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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
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西郷大将

 



 旅籠屋に帰って、服を着替えると少しすっきりした。朝飯を食べて、部屋に戻って窓を開け、煙草をふかしていた。

 いつまでも時間が過ぎない朝であった。私は疲れていてなにもする気になれなかった。外の道では、商人が開店の準備をしている。私はそんな景色をぼんやりと眺めて、考え事をしていた。しかし、わからないことだらけでイライラしただけであった。 


 普段なら午前中から酒を飲むことはしなかった。神経が敏感になりすぎて、昼ごろにはぐったりしてしまうからだ。だが私は階段を降りて、女将さんに頼んで酒を出してもらった。盃を二つ用意して、それに酒をついだ。それから、また煙草をふかした。

 昼近くにると、襖越しにシズの声がした。「いまよろしいですか」と彼女が言った。


 私は襖を開けて彼女を通した。彼女は部屋の隅にちょこんと座った。私は彼女と向き合って座った。


「少し散らかっていますね」と彼女が言った。「お掃除しましょうか」


「少し散らかっているくらいが落ち着くのです」


「変わっていますね。小松さんもそんなに変わっていたのですか」と彼女は笑っていった。「もし小松さんが彼女を殺していないのなら、犯人は普通じゃありませんね。気違いか、酔っぱらいです。そんな人間でないと、顔をぐちゃぐちゃに出きるものではありません。だから、あなたはヒサタケさんに接近しているのでしょう。ヒサタケさんが酔いつぶれれば様子を見に行くし、行方がわからなくなれば捜しに行く、そらから……」


「あなたは少し勘違いをしている。小松は俺になにかしてくれたかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。彼が俺に頼んだことは、キョウトから出してくれということだけだ。俺がヒサタケと関わりを持ったのは、ある軍人がヒサタケの外交の仕事を成功させようと躍起になっていたからで、そのためヒサタケになにかあっては困るし、奇行の原因も探らなければならなかった。もし悩みを探しだすことができたとしても、悩みを取り除くことはできない。しかし、やってみることくらいはできます」


「ヒサタケの悩みなら、私は坂本から聞いています」と彼女は言った。「彼が結婚した女のせいです」


「俺はそうだとは思わない」


「よくご存じなのね」彼女の眼が怪しく光った。


「失望させて申し訳ないが、一緒に寝たわけではない。詮索はよしてください」


 私は立ち上がって、窓を閉めた。


「彼女と寝ている男はひとりもいないと思いますよ」と彼女は私の背に言った。


 私はまた同じとこに座った。「やっと自分のことを言う気になりましたか。シズさん。なぜですか、あなたは変わった男が好きなのですか」


「またデタラメですね」と彼女は不快そうに言った。「坂本があんな醜態をさらしたからといって、私を侮辱していい理由にはなりません。いいえ、私はヒサタケさんに想いをよせてなんかいません。坂本の紹介で彼と会った最初の頃でも考えたことがありません。いまの彼ならなおさらです」


 私は彼女の眼を見た。彼女はまっすぐ私を見つめ返した。


「この世界を変えようとする人間が考えることなど俺が想像できるわけがない」と私は言った。「言いたいことを言わせてもらいます。ああいう情緒が不安定で酒に溺れる人間は、遅かれ早かれだらしない女と関係をもつことになります。ヒサタケはそれに当てはまります。しかし、あなたはだらしない女じゃない。この間の出来事は坂本の突発的な暴走と考えられないこともない。それなら、俺はあなた以外にだらしない女を探さなければならない。ここまで言えばわかるはずです。その人物はあなたと俺に近い人物です。そうでなければ、わざわざあなたが気にすることもない」


 彼女はじっと座っていた。腿の上で拳を作っていた。

「あなたは無駄なことをなさらないのですね」と彼女はやっと言った。「その軍人があなたのことを思いついてよかった。あなたの直感に大体まちがいはありません。これからどうなさるのです」


「とくになにも」


「あなたは小松さんに対して責任を感じないのですか。まだやるべきことが残っているでしょう」


「あなたが言っていることは変ですよ。なんの為にここにきたのですか」


「あなたに会いたいという人がいるのです」


「西郷オヤジですか」


「そのように呼んで大丈夫なのですか」


「問題ないでしょう。どうやら軍服を着ていったほうがよさそうだ」と私は言った。


 西郷大将はクマソ国の藩邸にはいない。彼はクマソ国から洋館をあてがわられていた。

 門へ行くと近衛兵のような派手な軍服を着た門番が立っていたが、彼らはなにも言わずに我々を通した。事前に話がついていたのであろう。シズはほとんど口をきかなかった。慣れない場所で緊張しているのかも知れなかった。こんな馬鹿げた建物が緊張させるのかもしれなかった。


「悪趣味な建物です」と私は彼女に言った。


 彼女は笑顔を見せた。「はじめて御覧になるのですか」


「ええ、できるだけ偉い人とは関係をもちたくありませんから」


 彼女は肩をゆすった。「でも、もらったものを返すというわけにもいきませんでしょう」


 我々は意思の階段を上がっていった。大きな二重扉が音もなく開いた。胸に勲章をつけた男ぶりのいい軍人が我々に挨拶をした。彼が我々を案内してくれた。案内された部屋は、二十畳はある薄暗い洋室であった。そこにひとりの男が椅子に座って待っていた。彼は大きな眼で我々を見た。


