
「俺は嫌われていた」と私は言った。「そうは見えなかった」
「いやもっとひどいだろうね」と永倉が言った。「君は誘いに乗らず部屋を飛び出したからね。それだけなら気にする女じゃないが、村田のいる前であのおんなにベラベラぶちまけたからね」
「君たちは、最近の心理学にはまっているのかい」
「知らなかったのか」と大久保中将は言った。「俺たちは近頃、怪しげな男につけねらわれているんだ。仕事も変わってきた。精神病院のようになってきた。不逞浪士がなにか悪さをしたり、力士をめった斬りにしたり、危険な物を流したりで報告書を書いている。もう十年もしたら、永倉さんよ、俺なんか刀の稽古のかわりに心理学の本を読まされているだろうよ。事件の取り調べのときは、バカみたいなことが書かれたアンケートとそいつの脈をはかったりするんだ。サクマ先生をぶち殺した男をあげられなかったのは残念だった。頭の具合を調整して敬虔なキリスト教徒にでもしてやれたのに」
「もういいか」
「なにか気になることでもあるのか」と永倉が言った。
「いやないよ。事件は解決している。みんな死んで、なにもかもきれいに片付いたんだ。この事件もいずれ綺麗さっぱり忘れ去られるんだ」
「そう投げやりになるなよ」と永倉が言った。「もし女が脇差しを持っていたなら暗殺の才能があるかもしれないぜ」
「それに」大久保中将が言った。「俺は昨日も働いていた」
「そうだろうな」と私は言った。「君たちが駆けつけていたら、俺に不当のことをいわなかっだろう。俺の予想では、君たちは告白らしいものを手にいれた。ただの恋文や遺書なら坂本に連絡しなかったろう。小松の事件のときにまともな捜査がおこなわれていたら、彼の戦争中の行動など誰かが知っていたのかもしれない。ヒサタケとの関係も衆知のことであっただろう。ヒサタケはキモツキがどんな人間であるか知っていた」
「そうかもしれないな」と永倉は認めた。「しかし、捜査というのはそんな風にできていないんだ。一度解決した事件をいつまでも構っていられない。俺はこの国へ来て、たくさんの事件にかかかわってきたが、大抵の事件は一応かたがついただけで、実際にかたがついたのは数えるくらいしかない。それに、動機、手口、状況、逃亡、告白、そのあとの自殺、これだけ揃えば一応かたをつけるのさ。どの国の治安維持組織もそんなものだし、時間がないのだ。小松が死んでいないと考える根拠は、彼にそんなことできるはずないと考えている人間がいることと、ほかに条件を備えた人間がいたことだけだ。だが、ほかの奴らは逃げもしないし、海の上で死んだりもしなかった。小松はそれをした。それにいい人間と言うけれど、不逞浪士の首をはねられるほとんどの人間が、大抵の人間が国のなかで優秀で人望のある人間なのだ。アサヒ夫人のような物静かで、育ちがいい人間なんだ。夫人の告白を読みたいのか。いいさ、読むがいい。俺は少し用事がある」
彼は立ち上がってひきだしを開き、手紙をデスクの上においた。「このなかに五枚の紙が入ってある。だが、見ているのを俺に見つかるなよ」彼はドアの方へ歩いていって、大久保中将の方を振り向いた。「俺と一緒に局長と話します?」
中将はうなずいて、彼のあとから出ていった。私は一人になると手紙を開いて数を数えた。全部で五枚入っていた。私はそのなかの一枚を懐にしまった。それから彼のデスクをあさって、適当な書類を手紙のなかにいれた。それから手紙を読み始めた。全て読み終える頃に永倉が帰ってきた。さっきのようにデスクに座ると、手紙をひきだしにしまった。
彼は眼をあげて、無表情で私に言った。「納得したか」
「これを持っているの土方は知っているのか」
「いや知らない。大久保中将は言わない。なぜだ」
「もし外部にもれたらどうなる」
彼は面白くなさそうに笑った。「もれないさ。すくなくともここからはもれない」
「君は土方があまり好きじゃないのだろう」
彼は眉をあげた。「俺がか。そんなはずはないだろう。俺らの副長だぜ。俺は君だった好きなんだぜ。もうでていってくれ。仕事が残っている」
私は立ち上がった。突然彼が言った。「近頃、刀を持ってであるいているか」
「もちろん」
「サクマ先生も持っていた。しかし使わなかった」
「話せば説得させる自信があったのだろう」
「そうかもしれんな。また会おうぜ」
私は部屋から出ると急に走りだした。どうやら私はサクマ先生ほどの気概を持ち合わせていないらしい。




