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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
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空虚

 




 新撰組の屯所の壁に背をむけて、平野が椅子にかけされていた。尋問室のある部屋に入っていくために彼のそばを通ると、平野はギラついた目で笑いかけてきた。尋問室には成り上がりの過程がわかるように壁に数々の感謝状がかけられていた。その多くがカントウ国の将軍からのもので、どの勘定にも新撰組局長近藤の文字がかかれてあった。中央のデスクには灰皿と煙草が置かれてあった。土方が煙草をふかしていた。この男は馬上でも煙草を吸っていることがあった。鉢金をつけて煙草を咥えながら馬に乗り、颯爽とかける姿はなかなかさまになっていた。鼻が高く鳥を連想させる横顔は勇ましく、顎には肉がまったくないとおわれるほどひきしまっていたので、浮世絵にでてきそうな顔であった。彼は写真に写るのが好きであった。年は三十くらい、カントウの田舎からキョウトにやって来た。彼には田舎の野暮ったさは感じられなかった。髪は長く、皮膚は少し焼けていて、何事にも物怖じしない胆力があり、ちょうど頭の固さもそんな感じであった。しかし、彼は部下に慕われていた。部下によくない人間がいた場合、彼は隊の規則を使って彼らを成敗したが、土方の地位は揺らがなかった。汚いことをたくさんしていたが、彼の評判は上がるばかりであった。実際、彼の尋問は気をつけなければならなかった。なにをでっちあげられるかわかったものではない。


 最近になってようやく土方の地位を狙う人間が現れたが誰も成功しなかった。必ず土方が勝った。そのあと、破れた人間は一人のこらず腹をきらされた。彼は腹を切るものを見物しながら、酒を飲んでいたらしい。


 大久保中将と私が入っていくと、土方は椅子から立ち上がった。彼はちょうど妾の待っている家へ帰ろうとしているところであった。私の姿を見ると、「久しぶりだな」とニヤリと笑った。それから、土方は興味がなさそうに私をみていた。彼は隣にいたがたいのいい武骨な中背の男に話しかけた。「用があるなら家にいる。永倉さん」


「了解です」


 土方は煙草を灰皿に押しつけて火を消した。彼はお休みを言って、目がくりくりした少年と一緒に出ていった。見習いの隊士であった。彼がいなくなると、永倉は土方の座っていた椅子に座った。大久保中将はデスクの端に座って上機嫌であった。


「さあサイトウ、話してくれ」永倉は感情をこめずハキハキと言った。


「どうして奴は俺の尋問をしないんだ」


「不服なのか」


「そういうわけじゃないが」


 大久保中将が笑いだした。「わかっているくせに」


「あんな男でも女の前で鼻をのばしたりするのだろうか」


「余計なことを喋るな」と永倉が言った。「ちゃんと話をしろ。始めから」


 私は言われた通りに話した。村田という男に会ったこと、アサヒに依頼されたこと、ヒサタケを助けたこと頼まれたこと、それから後のことなど。書記が記録をとっていた。私だけが喋っていた。事実だけを話した。それ以外のことは言わなかった。もっとも事実の全てを話したわけではなかった。なにを話すかは、それは私が決めることであった。


「よくわかった」と永倉は私が話し終えると言った。「しかし、全部ではない」永倉という男は新撰組にいながら脳ミソが筋肉でできているわけではないようだ。たとえ新撰組といえども、組織にはこういう人間が一人はいなくてはならない。「ヒサタケが腹をきろうとした夜、アサヒ夫人と部屋にはいって何時間かすごしたのだろう。なにをしていた」


「夫人に呼ばれて、彼のようすを話していたんだ」


「なぜ襖を閉めた」


「ヒサタケは興奮していて、話を聞かれたくはなかった。平野が聞き耳をたててうろついていたのも気になった。それに夫人から襖を閉めるように言われた。こんなことが問題になるなんて思ってもみなかったよ」


「どのくらいの時間いたんだ」


「よか覚えていないが、すぐに出たよ」


「二時間じゃないのか」と永倉は無表情で言った。「俺の言っている意味がわかるか」


 私は大久保中将を見た。中将は煙草を咥えながら、壁にかけられてある感謝状を見ていた。


「君が考えているようなことはなにもないよ」


「それはすぐにわかるさ。君は部屋を出ると、客間の長椅子で夜を明かした。もうほとんど朝だったのだろう」


「いや、夜が明けるまで充分時間はあった」


「平野を呼んできてくれ」永倉が言った。


 書記が部屋を出ていって、平野を連れてきた。彼らは平野を椅子に座らせた。永倉が簡単な質問をした。それから改めていった。


「ところで平野、サイトウがヒサタケを寝かせたあとどんなことが起こった」


 彼が言うことは大体想像ができた。平野は抑揚のない奇妙な声で話した。彼の言うところによると、自分が騒ぎを聞きつけたとき部屋でねていたというのだ。そうして、夫人の声が聞こえてから自分は起きて部屋を出た。アサヒ夫人の部屋の襖はわずかに開いていて、服を脱ぐのが見えた。それから襖が閉まった。自分は部屋に戻った。二時間ほどたつと、夫人の部屋の前で様子をうかがった。夫人の声がきこえ、サイトウ少佐のささやく声がきこえてきた。いかにもなにか仄めかした話し方であった。話し終えると、私の方を見て嘲笑うような表情をつくった。


