侵入
昼寝から眼が覚めた。食事をするには遅すぎたし、散歩をするには外が暗くなりすぎていた。窓を開けて外を見てみたが、冷たい風が入ってきただけで、人は通っていなかった。私の頭にはあらゆる考えがさまよっていた。
友人の評価と、自分の評価の食い違い。坂本という男。
私はクマソ国の藩邸へ天草宛の手紙をだした。ほかの手がかりがないか確かめるためだった。しかし、返事はなかった。そうして、しばらく時が過ぎた。私はなんの切り札も持たない冴えない博打うちであった。もちろん当たりなどくるはずがなかった。
しかし、あの久坂という男は怪しむに足る男であった。都会の近くに隠れやすい家を持っていて、坂本というシ国の男を匿っている。二人の存在は、同じ場所にいるだけで怪しまれるべきなのである。そのうえ、どちらかが浪人でも匿っていれば、あるいは、どこかの国の外交官を軟禁でもしていたとすれば。すべてが可能性の話であった。しかし、それだけで充分であった。私は新撰組でも探偵でもないのだ。もう夜は更けていた。
私はアサヒへ手紙をだした。そして、羽織を着て花街の方へ歩いていった。
店の一室で、ひとり酒を飲んでいた。女給はいらないと伝えておいた。しばらくして襖が開けられた。アサヒが部屋に入ってきた。
「お手紙拝見しました。でもサイトウさん、人の妻をこんなお店に呼び出すものではないですよ」彼女は苦笑いを浮かべた。
「もっともです。ヒサタケはまだ帰りませんか」
「まだ帰ってきません。心配です」
「Kから始まる人間は山ほどいます」
「今夜で四日目になります」
「しかし、四日ならまだ」
「ずいぶん長いように感じます」彼女はしばらく黙っていた。「いろいろ考えてしまうのです。そうすると、なんでもなないようなことも心当たりがあるように思えてくるのです。ヒサタケは話が好きで、いつもいろいろなことを聞かせてくれましたから」
「久坂という男に覚えはありませんか」
「ありません」
「ヒサタケが縮れた毛の男に連れてこられたことがあるといいましたね。その男を見ればわかりますか」
「わかると思います」彼女は自信なさげに言った。「でも遠くから見ただけですから。すぐどこかにいってしまって、あの男が久坂という人なのですか」
「いえ違います。久坂は髪がさらさらな、小さい人間で若いです。その男は街外れの家で、世捨て人になりたがっていて、もうひとりの男と一緒にいます。もしかしたら、彼にはそんな気なんてないのかもしれない。そのもうひとりの男は、坂本という男でシ国人です。そして、久坂は元外交官です」
「とても可能性がありますね」と彼女は明るく言った。「怪しいと思いませんの?」
「まだわかりません。わかれば報告します。ただヒサタケが帰っていないか、あなたがなにか知っていないか知りたかったものですから」
「お役に立てなくてすみません。いつでも呼び出してください。遅くても構いませんから」
私は部屋から出ていった。刀の大小を腰に差した。坂本はピストルを持っている。頭のおかしい人間のことだから、なにをしでかすかわかったものじゃない。
私はふたたび街道を歩いていた。月のない夜であった。久坂の屋敷につく頃にはもっと暗くなるだろう。暗いことは私にとって絶好の機会であった。
門はまだしまっていた。私はいちど門を通りすぎて辺りを見渡してみた。誰もいなかった。私は門を乗り越えて庭に侵入した。そして、庭にある木のそばで息を殺していた。どこからか鷺のような鳥の声がした。私は木のそばから、縁側を見張っていた、
すると突然、襖が荒々しく開いて坂本が出てきた。そして、そのまま廊下を歩いていどこかに行ってしまった。
私は木からはなれて、建物に近づいた。建物からはなんの音も聞こえてこなかった。私は縁側にあがって、そっと部屋のなかを覗いてみた。かすかな明かりがあった。灯りは部屋の隅に置いてある燭台から出ていた。ひとりの男が寝間着姿で手足を縛られて布団のうえに横たわっていた。男は大きな眼で天井を見ていた。顔はほとんど影になったいたが、顔は蒼白く無精髭がめだっていた。縛られた両手がだらしなく布団のうえに置かれ、じっと動かなかった。すでに何時間もこの体勢でいるかのようであった。
廊下から足音が聞こえてきた。私は庭へ降りて、もとの木に身を隠した。羽織を着た久坂があらわれた。徳利と盃を持っていた。羽織が黒く光った。ヒサタケは彼を見ようとはしなかった。
「ヒサタケさん、お互いにもう疲れましたね。顔の色も悪い。それに早く帰らないと、奥さんが心配していますよ」
「アキ」と、縛られている男が言った。「そんなことを君がわかっているのなら、僕にはなにも言うことはないよと言ってやってくれないかな」彼は小さな声で言った。
「アキというのは誰です。どこの女だ」
「僕の弁護士さ。あそこにいるだろう」
久坂は辺りを見渡した。「壁にキリギリスが一匹いますね。ハッタリはよしてくださいヒサタケさん。私には通用しませんよ」
「そうだ、ただのキリギリスだ。僕はキリギリスが好きなんだよ。無駄にきどったりしないし、やかましい思想も語らないからね」
久坂は頭を掻いた。「冗談を言い合っている暇はないのですが」
