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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
47/61

拗らせた人間

 



 検察は審問を急いだ。しかしこの努力は無駄であった。たとえ名のある外交官であっても、いつまでも続く話題ではなかった。シ国では武市が吉田宰相暗殺の罪で腹をきらされた。それから一週間もたたないうちに、新撰組局長の近藤が何者かに撃たれた。こういった事件があり、この事件はすっかり忘れられた。


 私が証言を終えたとき、平野の姿が目にうつった。悪意のある笑みを浮かべていた。どうしてだかわからなかった。いつも通り古代風に髷を結っていた。平野の証言が始まった。落ち着いた声で、見た目に反していい印象を与えた。はい、主人はぐでんぐでんに酔っぱらっていることがよくありました。はい、腹を斬ろうとした夜に主人を落ち着かせて寝かせてくれました。はい、最後の夜に酒を持ってこいと言われましたが、断りました。いいえ、彼の仕事は外交官ということだけで詳しくは知りませんでした。しかし、いろいろ悩みがあるようでした。書斎に引きこもったまま何時間も出てこないことがよくありました。いいえ、誰かと口論しているところは見たことがありません。このような陳述が続いていった。あまり重要なことはなかった。平野に入れ知恵をしたものがいたらしい。


 アサヒは黒っぽい着物を着ていた。顔色は悪く、低い声で話した。幾分、検察の声が優しくなった。彼女ははっきりとした声で話していた。証言を終えると最後に一礼をした。検察は哀しそうな目で彼女を見ていた。


 彼女は私の方をみずに出ていこうとしたが、扉の前で少し顔を横にむけて、微かにうなずいた。遠い昔に会った顔見知りで、それが本人かどうかわからないような態度であった。


 審問が終わって外へ出ると、階段のところで大久保中将と出会った。階段から人混みを眺めているようだった。あるいはそう見えただけなのかもしれなかった。


「無事すんでなにより」と彼は顔を動かさずに言った。「お疲れさま」


「平野に助言したのか」


「俺じゃない。この事件とセックスは関係ないと検事側の意見が一致しただけだろう」


「どういう意味だ」


 彼は私の顔を見た。「別に君のことを言っているわけじゃないんだ」そして、奇妙な笑みを浮かべた。「俺は昔から何度も見てきた。そして、男を台無しにしちまう。そのなかでも今度のは特別だ。じゃあ失礼するよ。また仕事を頼むときが来るかもしれない」


 人々が私たちのそばを通りすぎていく。私たちは階段の途中で止まったままであった。大久保中将は煙草を吸いだすと、一度煙を吐いてからコンクリートの上に捨て足で火を消した。


「もったいない」と私は言った。


「たかが煙草だ。人の命じゃないさ。すべてが落ち着いたら、あの女と結婚するんだろう」


「よしてくれ」


「君にはいささか敏感な話題だったな。文句があるか」


「ないよ」と言って、私は階段を降りた。うしろから彼がなにかを言ったが振り返らなかった。


 私は道の外れにある古びた定食屋へ行った。なんとなくその店は落ち着いた。入ってみると、頭にねじり鉢巻を巻いた男や、柄の悪いものばかりで女性などよりつきもしないような店であった。店のサーヴィスも同じようだった。食べるものを放り出していく店員は無愛想であったし、なにも言わなければ割り増しの値段が取られかねなかった。たいした食べ物はでてこず見た目もまずかったが味はどれもすこぶる美味しくて透明な日本酒がよくあった。


 旅籠屋に戻ったときシズが「軍人さんのお客様が来てます」と言った。


 部屋にはいると大久保中将が座っていた。彼は私が入ると姿勢を正した。


「つまらないことを言った。忘れてくれ」


「忘れる必要なんてない。もっと話してくれ」


「面白そうだがよしておくよ。世間にはいろいろな人間がいるものだが、俺は反りが合わないからといって意地悪くはしたりしないさ」


「また仕事を頼むとはどういう意味だ」


「意味なんてないさ。ただなんとなく君にはこれから仕事でよく会う気がしただけだ。西郷さんに会ったんだろう。彼が部下に言いつけて、土方や永倉に個人的な知り合いだと言いつけたんじゃないかと思ったんだ」


「そんなことしてくれるはずがないよ」


「会ったんだろう。君のために時間を割いてまで」


「会った。しかし、それだけだ。俺はあの男が好きになれない。どうしてだかわからない。わざわざ俺のような下端に忠告してくれた。大物で食えないところがある。その他のことは知らない。だが、悪い人間ではないのかもしれない」


