不安
私は大量の芋を抱えて梅屋敷へ入っていった。門の前には、厳つい顔のした門番が立っていて、私を見て苦笑したあと、軽く頭を下げた。小松は十畳くらいある部屋で正座をしていた。髭も剃り、青白い顔も少しはましになり、やっと人間らしくなった。私は彼と対面に座ると、盃をひとつ渡された。
「久しぶりだな」と私は言った。
「ああ、会いたかったよ」
「気軽に訪ねてくればいいのに。いつもあの旅籠屋にいるんだぞ」
「サイトウに迷惑をかけるわけにはいかない」
「人を斬らせておいて、いまさら何を言っているんだか。それに、生きている友達なんてもうほとんどいないだろうに」
「友達みたいなのならたくさんいるさ」小松は盃に口をつけると、一気に飲み干した。「助けを頼むことは簡単なことじゃないよ。とくに僕のような汚い地位の人間にはね」小松は私を見て寂しそうに微笑んだ。「酒をやめれば何かしら変わるのかもしれない」
「三年はかかるな」
「三年?」
「一般論だ。世界がはっきり見えてくる。汚いものがこれまで以上に鮮明をおびて目に飛び込んでくる。いままでいいと思っていた人間が急に汚らわしく思えてくる。軽薄でずるいようにさえ見えてくる」
「そんなのは、本当の意味では大したことじゃないよ」小松は言った。それから中庭を見て、まだ花の付けていない梅の木を見ていた。「シ国の仲介で、イズモ国とクマソ国で同盟ができるかもしれない。それがなれば、我々はカントウを牽制することができる。上手くすれば追い詰めて、新しい時代が来るかもしれない。たくさん死人が出るだろうがね」
私はなにも言わなかった。ただ、盃に入った酒を眺めていた。
「約束が違うと言いたいんだろう」
「いまとなってはどうでもいい。しかし、そんなに上手く事が運ぶものかね」
「運ばせるんだよ。シ国に武器商人の坂本というのがいる。イズモ国とクマソ国に武器を売り付けて大層もうけているらしい。まあ、その男はサクラ会のものなのだけど、それを利用しない手はない」
「もう少し、考え直してみたらどうだろうか」
「もう遅いよ。大丈夫、坂本は力になってくれるさ。僕は小さい頃から父の都合で何度もキョウトに来ているが、その度になにかと世話をしてもらったよ。今回も大丈夫だ。経験でわかるんだ」
「俺にもなにか考えさせてくれよ。俺はただ人の頭をかち割るだけが能じゃないんだからさ。少しくらいは頭が働くつもりだ。正直お前が心配でならないんだよ」
「ほんとかい?」小松はからの盃に酒を注いだ。「でも、僕は君の世話になるわけにはいかないんだよ。君にはさ、あの士官学校時代の、クマソ時代の小松として記憶に残っておきたい。いったい、君はなにがそんなに心配なのだ」
「今度会ったら、取り返しのつかないことになっている気がするんだ。いまならまだ引き返せるような気がするんだ」
彼は懐から血痰のついたハンカチを出した。「これだろう。これで、顔色が悪いから心配してるんだろう?だが大丈夫。医者が言うには二、三週間安静にしていれば治るらしい」
「そんなことじゃない。そんなことは気にしていない。俺はお前と長い付き合いだ。お前はなにか悩みを持っている。俺が深入りする必要もないが、確かに悩んでいる。勘でわかるんだ。あの芸子がお前を置いていったのは、お前が金をもっていなかっただけじゃないかもしれない。きっと彼女もお前の悩みを予感したに違いないんだ」
小松はうっすらと笑みを浮かべた。「僕はあの女を囲っていたことがあるんだよ。名前はコトと言ってね、身体が目的だった」
私は顔をしかめて立ち上がった。
「待ってくれサイトウ。僕があの女にうつつをぬかして、こんな馬鹿げた策を思い付いたんだと思っていいるんだろう。でも君、人は一人の女くらいではそこまで馬鹿になれるものでもないよ」
「きいた風な口をきくじゃないか」
「そう聞こえたか、気を悪くしたなら謝るよ」
私は部屋から出ていった。小松は追ってこなかった。芋を部屋に忘れたままであった。
静かな夜であった。家のなかは誰もが眠ってしまったようであった。私は刀を抜いて、その怪しい輝きを放つ刀身を眺めてみた。何人かの人を斬ったこと、死にそうになったことを思い出していた。蒼いだんだらの羽織が頭をよぎった。
階段を上ってくる音がした。襖越しから若い女中の声がした。
「小松さん、コトちゃんが外でお待ちです」
私は建物の外に出た。そこには、目の覚めるような赤い着物の女性が立っていた。
「サイトウさんかしら」
「ええ、そうです」
「コトです、サイトウさん。随分前にお店でお目にかかりましたね。あなたが小松を送ってくださったのを後で聞いたのです」
「はい」
「私たちが別れたことをご存じかもしれませんが、彼のことが気になっているのです。彼はどこにいるのでしょうか?」
「あの夜はどうでもよさそうでしたが」
「あの人と私はいい関係だったのですよ。少しくらい冷たくしても罰はあたりませんわ」
「彼は梅屋敷にいますよ。今は許嫁が面倒を見てくれているかもしれませんね」
彼女は急に明るい声を出した。「許嫁ですって?それは小松本人からきいたのかしら。あの人は私以外の女は近づけないのよ。絶対にね」
「気が変わったのでしょう。人は簡単に変わるものですから」
「いつもそんな失礼なことを女性におっしゃるのですか」
「まあ、あなたはただの他人ですから」
「いまに他人じゃなくなるかもしれませんよ。女友達にはそんなことおっしゃらないんでしょう?」
「あなたに答える義理もない。あの男が困っているときにあなたはなにもしなかった。あなたが一言注意でもすれば、街通いもやめていたはずです。そして、いまあなたを頼らないということは、彼はもうあなたを必要としていないのではありませんか」
「まるで占い師みたい。なにも知らない子供のくせに」
たしかに、私はなにも知らなかった。彼女の言う通りであった。だが、私が間違っているとも思えなかった。もし彼女が二十分ほど前に来ていたなら、もっと腹を立てて彼女を斬りつけていたかもしれなかった。しかし、それも空想の中のことで、私に女を斬るような趣味があるはずもなかった。




