パーティ
静かな夜であった。前から歩いてくる男が私の腰に差してあるものをみて、あからさまに道をよけていった。この国ですすんで軍人に関わろうとするものはいない。よほど痛い目をみているようだ。しばらく歩くと、舗装された道に出る。道の端には雑木林が現れ、それが空を覆うように生えている。その林の道を抜けると、大きな家が並ぶ通りに出る。刀を差した青年が馬をひいていた。姿勢もよく顔つきも勇ましいものだった。長い塀の向こうは明かりがついていて、酔っぱらいどもの笑い声が聴こえてくる。どこからか、三味線の音もする。
長い塀を通りすぎると、一筋の川が現れ、小さな赤い橋がかかっている。この橋を渡ると、ヒサタケの家はもうすぐであった。家の門は開かれていて、建物から明かりが眩しいほど漏れていた。私はそのまま門をくぐった。羽織をきた髭面の男が案内をしてくれた。髭面ではあるが、粗野な感じはなく、寡黙な男のように思えた。昔の武士はこんな感じだったに違いないと思わせる男であった。
「月が出ていますね」と彼は言った。「今人は見ず古時の月。お名前をうかがってもよろしいですか」彼は薄笑いを浮かべた。
「サイトウ」と私は言った。「まったく、お月さまとお天道さまには嘘がつけないな。君が平野だね、ヒサタケから聞いているよ」
彼はなにも言わなかった。
部屋の人間は、着ているものは羽織や着物ばかりなのに、グラスを持って立って話をしていた。そのうち、アサヒが水色の着物で私のそばにあらわれた。手にグラスを持っていた。
「よくおいでくださいました」と彼女は言った。「ヒサタケが別室でお待ちしています。パーティが嫌いなので別室で仕事をしているの」
「こんなに騒がしいのに」
「パーティにでるよりましみたいです。平野に飲み物を持ってこさせますか、それともバーにいきます?」
「バーに行こう」と私は言った。「この間は失礼しました」
彼女は微笑んだ。「謝るのが早すぎます。なんでもないことですよ」
「そんなことないでしょう」
彼女は笑いながらうなずいて、立ち去った。
バーは部屋の隅の襖の近くにあった。移動式のバーであった。私が人にぶつからないように部屋のなかを歩いていると、声が聞こえた。「サイトウさん」
ふりむくと、シズが紋付き羽織りをきっちりと着た坂本と長椅子に座っていた。坂本の顔は真っ赤で、目をつむって寝ているようであった。
私はそばへ行った。彼女は軽く会釈をした。「サイトウさんがいらしてるわよ」と彼女は坂本の肩をゆすった。
坂本をちらっと目を開けて、訳のわからぬことを呟くとまた眠りに落ちていった。まるで三日も眠っていないようであった。
「酒が弱いのに、調子に乗ってたくさん飲んだのです。バカですね」とシズは言った。「いつもこんな感じになるのですよ」
「疲れがたまっていたのでしょう。優秀な軍人は、普段そういった素振りを見せないものだから気がつきにくいのです」と私は言った。「なにか飲み物をとってきましょうか、シズさん」
「彼女はもう飲んでいるよ」と坂本は目を強く閉じながら言った。「酒なんかくそだ。俺はなこんなくそみそみたいな世の中を洗濯して一から作りなおしてやるんだ」
「寝言は寝てからいいなさい」とシズがピシャリと言った。
私はそこを離れてバーへ向かった。坂本と一緒にいるシズは違う人間に見えた。嗜めるような言葉を言い、声にも棘があった。
平野はバーにいた。彼は私になにか飲むかと尋ねた。
「あとでもらうよ、ヒサタケはどこにいるんだ」
「彼は忙しい。あなたたちとは違う人間ですから」
私は平野という男を好きになれそうにはなかった。私がしかめっ面をしていると、彼が付け加えた。
「では行って見てきましょう」
彼は人混みのなかを器用に蛇のように抜けていくと、すぐ戻ってきた。「さあ、行きましょう」彼は静かに言った。
私も彼の後に続いて、蛇のように人混みを抜けていった。彼が開けた襖からなかにはいって、襖を閉めると今まで聞こえていた騒音が嘘のように静かになった。家の奥にある部屋で、小さな窓がついてあり、そこから月が見えた。ヒサタケはソファーの上で横になっていた。大きなデスクの上には山積みの書類があった。