「あそこまで登りつめた人間にいい人間なんていやしないさ」と大久保中将は平然と言った。「西郷さん自身は間違ったことをしていないと思っているが、どこかで血を流しているものはいるし、飢えに苦しんで二束三文で子供を売らなければならない社会は続いているし、罪のない人間は重税で苦しんでいるし、貴族どもは財産を守ることしか頭にないし、素晴らしい知恵をもった若者たちは野望を抱いて高い地位につきたがっている。誰も弱者には見向きもしない。大きな財産や権力は善人には手に入らない。自分で善人と勘違いしているか、周囲が勝手に作ろうとしているイメージにすぎない。それが世間のからくりだ。仕方がないのかもしれないが、いい世の中とはいえない」


「正義派みたいだな」と私はからかって言った。


「そうかもしれない」と彼は真面目に言った。「だがまだ尋問をされたことはない。君は自殺説で満足なのか」

「もちろん、ほかになにもないよ」


「そうだろうな」彼は腕を組んで考え始めた。「俺もいい年になった。もう古い人間で、用のない人間かもしれない。俺は今度の事件でどうも気にくわないところがある」


「どんなところだ」私は壁によりかかった。彼の目が光るのを見ていた。


「どうしてもつじつまが合わない所がある。どうすることもできないことはわかっている。遺書を残していないというのが気に食わん」


「酔って、情緒が不安定だったのだろう」


 大久保中将は腕組みをやめて、拳を膝の上に置いた。「俺はデスクを調べた。あの男は報告書のほかに自分に向けた手紙まで書いてあった。あれだけの量だと酔っているときも正気の時も書いてあったに違いない。とりとめのない文章や、おかしいものもあった。なにかについて悩んでいたらしい。書いてあることにひとつの傾向のようなものを見えるが、その事についてははっきりと書かれていない。自殺であるなら、何かしらの遺書の一枚があっても不思議はないんだ」


「ただ酔っていただけさ」


「いや、あの男にはそんなこと関係ない」と中将はかぶりを振った。「次に俺が気に入らないのは、あの部屋で死んで女房に発見させたことだ。たまたまだというのだろう。それでも俺は気に入らないのは。もうひとつは、君が家にいたのに、呻き声ひとつ出さずに自殺したことだ。自刎しようとしたんだぜ。なにか声が出てもおかしくないんだ。これもたまたまだというのか。飯使いが休暇の時に夫人が買い物にいっていたこともか」


「すぐに帰ってきたのなら問題はないだろう」


「わかっている。俺は万が一のことを言っている。あの女は平野もおらず、一人にしてはいけない男を一人にしてでいったんだ」


「疑いすぎさ中将」


 彼は苦笑した。「よろしい。こういう考え方はできないだろうか。ヒサタケは長椅子で眠っていたか、酔いつぶれていた。誰かがデスクの中の脇差を持ち出していた。あの女はちゃんと脇差をデスクにしまっていたんだ。そこで、こう考えてみよう。邸に入ると、君が徳利をもって客間にいくところを見つけ、書斎に戻りひきだしから脇差をとりだし、ヒサタケの首を刺した。それから君がもどってくるまでに邸の外へ出て、また門から邸に入ってきた。どうだろうか」


「返り血は?どうして声がでなかった」


「返り血なんぞは羽織を裏に着ればどうにでもなる。呻き声はな、あの家にはたくさんの睡眠薬があった。あれを酒に大量にまぜておけばそのまま死ぬか、そうそう起きることはないさ」


「動機は?」


「そこだよ」彼はイラついた口調で言った。「そこがわからないんだ。殺すほど憎いなら離婚すればよかった。男はアル中で、暴力をふるったこともある。動機がわからない。でも、とにかくタイミングができすぎている。もう五分遅かったなら、君がぐるでない限り殺すことはできなかった」


 私は反論しようとしたが、彼が手を挙げて制した。「別に誰かの仕業にしようというわけではない。ただ考えてみてくれ、あの女が殺人をやったとすれば、せめて十分間は必要だったんだ」


「その十分を予測するのは不可能だし、計画することはもっと無理だ」


 彼は再び腕を組みため息をついた。「わかっている。どの問題にも答えがある。俺のような人間でも答えられるようなものがある。だかそれが本当の答えなのか。だいたい君はその連中たちとなにをやっていたんだ。あのテーブルに置かれた金は君に渡すものだったのだろう。君を雇おうとしたと君はいう。どうせ受けとる気もなかったと君は言う。そうかもしれない。ヒサタケは君が女房と寝ていたとおもっていたのか」


