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風薫る  作者: しょーた
第三部 キョウト
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冷たい男

 




 何事もなく日にちが過ぎていった。私はたいした仕事もせずに過ごしていた。ある朝、天草からの手紙を読んだ。彼はファイルを持ち出したことがばれて、こっぴどくしかられてしまったらしい。手紙には私への文句がつらつらと書かれてあった。私はその手紙を読みながらひとりで頷き、火桶にくべた。もちろん、私は返事を書かなかった。


 ヒサタケの手紙が来たのは、その日の夜であった。ミミズが動いているような文字であったが、なんとか読むことができた。「状態がとてもひどい。今すぐ来てほしい」そういった文句ではじまったいた。私は嫌な予感がした。


 五分後、私は外へ出ていた。ヒサタケの家にいくのに三十分はかかったが、いま思えばどうやってそんなに早く着いたのかわからなかった。行き交う人々の間をほとんど全速力で走り、道がないところを進んだりした。新撰組に見つかれば一瞬で怪しまれるに違いなかった。しかし、誰の視線も気にならなかった。ヒサタケの屋敷で起こっているかもしれないできごとで頭がいっぱいでそれどころではなかった。アサヒは情緒不安定な男と一緒で、腕の骨を折られて中庭でうずくまっているのかもしれない。裸足で逃げて、門の外をかけているのかもしれない。


 そんなことは全然なかった。門をくぐると家の明かりが着いていて、彼女は玄関の前で煙草を吸っていた。私は彼女のそばへ行った。彼女は落ち着いて私を見た。私だけが興奮していた。


 私が彼女に行った言葉は思ってもいないものであった。「煙草を吸われるのですね」


「え?いえ、吸いませんの」彼女は煙草を床に捨て火を消した。「めったに吸わないの。主人が久坂を呼びました」と彼女は落ち着いて言った。


「呼ぶはずかない」と私は言った。「わざわざ金をとられる必要はないのです。俺を呼んだんです」


「あなたでしたの」


「ヒサタケはどこです」


「転んで額を少し怪我しています。いまは、屋敷のどこかで眠っているでしょう」 


「少しでよかった。血だらけなら俺にできることはないですから」


 彼女は真剣な顔で私を見た。それから指で示した。「もしかしたら中庭で転がっているのかもしれない」


 私は彼女の瞳をじっと見た。「どうして捜さないのですか」彼女は暗い顔をした。私ははじめて彼女がショックを受けているのを知った。


「ええ、捜しませんでした。あなたが捜してください。もう嫌になったのです。これ以上は耐えられない」


 彼女は屋敷に向かって歩きだすと、すぐ躓いて転びそうになった。わたしは彼女の両肩を支えた。彼女は優しく私の手をはらって、屋敷のなかへはいっていった。


 ヒサタケは縁側の上で転んでいた。脈が早く、額はどす黒くなってうなされたいた。私は言葉をかけた。肩を揺すぶった。私は彼を抱えて部屋に運ぼうとしたができなかった。ぎっくり腰になるかと思った。


 アサヒはもういなかった。彼女は戻ってこないだろうと思った。寝ている彼を眺めた。そして、彼の額を調べた。たいした傷ではないが、血の量が多いような気がした。


 いつの間にかアサヒが私のそばに立っていた。虚ろな表情で彼を見下ろしていた。


「どこかに行ってしまってすみませんでした」と彼女は言った。「どうしてあんな行動をとったのかわかりません」


「誰か呼んだ方がいい」


「坂本さんを呼びました。主人とは旧知の仲ですから。来てくれるかわかりませんが」


「では違う人を」


「来ますよ。あの人は来ます」


「平野は?」


「所用でいまいないのです。どこかに運べないかしら」


「とりあえずもうひとりいれば可能でしょう。しかし、この寒さだ。早く部屋にいれた方がいい」


 彼女は膝掛けを持ってくると言った。私は彼女に女性の優しさを感じた。しかし、私の頭は正確に働いていたとは言えなかった。血の出ている彼が心配で、少しだけ気が動転していたのだ。


 我々は彼に膝掛けをかけた。しばらくして坂本が来た。


 彼はヒサタケの頭を調べた。「外傷だな。まあこの程度なら心配することはない。温かくしておくことだ。血を拭っておくこと。朝になれば元気になるさ」


「ひとりでは運べない」


「ではこのままでいいだろう」彼は私を無視しているように言った。「ではこれで、おやすみなさい奥さん。俺は医者じゃないですからね、これ以上のことはできませんよ」


「君に医者の真似事をしろといっているのではない」と私は言った。「部屋に運ぶのを手伝ってほしい。ここじゃ凍え死ぬぞ」


「君とは口をきかない」彼はアサヒに頭を下げ、出ていこうとした。私は彼の行方に立ちふさがった。


「待つんだ、あなたがこの男の友達というのなら、その関係が現在も続いているのか知らないが、それが志士のとる態度か。この男は俺に手紙をよこした。俺はここからずいぶんはなれた場所にすんでいる。様子がおかしいのでとんできた。平野はいないし、部屋に運ぶのを手伝ってくれる人間はひとりもいない。それでも帰るのか」


「そこをどくんだ」と彼は半笑いで言った。


「金魚の糞ほどの価値もない男だ」と言って私は彼の前をどいた。


 坂本は顔を真っ赤にして口を閉じていた。そして、外へ出ていった。私は彼の消えていく背中を眺めていた。


 彼から目を離すと、アサヒが笑っていた。


「なにがおかしいのです」と私は食ってかかった。


「あなたですよ。誰にでもあんなことを言うのですね」

 ふと彼女は門の方を見た。「平野が用事から帰ってくるかもしれません」と彼女は言った。


 彼女は門の方へ出ていった。私は縁側に腰を下ろして、ヒサタケを眺めた。偉大な外交官は口を開けて涎を垂らしていた。しばらくしてアサヒが帰ってきた。平野と一緒であった。



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