それなりの覚悟
久坂の借りていた邸に行った。坂本はなかなか姿を現さなかった。なにかを警戒しているらしかった。ここ数日で坂本はいろいろな筋の人間から追われる身になっていた。それだけ危険なことに手を出している証拠なのかもしれなかった。もう誰でも気やすく会える人物ではなくなっていた。もちろん彼はクマソ国の一部の人間にも追われていた。
私が門をくぐると、一人の老人が話しかけてきた。
「坂本様にようがあるのはあなたですか、失礼ですがお名前をうかがっても」
「すまないが名前は言えない。内密の話なんだ」
「お待ちを」
私は部屋に通された。部屋にはいってきたのはシ国の若い軍人であった。
「なんのようだ」
「それは言えない、サイトウという男が用があると伝えてくれ」
「サイトウって誰だ」
「オカダを殺した男さ」
「オカダって誰だ。ちゃんとわかるように話してくれねえか」
「青二才め。顔でも洗ってこい」
彼は微かに笑った。「待ってろ」
若い軍人は部屋から出ていった。
やっと坂本が現れた。「久しぶりだな、どうして俺を呼び出したんだ」
「人払いを頼む」
「大丈夫だ。ここでは俺ら二人だけだ。先程までは仕事の話をしていた」
「君が腹を切れば全てまるく収まるんじゃないのか」
「そうなれば、次はおまえがしなければならんだろうよ」
私は笑った。彼も笑った。「あの事件に関わらなかったろうな」
「知らないのか。また友達が死んだよ。そのうち皆が俺を死神でも見るようなめで見るだろうな」
「おかしなことだ」
「そうでもないさ。この前なんて西郷大将とお茶したんだ」
「あの人はなかなかの人物だ。俺は茶を飲まないがな」
「君が俺に優しくするように言っとくって言っていたぜ」
「あの人がそんなこと言うはずがねえ」
「じつはちょっと訊きたいことがあるんだ。久坂のことなんだか」
「さあ、俺も奴のことはあまり知らないな」
「まあ待てよ。久坂は確か金に困っていたろう」
「それで」
「君と久坂とコマツには面識がある。これは記録を調べればすぐにわかった」
「それで」
「はっきり言わないとダメなのか。君はどうして今までコマツのことを黙っていた」
「そんな話になったことは一度もなかったぜ。悪いことは言わねえから、これ以上の詮索は止しときな。下手をすれば命を落とすぜ」
「わかっているさ。君の命令に逆らうと、海の上でプカプカと浮かぶはめになるのだろう。だけどそれがどうした。脅かしたって無駄さ坂本。こっちはもうそれなりの覚悟はできているんだ。君は瀬戸内の小さな島に行ったに違いない」
「よせよ、もう少し利口に生きるんだ。この国は軍人なんていつどんな目にあうかわからないんだぜ。あのサクマ先生でもひどい目にあうんだ。新聞でも見な」
「そこまで言うなら買ってみるよ。俺の記事が載っているかもしれないからな。ところで、サクマ先生がどうした」
「いま言ったとおりだ。誰だって一寸先は闇だよ。俺はその場にいなかったがね、どうも馬に乗っているところを誰かに斬りつけられたらしい。下手人は覆面をかぶっていて顔がわれていない。まあ、サクマ先生もああいう性格だから敵は多いだろうよ。しかし、本人はどうして殺されたか死んでも気づかんだろうな。わざわざ下手人が馬の前に立ったとき、自分で馬からおりて下手人に説教を始めたらしい。そのまま額を斬られておじゃんだ。死人に口なし、これでサクマ先生も大きなことは言えやしない。おまえだって他人事じゃないんだぜ」
「その話を新撰組に話してやれよ。どうせなら一人くらい紹介てあげようか」
「やってみろよ」彼はゆっくり言った。
「俺に危害を加えるのはいいが、ついでに言うと俺はシズの根回しでここに来ている。あの女にも危害を加えるつもりなのかい」
「俺の言うことをよく聞け、これは忠告だ……」
「君たちはなにをしようとしている、坂本。君と西郷大将、コマツ、いまは生きているかわからないが、とにかくなにかとんでもないことをしようとしているに違いない。その時が来るまで穴蔵に隠れているんだろう」
「そうまくしたてるんじゃねえ」
彼は腕を組み目をつむった。私は待った。坂本はなにも話さずくたびれてきた時に口を開いた。
「一度しか言わん。コマツの件をばらすといろいろとヤバイことになる。コマツは仲介役だ。俺だってあの事件のことを聞いたときは戸惑った。おまえも奴のことを気にかけている。だから次のことを教えてやる。俺はコマツに紹介された人物と今も会っている。しかも、その知らせを持ってくるのはいつも梅屋敷の召使いなんだ。これでいいだろう。もう余計なことに頭を使うんじゃねえよ」
「ありがとう坂本。もう頭を使わないさ。君の秘密は誰にも言わないから安心してくれ」
彼は顎を使って出ていけの合図をした。私は邸から出ていった。私は歩きながらしばらく考えこんでいたが、やがてクマソ国の藩邸へ天草を呼び出そうと決心した。しかし、彼は外出中であった。名前を告げて急用があると若い軍人に伝えておいた。
私は旅籠屋に戻り、刀の手入れをしていた。刃紋の流れを見ながら熱心に打ち粉をつけていた。飾りのようになってある刀を久しぶりに抜いてみても、私の心はなんにも動かなかった。それは刀を持っている私にはひどく部相応な気持ちであった。好んで人を殺すものなど滅多にいない。普通の人間が武器を持って人を殺すことを学ぶのが軍隊であった。そうは言っても、やはり外れた人間も一定数いるものである。
天草が部屋に来たのはしばらくしてからのことであった。
「今回の事件は災難でしたね兄さん」と彼は座って一息ついた。
「そうだな」私は打ち粉を紙で拭き取りながら言った。「ところで、頼みたいことがあるのだが」
「できることなら手伝いますよ」
「キョウトのような国では様々な人がいるが、信用できる人間がいない。いい加減な人間に事を頼むのも俺の命が危うくなる。知りたいことは難しいことではないんだ」
「なんです」
「梅屋敷に出入りする人間を知りたい。ここ最近の状況を詳しく」
「なぜです」
「それは事件のためだ」
「信用できませんね」
「頼むよ。もう少しで全てが解るんだから」
天草は深いため息をついた。
「相変わらず兄さんは諦めが悪い。また会いに来ます。そのときはなにか土産話ができるかもしれません」
天草は部屋を出ていった。私は再び刀を眺めてみたが、どうでもよくなっていた。刀を鞘にしまってから、畳の上で転んだ。