「遅くなって申し訳ありません、西郷さま。このかたがサイトウ少佐です」とシズが頭を下げて言った。


 この男は私を見ていちど仰々しくうなずいた。


「コーヒーをいれてくれ」彼は案内人に言った。「かけたまえ、サイトウ君」


 空いている椅子は一つしかなかった。私は腰を下ろして彼を見た。彼は大きな眼で、犬でもみるように私を見ていた。誰もなにも言わなかった。コーヒーが来るまでなにも話さなかった。白いテーブルの上に、コーヒーカップが二つおかれた。


「シズさん申し訳ないが二人で話させてくれないか」と西郷大将が言った。


「わかりました」


 私は急に孤独を感じた。案内人がまず私の前にコーヒーを置き、それから西郷大将の前にコーヒーを置いた。それから、彼らは静かに部屋から出ていった。私は彼女が部屋から出るのを見送って、コーヒーをひとくち飲み、西郷大将を観察した。


「君と会うのは二度めだね」


「ええ、そうです」と私は言った。


 軍部のトップがどんな気持ちでいるのか私にはわからないが、彼の様子はひとつも幸せそうには見えなかった。身長が高く、骨格も立派なため痩せていても華奢な印象を与えなかった。髪は丸刈りで、軍服を着ていたため年齢より若く見えた。眉毛は濃くて太かった。声は大きく離れていてもうるさく感じるほどであった。苦い顔をしてコーヒーを飲んでいた。


「時間がないので単刀直入に言うが、君は私のしようとしていることに干渉している。事実であるなら止めてもらいたい」


「俺が干渉できるようなことはないと思いますが」


「私はそうとは思わない」


 彼はコーヒーを一気にのみ、カップを横に置いた。座っていた椅子にもたれて、大きな眼で私を見た。


「もちろん私は君がどういう人間か知っている。なにをして生活していたか、君の人生にどんなことがあったかも、小松大佐との関係についても調べてある。君が小松大佐を逃がしたことも、彼が女を殺したことに疑問をもっていること、それ以来、死んだ小松大佐の友人に近づいていることも、報告を受けている。だが、目的がわからない。説明したまえ」


「男の名前がわかるのなら言ってください」


 彼は静かに笑った。しかし、私が好きで笑ったのではなかった。


「ヒサタケだ。優秀な外交官だし、私も何度か会ったことがある。人伝に数々の奇行があるのも聞いている。それから、君に妙な気持ちを抱かせていることも」


「俺の考えを言わせてください。まず、小松が芸者を殺したのを信じないのは殺しかたがひどいし、彼がそんなことを出きる人間だと思えないからです。つぎは、ヒサタケに近づいた訳じゃありません。外交の仕事に支障がでないように面倒をみてほしいと頼まれたのです」


「なるほど」


「まだ終わりではありません。新撰組に連行されたとき、大久保中将からの口利きで俺は牢屋にぶちこまれずに済みました。クマソ国で新撰組に顔が利くのは、あなたぐらいしかいないでしょう。つぎに、あなたはサクラ会の一員なのでしょう。桐野を使っているのもあなたでしょう」


「私がサクラ会の一員であり、桐野を手先に使っている証拠でもあるのかい」


「可能性の話ですよ。しかし、俺の理解できる方法で、島から出てきて短期間で大将になり、桐野がクマソ国で指名手配されていたのにみつからず潜伏していた。誰か強力な組織が後ろ楯している、そんな理由くらいしか思い浮かばないのです。そのつぎに、あなたが事件から手を引くようにと忠告したのは、あなたが使いを寄越したシズさんでした。あなたの悪口を言わないようにしなさいと、わざわざ注意してくれましたよ。怒っているのですか、西郷大将」


「私が行動に出れば」と彼は冷ややかに言った。「君ははっきりわかるはずだよ」


「そうだろうと思っていました。じつはある男が訪ねてくるのだろうと思っていたのですが、まだ誰も現れていません。ひどい目に遭う覚悟はできています。あなたはそっとしておくことを望んでいる。でも、俺があなたの邪魔になるようなどんなことをしたというのです」


 彼は微かに笑った。押し殺したような笑いであったが、私はその意味を図りかねた。大きくごつい手を組み合わせて、椅子に深々と腰をしずめた。


「どうやら、今度は私の番らしい。君の言う通り、私はすべてそっとしておいてほしいんだ。たしかに、君とヒサタケの繋がりも偶然かもしれない。私は国を守る立場にあるが、もう若くないし、国がそれほど重要な意味を持っているとは思えなくなった。私はシ国の武市と取引をしたし、武器商人の坂本とあったが、それが正解なのかわからない。もうひとりは、ここで全てが決まりそうだという時に、突然理性を失って、殺人を犯して逃亡した。君は殺し方が残酷だから、彼が殺したのを信じられないと言ったがそれは間違っている。彼は脇差しで女の頭を刺したのだよ。殺してから、刺し傷を隠すためにあんなことをしたんだ。残酷なやり方ではあるが、彼も軍人だ。命を奪われそうになったこともあるだろうし、他人の死を多く見てきていることも忘れてはいけないよ」彼は言葉を切って私を見つめた。


