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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
42/61

秘密

 



 一週間が過ぎた。ヒサタケの家からなんの連絡もなかった。ときどき雪が降ったりした。雪は寺社や民家の屋根を白色に染めた。道を歩いていると寒さで思わずはなが赤くなった。久坂が数々の浪人をつれてたて籠った貴族の家は、いまは焼け跡になっていた。たしかに、彼は派手な花火を打ち上げたのだった。その日は雪が降っていて、久坂が腹を切るときにも、その雪が目に入ったのだろう。彼が静かに降っていく雪を眺めながら、自害するまえに見た光景は、悔し涙だけではなく彼になにか訴えかけたのかもしれない。もちろん、私も雪のなかで貴族の家が派手に燃える光景を見たし、その光景は痛ましい久坂のことよりも、このキョウトで白と赤の鮮明の色が私を魅了したのだった。なぜだかはわからなかった。そんなことは誰にもわからないのかもしれない。


 私は天草に手紙を出した。私は手紙を出し終えると、部屋に転がって眼をつむった。私は悩んでいた。


 しばらくして、天草が私の部屋にやって来た。彼は入るなり、私が転んでいるそばに座った。


「久しぶりですね兄さん」


「あのファイル以来だな。迷惑をかけたよ」


「気にしないでください。兄さんの力になれれば、なんの問題もありませんよ」


「思ってもないことを」と私は笑った。


 天草はなにも言わなかった。部屋は奇妙な沈黙に包まれていた。


「じつは、小松の事件で腑に落ちないことがあるんだ」


「またそんなこと言っているのですか。あの事件はもう終わりましたよ」と天草は静かに言った。「余計なことに首をつっこむと大変なことになりますよ」


「先週、趣味の悪い洋館で西郷大将と会ったよ。どんな話をしたか聞きたいか」


「西郷大将、大物だ」彼は笑いながら言った。「嘘じゃないんですね」


「色々な話をしたよ。呼ばれたから行った。コトと言う女が、頭を刺されたと言った。短刀でだ。知っていたか」


「いいえ、それで」


「事件のあと、俺は小松の脇差しを偶然確かめたんだ。しかし、人を刺した形跡は見られなかった。少々話が違ってくるだろう。だが、誤解しないでほしい。事件を探っているわけではないんだ。もう、あの事件は終わったからね。で、小松とヒサタケはいつ仲良くなったんだ」


 天草はすぐに返事をしなかった。彼は転んでいる私を冷ややかな眼で見下ろしていた。「そんなこと僕が知っているわけないですよ」と無理に笑って見せた。


「誤魔化すなよ天草。おまえは俺より早くキョウトに来ている。俺の予測だとその辺りから親密になったんじゃないか。おまえは小松と一緒に仕事をしていたから知っているはずだ」


「いいえ、知りませんよ。兄さんは僕になにを聞きたいのですか」


 私は天井を見ながら、ため息をついた。


「質問を変えよう。天草は小松の遺体を見に行った。顔がぐちゃぐちゃだったといった。じゃあどうしてそれが小松だと判断したのだ」


「紋付きの羽織を来ていました」


「それだけで」


「背丈も同じくらいでした」と天草は落ち着いていった。


「奇妙な話を聞いたんだ。ある男が芸子を殺害して、刺し傷を隠すために顔をぐちゃぐちゃにした話だ」


 天草は眉を潜めて私を見た。私は彼から眼を離さなかった。男前と言うのは顔を崩しても様になるものだと思った。


「よしましょう兄さん、もう終わったことです」


「小松はどこにいる」私は低い声で言った。


 天草は急に立ち上がった。「僕が話せることはなにもないです。さよなら兄さん」そう言って彼は出ていった。私は彼を追わずに天井をしばらく眺めていた。


 それからしばらくして、ヒサタケから手紙がきた。


 私は雪のなかをひとりで歩き、ヒサタケの家まで来た。門をくぐって中へはいった。ヒサタケが自ら出迎えてくれた。顔色は明るく気分も良さそうであった。


 彼は私を書斎へ案内した。デスクの向こう側に腰を下ろした。デスクの上には書類やら手紙が何枚か積まれている。私は長椅子に座った。


「よくきてくれたサイトウ。なにか飲むかい」


 私は返す言葉が見当たらず困惑した笑みを浮かべた。彼も同じだった。


「僕は飲まないよ」と彼は言った。


「酒はのみたくないな。お茶ならもらおうか」


 彼は声をあげた。すると平野がやってきた。機嫌が悪そうなむっつりとした顔をしていた。ヒサタケはお茶二つを注文した。平野は私を睨み付けて部屋を出ていった。


「仕事か」と私はデスクの上の紙を指差して言った。


「そうだ、くだらないよ」


「そんなことはないだろう」


「いいやくだらないね。よくよく考えてみると、この仕事は僕でなくても良かったのかもしれない」


「贅沢な悩みだ」私は煙草を口に咥えた。


「君はそういうが、仕事に携わっている人間なら、僕の言うことには理解してくれるはずだ。たしかに僕は家柄がいい。しかし、そのおかげでこんな分不相応な仕事にかかわる羽目になっている。まったくバカな話じゃないか。こんなことをしていると、他の人は僕に尊敬の念をもったりする。もちろん、全員ではないけどね。でも複雑だよ」