「いらっしゃい、サイトウ」と彼は寝たまま言った。
「どこか、適当にかけてくれ。酒は飲んだのか」
「まだ飲んでいない」私は椅子に腰を下ろして彼を見た。顔は蒼白く、やつれているように見えた。
「仕事はどうだ」
「まあまあだな。体調がよくないんだ。でも、僕は体調が悪いほうが仕事がよく進むのだけどね。体調が万全だと、つい物事が見えすぎてしまうからね。なんでもないことが気になって、ついには大事なことを見失ってしまう。健康な身体には健全な精神が宿ると言うけど、健全な精神を持っているヤツなんてのはなんの仕事もできやしないさ」
「人によるんじゃないのか、上杉鷹山なんてなかなか立派なものじゃないか」
「よろしい」とヒサタケは言って座りなおした。「あれは健康すぎるからだを持ったために、健全な精神を持てなかった例だよ」と彼は目をこすった。「僕はいま仕事のことを考えている。そんなときは人と会いたくない。それに、人が話ながら笑いあっているのを見ると憎くなってくる。あそこに出ていくと、どうしても人と話さなければならない。僕が外交の仕事をしていると知らないヤツはいない。そこで、招待客の一人が僕にへらへら話しかけてくる。まるで媚を売るようにね。こういうのはフロイト流でも無意識の部類に入るのかな」
私は煙草に火をつけた。「なんの話だ」
「僕は恐れているんだ、わかるだろう」
「いや、さっぱりだ。前にも言ったが君のことはさっぱりわからない。それに、人間が恐怖から避けようとするのは自然なことだ」
「しかしだよ、誰もが恐怖を感じているわけじゃないのだ。君にはわかるだろうか、あんなニヤニヤしながら話しかけてくる連中への恐怖が」
「わかった、君は誰かに侮辱を与えたいのだ。だけど、彼らだって必死に生きているんだぜ」
彼は苦笑を浮かべた。「君はなんにもわかっちゃいないね、サイトウ。僕は自分を侮辱しているんだ。僕も含め、大抵の人間はくだらないが、その事を自覚している人間がどれほどいるのだろう。僕は確かに地位のある仕事をしている。だけどね、僕自身の値打ちなんて一文もないのだよ。そんなことは、わかっている。でも、恐ろしいことに僕は自分が嫌いじゃないんだ。むしろいまの地位にいる自分が大好きなくらいだよ。欲しいものは手にはいるし、大抵のことは思いどおりになる。美しい妻もいる。これ以上ないくらい幸せだよ。でも、僕は幸せな自分を思えば思うほど恐くなるんだ。君はどう思う」
「どう思うとは?」
「笑わないのか」
「笑う理由がない。君の自慢を聞かされただけで、面白くもおかしくもない。俺が君に近い人間なら不愉快なったろうが、幸い俺と君は地位も考え方も離れている」
彼は声をあげて笑った。「気に入った。さあ飲みに行こうじゃないか」
「変に絡んだりしないでくれよ」
「そんなことはしないさ。相手が絡んできたら別だがね」
「よせよ」と私は重ねて言った。「悪口を言いたければ、言えばいい。でも正気を失って妻君に手をあげてはいけない」
「まったくだな」と彼は落ち着いて言った。「合格だよ、サイトウ。しばらくここで暮らさないか。ここにいてくれると助かるのだが」
「なぜだ」
「金もちゃんと払うさ。僕は憂鬱な気分になると危険になる。それに仕事がら、用心棒がいると心強いんだ」
「俺にできることはないよ」
「三ヶ月だけでいい。そしたら俺はクマソ国へ帰って山奥に暮らすんだ」
「仕事は?」
「僕にできる仕事は今回で最後だろう。この仕事を達成できないようじゃ僕はおしまいさ。幼馴染みとしてお願いする。小松にはもっとよくしてあげたじゃないか」
私は立ち上がって、ヒサタケに近づいた。「俺が小松をころさせたんだ。俺が殺させたんだ」
「君はばかだな。僕はそうならないよ」と彼は言った。「さあ飲みに行こう」彼は襖を勢いよく開けて、出ていった。