「冗談なんかじゃないよ」ヒサタケは重そうな頭を動かして、久坂を軽蔑するように見た。「アキは真剣なんだ。いつか君を追い詰めるはずだ。君の知らないところで動いて、いつの間にか背後に立っている。やがて、頃合いを見て君に襲いかかる。頭からがぶりと食われるんだ。アキは君が誰だかわからないように食い荒らすだろう。そんな思想にとらわれていたら、遠い昔のことでもないだろうよ」
久坂はため息をついた。「私には金が必要なのです」と彼は落ち着いて言った。「いつ私はアキに食べられるのですかね」
「お金は全て君が持っていったじゃないか。この屋敷の宿泊料は法外だよ」
「安いものです。金がある人間から金をとっただけですから」
「なんでもかんでも高くしてはいけない」
「ごまかさないでください。ヒサタケさん、あなたはそんな態度がとれる立場じゃない。それにあんたは私の信用を裏切った」
「裏切るとは、これはこれは。信用されている自負でもあったのかね」
久坂は軽く畳を叩いた。「あなたは外交の仕事でしくじった。どうにもならない状態だった。私が助けなければあなたの命はどうなっていたかわからない。べつに私はあなたを見捨ててもよかった。私はもう外交の場に立つ資格を失ってしまった。私には多くの浪人がいる。面倒も見なくてはならない。あなたは金を持っている。私を助けていただきたい」
「たしか、そんなこともあったような。でも金は充分はらったはずだ」
「それに」と久坂はゆっくりと言った。「あなたは、奥さんに私の名前を話しましたね」
ヒサタケは驚いた顔をした。「そんなことはしていない。妻にはなにひとつ話しちゃいない」
「自分では気がついていないのかもしれない。サイトウという男があなたのことを聞きにきた。あなたが話さなければ来るはずない。追い返したがまた来るだろう。その前にお金をいただきたい」
「君も頭が悪い。久坂君、妻がここを知っているなら自分で来るはずだ。あるいは家のものを寄越せばいい。僕の家のものなら、久坂程度なら雷が落ちるより早くのしてしまえるからね」
「口が減らないやつだ。ヒサタケ。考えるのもおぞましい」
「金はほんとに持っていないんだ。とれるものならとってみるがいい」
「借用書を書きたまえ。ある商人が立て替えてくれるはずだ」久坂は命令した。「いますぐだ。そして服を着て、坂本君に送ってもらうんだ」
「借用書」とヒサタケは笑った。「そんなものが金に変わるわけがない」
久坂は微笑んだ。「普通はね。でも我々をなめてもらっては困る。必ずはらってもらいますよ」
「錢ゲバめ」とヒサタケは怒鳴った。
久坂は顔をふった。「すべての人間の役回りがまわるように、私もただのひとりの人間なだけだ。坂本君におくらせよう」
「断る」
久坂は布団に転がっている男の体を叩いた。「君たちは昔から仲良しじゃないか。君のためならなんだって言うことを聞いてくれるはずだよ」
「それじゃ、試しに言ってみな」新しい声がして、焼きそば頭の坂本があらわれた。久坂は振りむいて微笑んだ。
「そいつをどこかにやってくれ。顔も見たくない」と、ヒサタケは声を震わせていた。
坂本は片手でピストルをいじって、口笛をふきながら部屋にはいった。
「そんなことを言ってはいけない」と久坂はヒサタケに早口で言った。
「この腰抜けをもっと弱らせてやろう」と坂本は口笛をやめて言った。
「なにをいっているんだ坂本君」久坂は腕を伸ばして、骨太の青年の片腕を掴んだ。「これ以上弱らせると、大事な金が……」
その先は言えなかった。坂本が腕を振りほどき、右手の金属がちらと光ってとんだ。ピストルのグリップが久坂の顎をとらえた。彼は膝から崩れ落ち、なにかうめいていた。私は走りだした。
縁側から一足に部屋へ飛びこんだ。坂本はこちらを向き、眼を細めて私を見た。誰だかわかっていないようだった。彼の叫び声は聞き取れなかった。ピストルを構えようとした。
私は刀の鞘で、彼の片腕を叩きつけた。ピストルは地面に落ちた。そして、私は刀を抜いてピストルを拾おうとする坂本に刀身をつきつけた。 坂本は驚いて立ちすくんでいた。視線を私に移すと、生き生きとした薄ら笑いを浮かべていた。
「何事だい、まったく」と彼は呑気に言った。
「動くな」私はピストルを拾おうとした彼に言った。私は床に転がっていたピストルを蹴りあげた。ピストルは縁側を通って庭に落ちた。
「弾丸は入ってないよ」彼は笑いながら言った。「本物じゃないんだ」
「動くな」と私は荒々しく言った。そして、布団に転がっている男の縄をほどいた。壁の近くで久坂がのびていた。久坂はなんとか起き上がろうとしていた。坂本が久坂に手を貸していた。
「すまない、倒れるほど殴るつもりはなかったんだ」
「大丈夫、顎が砕けたわけじゃない」と久坂は坂本を払いのけて言った。「坂本君、この二人をお送りしてくれ。それから、門の鍵をきっちりかけておくように」
「わかった」
ヒサタケは弱々しい格好で布団のうえに座っていた。「久しぶりだな、サイトウ」と彼は言った。「どうやって僕を見つけ出した」
「ちょっとした手を使っただけだ。家へ帰りたければすぐに服を着替えるといい」
「私が手伝おう」久坂は顎をさすりながら言った。「一生懸命働いても、いつも最後にはひどい目にあう」
「気持ちはわかるよ」と、私は言った。
私は二人を部屋に残して外へ出た。門の鍵を開けておかねばならなかった。