「よくわかっているじゃないか。この間よりまともに話せるようになったみたいだな」


「だが僕に必要なのは、話すことじゃない。自分を信じることだよ。自分を信じられない人間は、分不相応の仕事を押し付けられると、なんにもできなくなってしまう。足しかに、今僕がこの仕事にかかわっているのは、僕の力ではないだろう。だけど、それがどうしたっていうんだ」


 彼は腕を組んで、デスク越しに私を見た。


「僕が自殺しようとしたとアサヒが言った。本当かい」


「覚えていないのか」


 彼は頭をふった。「頭を怪我したことしか思い出せない。気がついたら布団の上で寝ていた。そして君がいた。彼女が呼んだのか」


「そうだ、彼女から聞かなかったのか」


 彼はなにか考えていた。襖が開いて、平野がお茶をもってきた。彼は私の方を見ないでお茶をおいた。


「なにか作ってくれないか」とヒサタケが言った。


「私は料理人ではありませんよ」


「簡単なものでいいんだ、友人が腹をすかしている」


「あなたは友達と思っているようですが」平野は皮肉な笑いを浮かべた。「奥さんに聞いてみるといいですね」


 ヒサタケは椅子に持たれて微笑んだ。「言葉に気を付けるんだ、僕の言うことを聞いてくれるね」


 平野はうつむいた。やがて薄笑いをもらした。「わかりました。いま朝食を持ってきます」彼は部屋を出ていった。


「昔はもっと素直だったんだがね。反抗期だろうか、ちっとも言うことを聞かない。そのうち、あいつがなにか指示してくるのかもしれない。僕はあいつに少しばかり知恵をつけさせすぎた」


「思想のことか、それとも知恵と言う名の金のことか」


「たとえば」と彼は低い声で言った。


 私は立ち上がって懐から手紙を出した。「読んでみてくれ。君に破いてくれと言われた手紙だ」


 彼は手紙を読み始めた。外で野良犬の鳴き声がした。彼は息をひそめてゆっくり手紙を読んだ。読み終えると、紙を丁寧に畳んでデスクの上に置いた。


「これを彼女に見せたのか」と彼は真剣な顔をして言った。


「わからない。見たかもしれない」


「考えられないことが書かれているな」


「俺はいいと思うな、とくにこの、どんなに洗っても落ちない汚れがあるというところが気に入った」


 彼はもう一度手紙を手に取って、いまいましそうにくしゃくしゃにして屑籠のなかにそれをいれた。


「酔っぱらいなんてものは、センチメンタルになって空想を言葉にするものさ」と彼は落ち着いて言った。「特に深い意味なんてないさ」


「もう一度酔っぱらえば、思い出すかもしれないぞ。君が自殺しようとした夜、君は俺に正気でなかったと思わせようとしている。しかし、君は正気だった。いま書いたことを覚えていないふりをしているだけだ。センチメンタルになるのは当然だよ」


 彼はデスクのひきだしから茶色い封筒を取り出した。


「ここにいくらかの金がある」


 私は封筒には目もくれず、じっと彼を見ていた。口の端は緊張したように結われていた。眼はすわっていた。


「君はなにか僕がとんでもないことをしたのだろうと思っているのだろう」と彼はゆっくり言った。「例えばね、君の友達の事件に関わっていると思っている。確かに、あの女はだらしのない女だったよ。平野が僕とあの女が面識があることを知っている。しかし、彼が言うはずない。君はおかしいと思うだろうが、僕は平野を信じている。口を割るはずがない」


「口を割ったところでどうってことない。西郷大将がこの事件から手をひきたがっている。それに彼女は殴り殺されたわけではない。短刀で頭を串刺しにされたんだ」


「確かに、女でも護衛のために短刀を持ち歩いているのかもしれない」と彼は小声で言った。「たが、刺殺されたのは知らなかった。そんな情報なんて出回っていない」


「知らない?覚えていないの間違いじゃないのか」と私は言った。


「僕を疑っているんだな、サイトウ」彼は優しく言った。「いったい僕にどうしろと言うんだ。妻にはなせばいいのか。新撰組に相談すればいいのか。それがどうなるっていうんだい」


