意外な顔
久しぶりに小松と飲むと、彼は花街の灯りの近くで酔いつぶれた。店の主人は、自分の息子のように介抱しているようであったが、表情はよわりきっていた。小松の顔は、青白く以前よりやつれていた。彼の目を見れば泥酔しているのは明白で、酒を飲んで酔いつぶれることなどこれまで一度もなかったものだから、彼の姿はとても新鮮であった。酒を飲ませるためだけに芸子を置いている店で酒を飲みすぎただけの話であった。
小松のとなりには、顔の整った芸子が座っていた。黒い髪のツヤが美しく、紅をさした薄い唇がほのかに笑みを浮かべて、小松大佐がみすぼらしい青年に見えるような派手な着物をまとっている。だが、本当にそう見えたわけではなかった。たとえ酔っぱらいでも小松大佐は小松大佐であった。
店の主人は笑顔だけは一丁前の商売人でもあるが、この商売にありがちな約束通りの小悪党であった。もううんざりしていた。
「しょうがねえな」彼はとげのある声で言った。「あんた、小松さんを連れてってもらえないですかい。こんなんじゃ、商売あがったりですよ」
身なりのいい男が店へ入っていこうとしていた。馬鹿な奴らだと思ったのだろう、その男は暖簾をくぐる前にこちらを見て薄ら笑いを浮かべていた。
芸子が急に甘えるような声で言った。「いい考えがあるの。これからもう一度お店には入って、私と一緒に寝ましょうよ。こんなところにいて、あなたの仕事の人に見られたら大変でしょう?」
酔っぱらいは丁寧な口調で言った。「すまないが、もうお金がない」言葉だけではとうてい酒を飲んだように思えなかった。
「金がないって、どうしたの?」
女は男から少しはなれたが、言葉はもう冷えきっていた。
「もう金がないんだ。これ以上だと家に迷惑がかかってしまう」
「そうなの」女は氷のような目で小松を見ていた。
店の主人は小松が文無しであることを知った。「あんた、いつまでもこんなところで寝られちゃ迷惑ですよ。さあ、どこかへ行ってくださいな」
店の主人は小松を無理矢理たたせようとしたが、肩がすべって尻餅をついた。そこで私は側へよっていった。たとえ友人であっても仲間であっても酔っぱらいとかかわりあうのは気をつけなければならない。いつ、どのタイミングで殴られるかわかったものではない。私は小松の身体を抱き起こした。
「すまないね」と、小松は丁寧に言った。
芸子は立ち上がった。「酔っぱらうと少年みたいに言葉が丁寧になるのよ」彼女は抑揚のない機械のような声で言った。
「店で寝かせよう。金なら俺が払うよ」
「今日はもうダメ。約束があるのよ」女は暖簾に手をかけると、「親のいない猫と同じようなものよ」と彼女は冷たく微笑んだ。「孤独なのよ。本当に愛されたことがないものだから、誰が側にいても同じことなのよ」そう言うと、彼女は騒がしい店の中へ消えていった。
「女ってのはよくわからん」私は店の主人に言った。
「女心も秋の空でさ」彼は吐き捨てるように言った。「まあ金がなければ、こんな人を相手にするものですか。あの芸子なら客はいくらでもありますから」
その頃、私はクマソ国の屋敷ではなく、ある旅籠屋の一室を住処にしていた。通りの突き当たったところにある小さな屋敷で、中年の女将と、若い女中が一人いた。一階は店の者が使っていて、私は二階にある六畳ほどの部屋を利用していた。金はクマソ国からでた。
私が酔っぱらいを連れて階段をあがっていると、若い女中が声をかけてきた。この女中は、表情をあまり顔に出さないタイプの可愛らしい顔をしていた。
「なんでもないです、ただ友人が酔っぱらってしまって」
女中は大きな目で私を見ながら不思議そうに顔を傾けていた。私は小松を部屋に引きずりこんで、畳の上に寝かせ、布団をかけて眠らせた。彼は鼾ひとつかかずに、死んだように眠っていたが、夜中に目を覚まして、厠に行きたいと言った。戻ってくると酔いはすっかり覚めているようで、青白い顔をして、ここはどこだと訪ねた。私は場所を伝えた。
小松は水をくれないかと言った。私が水を持っていくと、彼は両手でコップをもってゆっくりと飲み始めた。
「どうして僕はここにいるんだ」
「金がないから、君のガールフレンドが道の真ん中で置いていった」
「そうか、それなら仕方ない」
「変わったなお前は、だらしなくなった」
「それは僕が一番驚いているよ。さあそろそろお暇しよう」
「おくっていくよ」
彼は私の肩をかりることなく階段を下りた。彼の梅屋敷へ行く間に、迷惑をかけたことを謝ったりしただけで、あまり喋らなかった。まるで、話さなければより感謝の意が伝わると思ったような態度であった。
梅屋敷の門は大きく、暗闇のなかではなかなかの威厳を放っている。見ているだけで息が詰まりそうであった。
彼は私にお礼がしたいと家に入るよう勧めたが、私は断った。すでに夜更けであった。彼は再び礼を言ったが、形式的な風でもなく、かといって軽々しいものでもなかった。どんなに変わっても礼儀をわきまえている男であった。
小松は芸子について一言も口にしなかった。また、持ち金のほとんどをあの女に使ってしまったことも口にしなかった。この芸子というのは、小松一人がいい人なわけでもなく、様々な男に貢がれていると言った風の、およそひとつの恋が長持ちしないような女であった。
暗い道を一人で歩いているなか、引き返して小松に言ってやろうかとおもった。しかし私が深入りしても、問題は変わらないし、言ったところで無駄かもしれなかった。私がどれだけ小言を並べても、どうしても会いたければ、彼はどんな手段をもってしても彼女に会いに行くことができるのだ。
私は拳をふりながら歩みを進めた。小松を信頼していた私は変わり果てた彼の姿を見てがっかりした。なぜだかわからなかった。わかっているのは礼儀正しいのと、最近首にロザリオをかけていることだけであった。しかし、人とは案外そんなものかもしれない。ある日を境に、突然性格が変わってしまうというのは良くある話だ。あの芸子が言ったように、我々は親のいない猫にすぎないのかもしれなかった。




