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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
40/61

富裕層

 



 目を覚ますと薄いもやがかかった青い空に、中庭の木がかすめられていた。私は寝返りをうった。頬に誰かの手が当たった。私は身体を起こした。膝掛けがかけられてあった。私はそれをどけた。顔をあげると、平野が長い髪を綺麗に結って、古代人のような白い服を着て、顔に不快な笑みをうかべて立っていた。


「コーヒーはいるかい」


「ありがとう」


「ヒサタケに異常はないのか。なぜ先に寝た」


「そうするしかなかった」


 彼は声をあげて笑った。「奥さんをものにできなかったのだから仕方がない」


「どうとでも言えばいい」


「らしくない。そんなだから駄目なんだ」


「コーヒーを持ってこいよ」と私は怒鳴った。


「この変態野郎」


 私は立ち上がって彼の腕を掴んだ。彼はせせら笑って私を見た。私も笑って彼の腕をはなした。


「お前の言う通りだよ、平野」


 彼は部屋から出ていくと、すぐにコーヒーを持ってきた。それから、コーヒーをデスクにおいて、空のグラスと、屑籠を起こした。


「覚めないうちにどうぞ」と彼は言って出ていった。


 私はコーヒーを飲み、煙草をふかした。アサヒのことを考えていた。私はまだ動物になっていなかった。しばらくして平野が部屋に入ってきた。


「朝飯はいるか」


「いや、いらない」


「わかった、では帰ってもらおう。あんたにはいてもらいたくない」


「召使いにそんなことが決められるのか」


 彼は胸元から煙草を取り出して火をつけた。それから、私に向かって煙を吐いた。


「ヒサタケは俺がひきうける」


「金が目当てか」と私は言った。


 彼はうすら笑いをうかべてうなずいた。「ああ、いい金になる」


「彼からいくらゆするんだ」


 彼はにやにや笑っていた。「俺に金をだしな。金額次第で、奥さんの部屋にいたことは黙っておいてやる」


「お前のような古代人に金をあげても仕方がない」 

 

 彼は肩を軽くあげた。「ヒサタケは一度思い込んだらなにをするのかわからないぜ」


「下手なゆすりだ。まったくなっていない。君のような古代人にはわからないかもしれないが、現代人はどんなときにだって心が動かされるときがあるんだ。彼女は全部知っている。言いたければ言うがいい」


 彼は私を睨みつけた。そして、人差し指を立てて言った。「もうここに来るんじゃないぞ」


「ああ、今帰るよ」


 私は立ち上がってまっすぐ部屋に出ようとした。彼が私の前へ立ちはだかった。腰を見ると、刀は差していなかった。私は彼に近づき、そのにやけ面をはった。


「召使いごときに妙なこと言われる筋合いはない。この家に呼ばれたんだ。今後、そんな口の聞き方をしたら殴りとばしてやるからな」


 彼はなにも言わず、呆然とその場に立っていた。そして、無言でコーヒーのカップを取り下げていった。


「コーヒーをありがとう」私は彼の背中に言った。


 居間を横切ったとき、アサヒが臙脂(えんじ)色の羽織を着て、部屋から出てきた。彼女はビックリしたように私に言った。「あなたがいらっしゃるなんて知りませんでした。サイトウさん」


「小太刀は中庭へ捨てておきましたよ。回収しておいてください」と、私は言った。


「小太刀」彼女はすぐ思い出した。「昨夜は色々なことがありましたね。もうお帰りになったのかとおもっていました」


 私は彼女のそばへ歩いていった。細い首にはロザリオがかけられてあった。


「昨日はどうかしていました」と私は言った。「寂しくなってしまったのです」


「寂しがることなんてなかったのに」と彼女は言った。無邪気に開かれている瞳には、暗い影など見あたらなかった。


「それはいけない」と私は言った。「もう、ここへ来るかわかりません。くれぐれも小太刀のことは忘れないように」


「大変お世話になりました。なんとお礼していいのか」


「お礼なら昨日しようとしていたじゃありませんか」


 彼女の頬は赤く染まった。それからはにかんで言った。「とても不思議な夢を見ました」彼女は首にかけてあるロザリオを優しく触っていた。「私の知っている人が、このキョウトにいたのです。もう死んでしまった人間ですけど。これは、その人から貰ったものです」


「夢なら俺も見ました」と私は言った。「とてもお話しできるないようじゃありませんけど。ヒサタケのことで出きることがあるなら知らせてください」


 彼女は私の眼を覗き込んだ。「もう来ないのではないのですか」


「来るかどうかわからないと言っただけです。来ないことに越したことはないのですがね。この屋敷は異常です」


「どういうかことです」彼女は眉をひそめて言った。


「あなたはわかっているはずだ」


 彼女はまだロザリオに触れていた。そして、静かにため息を漏らした。「いつも、他の女がいました」と彼女はポツリと言った。「でも、深刻な問題ではないのです。私だって心のなかで違う人のことをおもったりします。私たちの心は、ときどきすれ違うことがあるだけなのです」


「そうかもしれない」と私は言った。「最初にヒサタケを捜させようとしたとき、どうして俺を撰んだのですか?俺にどんな取り柄があったのですか?」


「あなたは連行されたときなにもいいませんでした。友達想いのかただとおもいました」


「そういってもらうのは嬉しいが、それだけが理由ではないのでしょう」


 彼女はそっと私の袖をつかんで言った。「他にどんな理由があるのですか」


「もし他に理由があるとすれば、それは愚かで夢のような話ですよ」


「なぜです」


「どんな人間も変わってしまうのです」


「なんだか謎かけのようですね」


「本当はヒサタケのことなんてどうだっていいのでしょう。心配しているように見せたいだけでしょう」


「ひどいことを言うのですね」


 彼女は私のわきを通って、部屋から出ていった。それを見届けてから、私は屋敷をあとにした。


 富裕層の多いこの土地ならではの静かな朝であった。街から離れているので、商売人の騒々しい声は聴こえてこなかった。ここに住んでいるのは立派な人間に違いない。大きな屋敷、子供達も立派に違いない。


 しかし、サイトウという男はそんなものなにひとつ持っていなかった。急に虚しくなってきた。





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