「どんなに洗っても落ちない汚れがある」


「僕はただ、そんな風に言ったんじゃないと思う。常識的に考えてみればわかることだろう」


「君が殺したとは言っていない。君が悩んでいるのは、自分を信用できないでいるからだ。君は妻を殴ったことがあるのだろう。感情が塞ぎこむと、自分を失ってしまうところがある。男にだらしないからと言って、女の顔を潰す人間がいない理屈にはなりはしない。現に誰かがやっているんだから。そして、それをやったとされている人間は、君よりも遥かにそんなことをしないと思われる人間なんだ」


 彼は開けっぱなしにされている襖まで歩いていって、曇天の空と中庭を眺めていた。雪は止んでいた。しばらくして、平野が部屋に入ってきた。


「なにかお飲みになりますか」と平野がヒサタケに聞いた。


「日本酒をもってこい」ヒサタケはぶっきらぼうに言った。


「すみません、日本酒はいま切らしています」


 ヒサタケは平野をふりかえって怒鳴ったが、彼は顔色を変えなかった。平野はデスクの上に置かれてある封筒を見つけた。そして、私をみてウィンクをした。それからヒサタケを見た。


「今日はお暇します」


 彼は部屋を出ていった。ヒサタケは苦笑した。


「僕がとってくるよ」と彼は静かに言って、部屋を出ていった。


 テーブルの上には、平野がもってきたサンドイッチが置かれていた。私はその一切れをつかみ、立ったまま食べた。ヒサタケが徳利と杯を持ってきた。彼は長椅子に座り酒を自らつぎ、一気に飲み干した。


「君も座りたまえ。さあ、くつろいでくれ」とヒサタケは言った。「しばらくは、我々二人きりだ」もう顔が赤くなっていた。声も荒々しくなっている。「君は僕のことが嫌いなんだろう」


「その話しはもう終わったよ」


「わかっているよ。君は本当に遠慮をしない人だ。目的のためならなんだってする人間だ。僕が怪我をして寝ている間、妻を口説いていたんじゃないのか」


「あの古代マニアの気違いの言うことならなんでも信じるのか」


 ヒサタケはまた酒をつぎ、杯の中身を珍しそうに見ていた。「そういうわけじゃない。四十九年、一睡の夢、一期の栄華、一杯の杯。これは、まあまあだね。失敬、僕には似合わないね。君はどうしてここにいるんだい」


 彼はまた杯をぐっと傾けた。そして、にやにや笑いながら私を見つめた。そのうちテーブルの封筒を手にとった。


「なんの金だろうか、ねえサイトウ」


「芝居はよせよ」私は怒気を含めて言った。「奥さんはどこにいる」


 彼は大袈裟に手を動かした。「妻はしばらくして戻ってくるよ。まあ、僕が酔いつぶれる頃だろうけど。そっちのほうが、君にとっては都合がいいのではないか。べつに、邪魔する気はないのだけど」


「脇差しはどこに置いた」


 質問の意味がわからないようであった。私は庭に投げた脇差しの話をした。


「ここにはないよ」と彼は言った。「探したければ探せばいい」


 私はデスクのひきだしを調べた。脇差しはなかった。おそらくアサヒがどこかに隠したのだろう。


 彼は虚ろな眼で私を見た。そして、茶色の封筒を荒々しくテーブルの上へ投げて、デスクのひきだしを開けた。


「金額が少なかったわけだ」と彼は言った。「君は少ない金では動かないらしい、けっこう。妻をつけてもまだ充分ではないらしい。だが、あいにく持ち金がこれだけしかないようだ」


「帰るよ」と私は言った。


「なぜだ、思い出してくれと言ったじゃないか。もう少し酔っぱらったら、僕があの事件についての全てを話してやる」


「わかったよ。もう少しいることにする。だが、ここは嫌だ。僕は部屋の外にいくから、用があれば壁に本でも投げてしらせてくれ」


 私は部屋を出ていった。広い部屋を通り抜けて、縁側に寝そべった。空は相変わらずの曇天であった。山から冷気を含んだ風が吹いていた。この風は空気を清め、肌寒かった。ヒサタケの家は静かで快適であった。おそらく、そういう風に計画的に造られたのであろう。人工的な楽園は、誰でも掴むことのできるものではなかった。一握りの階級の人間だけが行ける場所だ。社会のほんの一握りのひきだしに入ってある人間だけだ。西郷大将やヒサタケ、小松のように。造られた楽園、ここはそんな住宅街だ。





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