パーティ2
部屋を出ると、喧騒がよみがえってきた。より騒がしくなっているようだった。ヒサタケは招待客に挨拶をしていった。客はヒサタケの姿を見て喜んだ。もっとも、みんな酔っぱらっていて、ヒサタケと認識していたのかはわからなかった。もしかすると、どこの誰かもわからない農夫が来てもおなじ反応だっのかもしれない。
我々はバーに行く途中、シズと坂本にでくわした。坂本は立ち上がって、ヒサタケと向かい合った。二人は無言で見つめていた。
「よく来てくれたね、相棒」とヒサタケは笑って言った。「やあ、シズさんお久しぶりです。最近はどこにいるのです?ちっとも会ってくれませんね」
「ヒサタケ」と坂本が声を震わせていった。「君には忠告しなければならない。こんご彼女に近づかないでもらいたい」
ヒサタケは坂本の顔を見つめた。「疲れているんだな相棒、なにか飲もうじゃないか」
「俺はもう飲まない。君は俺がここに来た理由を知っているはずだ。俺たちには関わらないでくれ」
「わかりました」ヒサタケは丁寧な口調で言った。「あなたは客です。しかし、控えめに言ってもあなたはどうかしている」
部屋が一瞬静まりかえった。みんななにか始まる予感がしていた。坂本は持っていたグラスを地面に落として、ヒサタケの顔を殴りつけた。
ヒサタケは倒れなかった。「こんなことをして、僕があなたの言うことをきくとでも思っているのですか」と彼は静かに言った。
私はシズを見た。彼女は怒りと恥ずかしさで顔を赤くしていた。彼女は静かにあいだに入って坂本に言った。
「これ以上バカなことをしないで。いい加減にしないと、つまみだされますよ」
坂本は彼女に向かって拳をあげた。ヒサタケが割ってはいった。「やめなさい。こういうことは自分たちだけの時にしなさい」
「たしかに、君の言う通りだな。礼儀作法は外交官さまには敵わないよ」
「君に言われても嬉しくないよ」とヒサタケは言った。「だけど、もう帰るとは残念だよ。平野君、坂本君がお帰りのようだ」と彼は声を強めた。
彼は坂本の方に向き直った。「あなたのような人間でも、礼儀作法の心得があるのならわかっていただけるでしょう。出口はあちらです」彼は手で示した。
坂本は身動きせず彼を見つめた。「警告はした。二度目はないよ」
「困ったものだ」ヒサタケはため息をした。「警告するなら、正確な情報をとっておくべきだと思うよ。それにあなたには悪いが、シズさんは坂本につきまとわれるのをよく思っていない」
シズは苦々しく笑っていた。そして肩を少しあげた。
「帰ろう」と坂本は言った。「おいでシズ」
彼女はふたたび椅子に座った。グラスを持ち、冷たい目で坂本を見た。「ひとりで帰って」
「一緒に帰るんだ」彼は怒気を含めていった。
彼女は動かなかった。坂本は手を伸ばし彼女の腕をつかんだ。ヒサタケが彼の肩をつかんでやめさせた。
「乱暴はよせ。なんでも自分の思いどおりになると思ったら大間違いだ」
「はなせ」
「わかったよ。落ち着くんだ」とヒサタケは言った。
「いい考えがある。いちど先生にみてもらいなさい」
誰かが声をあげて笑った。坂本は動物のような目付きで周りを見た。ヒサタケは素早くその場からはなれた。坂本はひとりで戸惑っていた。出ていくしかなかった。坂本は足早に部屋を横切り、平野のいる場所へ歩いていった。坂本は平野と共に部屋から出ていった。私はバーへ行って酒を注文した。ヒサタケはどこかに行ってしまった。私は酒を飲んだ。
音が夜の暗闇へ静かに消えていった。部屋の声が次第に聞こえなくなった。私は中庭におかれてある長椅子に座った。煙草に火をつけ、ゆっくり煙を吐きながら、自分がこんなところでなにをしているのかと考えていた。ヒサタケの自制心は正常に思えた。坂本につっかかられても、自制心を失わなかった。やり返しても不思議ではなかった。
軽やかな足音が聞こえてきた。アサヒが庭を歩いてきて、長椅子の端に腰をかけた。「どう思いました」と彼女は静かにきいた。
「ヤキソバ男のことですか」
