朝
我々が最後に酒をくみあわしたのは昼間であった。小松は見るからに痩せていたが、穏やかな笑みを浮かべて、楽しそうに中庭を眺めていた。
「この中庭の景色が好きなんだ。真っ赤な梅が咲いたら、夏には青い葉が生い茂ってくる。まるで画でも見ているかのようだよ。そうしているうちに、虫や小鳥の鳴き声が聞こえてくる。俗っぽいって君は笑うかもしれないな。まあいいじゃないか、どうせ僕は俗な人間なのだから」
私は彼の意見に賛成をした。
「酒は女のようなものだね」と彼は言った。「初めはどうしても手にいれたくなる。二度目は手放すのが惜しくなってくる。三度目はもうあってあたりまえになる。それからは、無感情に身体を重ねるだけだ」
「そんなに汚いものだろうか?」
「生きていくためには必要なことかもしれないが、不潔な感情に違いないね。美学的な意味でね。べつにそういった関係を否定しているわけじゃないんだ。なにはどうあれ、生きていくうえで必要なものさ」
彼はあたりを見渡してあくびをした。「最近、ひどく眠いんだ。ここにいるといろんなことを忘れそうになる。だから、ずっとここにいるわけにはいかないんだ。僕にはやらなければいけないこともあるし、帰らなければならない場所もある。まあ、そういうものを全て投げ出したくなるときもある」
「そう考えすぎるものでもないさ」と私は言った。「なにか大きな仕事の前には、どんな豪傑や智者でも不安になるものさ」
「彼女がかわいそうでならない」と彼はポツリと言った。「しょうがない女だ、僕は彼女のどこかに惚れているのだろう。認めるよ。彼女は僕を愛したりしないんだ。だけど、僕は他の男共よりも彼女のことを考えている。だけど、その時になると僕はもう彼女を愛していないんだよ。きっとね」
私は彼を睨んだ。「そんな無責任なことってないだろう」と、私はしばらくして言った。
「わかっている。僕は無責任な人間だ。度胸がないから頭を鍛えたのかもしれない。名刀を持っていても、それを使う勇気のない男だよ。でも、僕みたいな人間は一生のうちに一度は腹を括らなければいけない時がやってくる。一度だけだ、その時はちゃんとやってやるさ。それでも、まだ運良く生きていられればこの梅屋敷で静かに暮らすことにするよ」
「なにがいいたいんだ」私は懐から煙草をだし火をつけた。
「彼女が恐がっている。すっかり怯えてる」
「なぜ?」
「わからない、この頃、話をしていない。このキョウトが恐いのかもしれない。ここでは彼女のような人間はすぐに狙われるから」
「お前が守ってあげるんだ」
彼は力なく首を横にふった。
私は陽射しで眩しい顔をしている彼を残して部屋を出た。彼がなにか言ったように思えたが、私は足を止めなかった。
私は旅籠屋の前にくると、振り返らなかったことを後悔した。ふたたび会ったのは、仕事終わりの朝五時のことで、やっと明るくなって来たときのことだった。旅籠屋の前につくと、怯えて座りこんでいる小松を見つけた。彼は私に気がつくと顔をあげた。
顔にはべっとりと血のようなものがついていた。