「つれていけ」と永倉が言った。


「待ってくれ」と私は言った。「質問がある」


「それは俺の仕事だ」と永倉が言った。


「こんな質問のしかたがあるか。君は現場にいなかった。こいつは嘘を言っている」


 永倉は身体をそらせ、一本の煙草に火をつけた。口から煙を吐いてから「よかろう」と静かに言った。


 私は平野の方にむきなおった。「夫人が服を脱ぐのをどのように見たんだ」


「廊下を歩いていると、襖が開いていたからそこで見た」


「夫人はどこにいた」


「襖に入ったすぐのところだ」


「部屋の灯りはどうだった」


「ついていなかったよ」


「部屋の明るさはどうだった」


「明るかったよ。満月だったから」


「灯りがないのに」


「ああ、そうだ」


「夫人は服を脱いだと言ったな、どんな服だった」


「白いのだ。それを帯で結んだ」


「嘘を言うな、そんな状態で夫人が服を脱ぐ姿が見えるわけがない。覗きもしないで、廊下を歩いているだけならなおさらだ」


 彼は黙って私を見つめていた。私は大久保中将の方を見た。「中将は邸を見ている。永倉は見ていない。そこからは夫人が見えないんだ、覗き込んだり、昼間なら別の話だが、彼は歩きながらわずかに開いた襖の間から見たと言っている。また夫人が襖のそばにいたと言うのならそれは難しくなる。あの部屋には窓がないんだ。襖の近くで服を脱ぐことだって普通では考えられない」


 永倉は私をしばらく見つめていた。それから平野の方を見た。「時間のことはどう説明する」と彼は私に尋ねた。


「俺は証明できることを証明しただけだ」 


 永倉は早口で平野を罵倒した。平野は不機嫌な顔になった。


「つれていけ」と永倉は言った。


 書記が立ち上がって平野を連れていった。永倉は煙草を灰皿に捨て、もう一本すいはじめた。それから静かに言った。「あいつみたいな浪人なんぞ偽証罪でぶちこんでやってもよかったんだ。しかし、表情はあまり崩さなかったな。それなりの覚悟があったのかもしれない。なにをしでかすかわからない奴だ。もし奴が邸にいたのなら有力な容疑者になっていたろうに。ただ奴なら、寝ている被害者を起こしてから殺すだろうな。尋問しているとヒサタケが死んだことを悲しがっているようだった。まだなにか聞きたいことがあるか、大久保さん」


 大久保中将は頭をふった。永倉は私の顔をみていった。「朝もう一度きてくれ。どうしたサイトウ、なにか気に入らないことでもあったのか」


「まるで俺が気に入っているような口ぶりだな」


「わかったよ」彼は面倒くさそうに言った。「とっとと出ていってくれ。俺は家に帰る」


 私は立ち上がった。


「平野の言っていることを本気にしたわけじゃない。気を悪くしないでくれ」と彼は言った。


「なんとも思っていないよ、中将」


 彼らは私が出ていくのを無言で見送った。私は長い廊下を歩いて外に出て、そのまま旅籠屋へ帰った。


 私は夜道の暗闇のように空虚であった。旅籠屋に帰ると女将さんから酒をもらって、窓を開けて飲んだ。どこかの酔っぱらいが鼻唄を歌いながら歩いている。遠くの方では蒼いだんだらを着た男たちが大声をだしながら走っている。キョウトでは二十四時間、誰かが逃げ、誰かが捕まえようとしている。誰かが斬られ、誰かの夢が潰え、誰かの家族が悲しみにくれている。軍人でない人々、商人も農民も行き場のないものたちも、人々に殴られ、金を奪われ、暴行を受け殺されている。そういった負の連鎖に悲しみや怒りなどはどれほど価値があるのだろうか。キョウトという国が例外なのではない。発展し、活気があって、権威もあるが、それ以上に闇の深い国であった。


 すべてはどんな人間と付き合い、そのコミュニティのなかでどのような地位を占めているかで決まった。もちろん、私にはさんな人間などいなかったが、そういうものに関心もなかった。


 私は酒を飲み干し、部屋に転がった。






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