「違います」と、彼女は眉をひそめた。そして笑いながら言った。「あんな、なんでも自分の思いどおりなると思っている人は嫌いです。立派な人じゃないというわけではないのです。だけど、節操がありません。シズさんはだらしない人ではないと思います。少し話せばわかりそうなのに。あの男がどうしてあんな風に考えるのかわかりません」
「惚れているかもしれない。病的になる人間は少なくありませんから」
「あり得なくはないですね」と彼女は空を見た。「あなたは夫の頼みを断ったそうですね」
「俺にできることはないのです。前にも言ったように、これは軍人の仕事ではない。それが俺がいたところで、彼の気持ちを落ち着けることはできない。人の気持ちなどその時々で変わります。それに俺には彼が変になった人間には見えない。むしろその逆に見える」
彼女は私の顔を見つめた。「ほんの少しでいいのです。仕事が終わればあの人も落ち着くと思うのです」
「俺にはなにもできませんよ」
「どうしてですの?」
「俺の意見が聞きたいのなら言いましょう。ヒサタケはなにかを隠しています。それがなんだかわからない。自分のことかもしれないし、他人についてのことかもしれない。それがわからないから、気分が憂鬱になると思っています。もし俺の考えが間違っているのなら、彼は仕事を終えてもなにも変わることはないのです」
「そんなことないわ」と彼女は言った。
「俺の意見だといいましたよ。あなたはいつか、他の女性を好きになったのかもしれないと言った。これも反対の場合があるのです」
彼女は私に身体を向けた。私は彼女の背後を見た。襖のそばにヒサタケが立って我々を見ていた。
「こういうことは無理に行っても仕方がないですね」と彼女は言った。「もうなにもいいません。ヒサタケに任しておくしかありませんね」
「我々は互いに、ポケットの内側を探りあっている。あなたはいつかどうなのです」
「私は夫を愛しています」と彼女はきっぱり言った。
「若いときのような愛しかたではないのかもしれません。でもちゃんと愛しています。私が熱烈に愛したのは一度きりです。その頃、愛していた男は死にました。殺されたのです。でも、本当に死んだとは思えないときがあるのです」
彼女は私の顔をしばらく見つめていた。「どきどき、もちろん本当にごく稀にですけど、人影の少ない通りとか、夕方の帰り道などで、薄暗い隅の方で彼が待っているような気がするのです」彼女は言葉をきって自分の手に視線を落とした。「バカだろうと思いますよね。でも私たちはとても愛し合っていました。一生に一度の激しい恋ですもの」
彼女は話をやめて夢を見ているように黙っていた。私はもう一度、彼女の背後を見た。ヒサタケは襖の近くでグラスを手に持って立っていた。私は彼女をそのままにして、ヒサタケの方へ歩いていった。
「妻とは仲良くなれたかね、サイトウ」彼は口先を曲げながら言った。
「手はださないよ。そういう意味で言ったのなら」
「そういう意味さ。この間の夜、接吻していたじゃないか。見かけによらず、手が早いんだな」
私は彼を通りすぎようとした。彼は私の腕を握った。
「まあ、逃げることはないよ」
「俺がいては邪魔になる」
彼はグラスの酒を飲み干して私を睨んだ。
「オーケイ。僕はこんな風に空っぽなんだよ。サイトウ。なにもないんだ」
彼はよろめきながら廊下を歩いていった。途中で振り向き、ひきつった笑みを浮かべて私を見た。「つまらないことを言ってすまなかった。君が心配になったんだ」
「どうして」
「妻はまだ初恋の男を忘れていない。もう死んでしまった男のことさ。君も死にたくないだろう。君は僕のためだけに働いた方がいい。それが救いの道さ」彼は中庭なグラスを放り投げた。グラスの割れる音が響いた。「君が死ぬと僕が困る。どこかの島で死なれるのは困るんだ。その男は本当に死んだのかはわからない。我々がそう思い込んでいるだけかもしれない」
「俺になにがわかる」
「誰にもわかりゃしない、妻もわかりゃしない。それは永遠にわからないのかもしれない。僕はもう疲れた。これでさよならするよ」
私は空が廊下の暗闇に消えていくのを見守った。それから私は屋敷を出ていった。




