後ろ姿
雪の降る日に、私は一通の手紙を受け取った。先日の非礼を謝り、近いうちにまた会いたいと書いてあった。問題は文章の途中に突然書かれていた。「僕とコトはよりを戻したいと思っている。彼女からよりを戻したいと言ってきた」
私はそれから長ったらしい文章を丁寧に読んだ。それは私の頭で整理が追いつかない時にする癖のようなものであった。
彼女は僕と一緒になれば、芸子を辞めるとまで言ってきた。コトのために、僕はまた梅屋敷とは別に小さな家を建てている。そこは山の中で、君とコズエさんが生活していたようなものを想像してくれればいい。実を言うと、彼女に家を贈るのは二度目なんだ。前の家は必要がなくなったので売り払ってしまったがね。僕は君に、彼女を囲ったのは身体目的だと言ったことがある。確かに、一度目はそうだったのかもしれない。だけど、今回は違うんだ。これは確実に言えることだよ。
私は手紙を破り火桶の中に入れた。この汚らわしい文章でも私を暖める役にたつらしい。
私は彼の建てている家を想像することができた。しかし、白の寝巻きの小松が、真昼間から彼女の身体をむしばっている姿は想像できなかった。別に想像する必要などなかった。彼があの性格の悪そうな女のオモチャになろうと、もう私にはどうでもよかった。もう彼と会いたくはなかった。しかし、そういうことにならないのはわかっていた。
彼が部屋に来たのは、二月の寒い夕方であった。この前に見たときよりも、彼は年老いて見えた。しかし、目だけはギラギラと輝いている。
「どこか飲みに行かないか」彼は何時間も待たされたかのように言った。「君がよければだが」
私たちは花街へ歩いていった。彼は黒の袴に、首には白いマフラーを巻いていた。私は服装には興味はないが、少々気になった。
「なんだい、ぼんやりして」と彼は言った。「この格好は最近の流行りなんだよ」
「女からのプレゼントかい」
「まあ、そんなところだよ。僕は幸せな男だよ」
「よく似合っているじゃないか。まるで色男だな」
彼はちらと私を見て、暗い道に視線を落とした。夜道では我々の足音だけが響いているようであった。
「僕があの女のいいなりになっていると思っているんだね」
「すまなかった。余計なことを言った」
「女がいる。それだけで充分じゃないか」彼は笑った。まるで自分自身を嘲笑っているようであった。
「酒は?」
「少しだけ、どうしてだか以前より飲まなくて平気になった」
「本当は、それほど酒好きでもないのかもしれないな」
我々は飲み屋の一室に入った。そこで、酒を飲んでいた。
「坂本とは上手くいっているのか。随分目をつけられているようだが」
小松はなにか考えているようであった。「仕方ないさ。ああいう連中は皆狙われるよ。でも、あいつにはサクラ会がついている。捕まりっこないさ。後ろ楯の強い人間は、それをいいことに威張っていたり、人と考えを擦り合わせようということがない。でも、坂本はそうじゃない。なんていったらいいのか、彼は人を結びつける不思議な魅力があるんだ。君も一度あってみるがいい。きっと友達になれるよ」
「俺はもうああいう連中には関わりたくない」
「気持ちはわかるが仕方ないさ。いくつもの戦争が彼らを生んだ。もうなくなりっこないさ。坂本と、僕ともう一人が、昔にずいぶん危ない目に遭った。それが、三人を強く結びつけた」
小松は盃の酒を飲み干した。すかさず私は彼の盃に酒をいれた。
「だけど、家に女が待っているというのにどうして俺なんかと飲んでいるんだ?」
「謙虚なやつだ」
「ちがう、不思議なんだ。おまえは、間違いなくあの女に惚れているが、俺といるときに女の話をまったくしないじゃないか」
「そんなこと話してなんになる」
「わからないな。どうしてなんだ」
「僕は完璧なんてものを求めてはいない。コトは幸福には違いないが、そんなのは偶然だったてだけの話だよ。まあ男女の関係は、実際そんなことは些細なことだ。ようするに、我々は互いに不足している部分を補いあっているだけかもしれない。そんなものに本当の楽しみなんか求めても駄目だ。そんなことをすれば、すぐに現実が追いついてくるからね」
私はなにも言わなかった。
「僕はただ時間を潰しているだけかもしれない。そうしてコトが家に客をつれてきて、その客が酔っぱらっているのを眺めたりしているのだ」
「あの女は、酔っぱらいが嫌いだと俺に言ったぜ」
彼は冷ややかな笑みを浮かべた。私は彼の首に銀のロザリオがかけられているのを認めた。
「彼女が言っているのは金のない酔っぱらいさ。金があれば誰でもいいんだ」
「そんな女なんて、手にいれなくてもよかったじゃないか」
小松は再び盃の酒を飲み干した。
「さあ、そろそろお開きにしよう」そう言って彼は立ち上がった。私は彼が見えなくなるまで見送っていた。小松の痩せた後ろ姿がどんどん暗闇に吸い込まれていくが、首輪のように巻きついた白いマフラーは身体が消えても最後まで残っていた。
頭がきれて、いつでも冷静なクマソ時代の彼の方が好きであった。本当にそうだったのだろうか。ただ私が彼を利用していただけにすぎないのではないだろうか。私は頭の中でなんどもこの問題を考えていた。
私がしつこく尋ねれば、彼は悩みを話してくれたのかもしれなかった。もし私が尋ねて話してくれたならば、二人の人間は死なずにいたのかもしれない。確実にとは言えないのだけれど。