「煙草が吸いたいのかい」


「すみません。つい癖で」私は煙草をポケットにしまった。


「小松大佐は女を殺した。動機は充分にあった。だが、逃げなければどうにかなった。もしそのときに、私に連絡していれば力になってあげた。しかし、彼は顔をぐちゃぐちゃにしたため、逃げださなくてはいけなくなった。その方法も上手く逃げたとは言えない」


「たしかに、そうです。あなたなら匿うこともできた」


「私は立場上、犯人を匿うことは絶対にできない」


「よくわかりますよ。大将」


「皮肉かね。まあよかろう。話を詳しく聞くと、私でも難しいように思えてきた。彼が君に手紙を残して死んだときほっとしたんだ」


「よくわかりますよ。大将」


 彼は眉をひそめて私に言った。「気をつけるんだ。私は皮肉が嫌いだ。私が手を尽くして、捜査を簡単にさせ、事件を公にさせないようにしたんだ」


「彼が殺したという確証があるのなら」


「彼が殺したに決まっている。なんの目的かは別だよ。そんなことはもう重要ではない。サクラ会はなかなかの組織ではあるが、過激なため、使うときはなかなか注意せねばならない。たかだか一介の教師の妻を殺すために私は利用しない。眼が光ったよ、サイトウ少佐。やめたまえ、我々の世界はただでさえ暴力に溢れている。しかし、そんな連鎖はたちきらなければならない。復讐は復讐しか生み出さないし、暴力は暴力しか生み出さないのだよ。すべてを私に任せておいたらいい。私がこの世界のすべてを壊して、新しい平和な世界を創りだしてみせよう。そのあと、私はなにもかも辞めて故郷でひっそり暮らそうじゃないか。静かに暮らそうとする人間には組織なんてのは邪魔になるだけだからね」


 彼は大きなハンカチをとりだし、鼻をかみはじめた。私はこの無責任な男が軍のトップにいる理由を考えながら、口を開けて座っていた。


「要点は大体わかりました。あなたはこの世の中が気に入らなくて、なにもかもぶち壊すために、いまは騒ぎをおこさないでいてほしい。騒ぎをおこすのは自分達だと言いたいのですね」


 彼はハンカチをくしゃくしゃにしてポケットにしまった。


「それから」彼は静かに言った。


「それだけですよ。小松がどうして殺したかなどあなたは関心がない。小松が頭がよく、いいとこの家の子でも、利用は充分したし代わりがいるので関心がないのです。小松が殺したのではなく、真犯人がでたとしてもあなたはどうでもいいのです。第一、裁判が始まるまえに消してしまえばいい。たぶんその男は、顔をぐちゃぐちゃにされて、海のうえで浮かんでいるのです」


 彼は大きな声で笑った。子供みたいに無邪気な笑い声であった。

「私になにを要求するのだ。サイトウ少佐」


「金ならいりませんし、地位もほしくない。俺はここにつれてこられただけですから。俺はヒサタケの経緯を正直に話しました。昨夜、彼は腹を切ろうとした。なにかに追い詰められている。真犯人をあげろと言われれば、たぶん俺は彼の名前を言う。しかし、それは大勢の中の一人にすぎません。私が会っている人間はごくわずかですから」


 彼は立ち上がった。まったくの大男で、私はひと捻りで倒されそうであった。


「サイトウ少佐。私に盾つくのは止めておいたほうがいい。私が一言いうと、君は軍人でいられなくなる」


「二言いうと、私は道端で転がっているのでしょう。顔をぐちゃぐちゃにして」


 彼は苦笑した。「私はそんなやり方をしないよ。君のために時間を使いすぎた。誰かに玄関まで送らせよう」


「ひとりで大丈夫です」と私は立ちあがった。「お話はよくわかりました。時間を割いていただきありがとうございました」


 彼は手を差しだした。「来てくれてありがとう。君は正直な人間だ。だが、その正義感は捨てておいたほうがいい。なんの得にもなりはしないよ」


 私は彼と握手をした。万力で挟まれたような握力であった。彼は心配しているかのように笑っていた。彼のほうが役者が上であった。


「そのうち、君にも仕事をしてもらうことがあるだろう」と彼は言った。「それから、私がサクラ会と繋がりがあることは忘れたまえ。君のためにならないよ。さよなら、サイトウ少佐。来てくれたことにお礼を言うよ」


 彼は立ったまま、私が部屋をでていくのを見送った。部屋から出るとすぐにシズが私のもとにやって来た。


「大丈夫でした?」


「あなたの言う通り、西郷大将の悪口を言わない方がいいですね。もしこれ以上言うと、彼はいろんなつてを使って、神様にどんな用件をいいつけるかわかりませんからね」


「あなたはどうにもならない方ね」


「俺がですか。俺なんて西郷大将に比べればかわいいものですよ」






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