「よしてくれ」


「寝ていた事実は重要ではない。あの男が君を疑っていたのか聞いているのだ」


「返事は同じさ」


「では、平野はなにを握っているんだ」


「俺はなにも知らないよ」


「奴は金を持ちすぎている。あんな召使いのような浪人に金を渡しすぎるのも感心できない」


「自分で稼いだのかもしれない」


 中将は立ち上がって、私に顔を近づけた。

「はっきり言って君は運が良すぎる。危ないところを何度も切り抜けている。まあ、自信もついてくるだろう。ああいう連中にいろいろ尽くしながら一文ももらっていない。俺が聞いたところによると、コマツにもいろいろと尽くしたが一文も貰っていないようじゃないか。もう仕事をしなくても生活ができるほど裕福なのか」


 私は軽く微笑んだ。「俺は拗らせた人間なんだ、中将。子供が泣いていれば助けたくなるし、腹を空かせている人にはなにかあげたくなる。そんなことばかりしていると金なんかはいってきやしない。世間で立派にやっている人間なら、窓を閉めて布団のなかにくるまっているよ。あるいは酒に酔って聞こえないふりをする。他人がどんなに困ろうと知ったことじゃない。首を突っ込めばつまらない考えに押し潰されそうになるしね。友達を助けるために色々なことに関わった。そのお陰で妻とで会いはしたが金にはならなかった。金になるはずない。あなたならこんなことはしないだろう。だからあなたは立派な軍人になって、俺は先生になりそこねて下端の軍人になっている。アサヒ夫人が夫の心配をしていたので見つけてきて、家に連れ帰った。次のときは、彼が呼んだので中庭で倒れているところを部屋に運んで寝かせた。まったく金にならない。ときどき尋問を受けて、殴られたり唾をはかれたり、坂本のようなヤクザ者に脅かされるだけだ。金になりゃしない」


「なぜ俺にそんな話をする」中将はそっけなく言った。


「理由はない。俺は拗らせた人間なだけだ」


「それも聞いた。だから金にならない」


「だけど、いつでも君たちのような人間にくたばりやがれと言うことができる。そうだろう、中将」


「両腕を縛られて銃を突きつけられたらそんな言葉口にできないだろうよ」


「機会があれば試してみよう」


 彼は手荒く襖を引き開けた。「自分ではきのきいた考えをもっていると思っているようだが、ただ馬鹿なだけだ。君にはなにも変えることはできない。口だけなんだ。俺は軍人になってずいぶんになるが、自分の考えが絶対に正しいと思ったことは一度もなかった。しかし誰かが決めなければならないし、やらなければならない。それに、一度進めば止まることなど許されやしない。俺の言っていることが間違いなのか。いや、そんなはずはない」


 彼は頭を引っ込めて襖を閉めた。階段をじゃけんに降りていった。その音が聞こえなくなって、シズが部屋にはいってきた。


「村田という人がお見えになっております」


 私はため息をつきながら頷いた。


 村田はおずおずと部屋にはいってきた。


「お久しぶりです、サイトウ少佐。ヒサタケさんのことビックリしましたよ」と言って彼は腰を下ろした。


「酔っぱらって自刃したのですよ。アサヒさんは家にいませんでした。平野もいませんでした。なに、平野をご存じない。安心してください、あれは召使いのようなものです」


「あなたは彼と二人きりだったのですか」


「一緒にいたわけじゃない。夫人が帰るのを待って部屋の外にいたのです」


「なるほど尋問があるでしょうね」


「もうすみましたよ村田さん、自殺です」


「そうですか」と彼は残念そうに言った。「あれほどの人物であったのに。アサヒ夫人には手紙を出します。夫人のためになにかできることがあるでしょうから。あなたは結局、依頼を引き受けたのですね」


「いや彼から頼まれましたが断りましたよ。アル中に酒をやめさせることは俺にはできないのでね」


「少しでも助けてやろうとおもわなかったのですか」


「そりゃ思いましたよ。村田さん、あなたは事情を聴いてから物を言うべきだ。俺が全然責任を感じていないわけじゃないんですよ」


「もちろんそうです。失礼しました。アサヒ夫人はまだ家にいるでしょうか。あなたはご存じですか」


「俺は知りません。直接うかがったらどうです」


「まだ誰とも話す気になれないのではないでしょうか」


「問題ないでしょう。彼女は落ち着いてハキハキ答えていましたよ」


 彼は唸った。「あまり同情していられないようだ」


「ヒサタケは死にました。古い付き合いの俺がいうのもなんだがいささか才能もあった。だが、そんなことはどうでもいい。さんざん迷惑をかけて、最後は勝手に死んでしまった。なぜ同情しなきゃならん」


 彼は部屋を出ていった。私は見送りもしなかった。


 それから私は手紙を書いた。それをシズに渡して届けてくれるように言った。






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