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風薫る  作者: しょーた
第一部 居場所
2/61

サクラ会

 我々51期の頭脳、小松少佐は士官学校時代から数々の問題を解決してきた。そのなかには新聞で取り上げられたものもあるし、取るに足らないくだらないものもあった。そんなわけで、我々51期は、なにか問題があると、まずは小松に相談にやってくるのであった。


 外はひどい雨が降っていた。

 小松は部屋のデスクに座り、なにかの書類のチェックをしていた。私はソファーに寝そべりながら「真田三代記」を読んでいたが、外の雨の音であまり集中できなかった。

 下宿の伯母さんの親戚が来るということで、私は気をきかせたつもりで、二日前から、城の近くにある小松の家にお邪魔していたのである。下男が襖越しに声をかけてきた。


「旦那様、有馬様がおみえです」 ふと私は顔を上げて小松を見た。


「有馬か、大丈夫だ通してくれ」


「はい」と下男は言った。足音が遠くなっていく。


「何の用だろうか?」


「さあわからないな。もしかしたら重大な相談事かもしれない。でなけりゃ、こんなひどい雨の日に来るわけがない。だけど僕は君がいるということを聞きつけて、酒を飲みに来たとする方が当たっていると思うな」


 しかし、小松の憶測を誤っていた。やがて足音がして 襖の前で止まった。


「どうぞ入ってくれ」 襖がゆっくりと開いた。


 その日の有馬は軍服をきっちりと着て、髪を七三に固めどこか洗練された上品さがあった。 軍服の肩は雨に濡れて濃い緑色になっていた。 髪も少し濡れていたところを見ると、外の雨がいかに酷いものか想像できた。 彼は一言も発さずに座った。まるで何か覚悟を決めたように、その顔は青ざめ、目は腫れぼったかった。


「どうもすまない」彼は自分の髪を整えながら言った。「綺麗な部屋にこんな格好で飛び込んでしまって」


「気にするな。上着をここへかけて、すぐ乾くだろうから」


「仕事帰りではなさそうだね」


「そうだ。叔父の法事だったんだ」


「どうりで。君がこの七三の髪型をするのは 冠婚葬祭の時ぐらいだし、きっちり軍服を着ているはずのないのだから」と小松は言った。


「実は相談があるのだが」


「お安い御用だ」


「それに助けても欲しい」


「そのことは内容次第だ。女を孕ませたのに、どこかへ逃亡させてくれと言われるのはごめんだからね」


「今度は色恋沙汰とは無関係だ」


「それは良かった。じゃあ始めてくれ」小松は机の書類を片付け、腕を組んだ。有馬は、ぽつりと話し出した。


「どこから話したらいいものか、少し長くなるが 聞いてくれ。俺の家は何でもない武家の家だが、代々の系図をたどると家老の家まで遡ることができる。

 俺の祖父は二人の息子がいた。兄の平一が俺の親父で、弟の武二は、吉田家へ養子に出された。やがて武二は、シマヅ卿上洛の時に、付き添ってキョウトに入り、いくつかの戦争をした後、中佐まで昇進した。キョウトでは家庭ももったらしい。しかし武二は、シマヅ卿から小さな土地をもらうと、クマソに一人で帰り、そこに住むことになった。


 叔父はキョウトでかなりの昇進を果たしたが、それは裏切りと陰謀に加担したからだと言われている。その割には、癇癪持ちではあるし、真っ直ぐな性格でとても政治で暗躍しているとは思えなかった。

 家には庭もあり、畑も二、三あって、よくそこで土をいじっていたと思ったら、どうにかすると何時間も部屋に閉じこもっていることも珍しくはなかった。酒もよく飲み、タバコも嗜むが、家に誰かを呼ぶということはなく交際というものがほとんどなかった。家には父ですら寄り付けはしなかった。


 でも俺だけは特別で、初めてあったのは十二歳の頃だった。夏になると、父と相談して叔父の家に泊まったりしていた。その時は、叔父なりにひどく可愛がってもらったよ。そして酒を飲んでいないときは、叔父と将棋を指したり論語について意見を交わしたりしたこともあった。

 十六になるといつでも尋ねて来いということで祖父の家の鍵を預かって勝手に泊まりに行ったり、したいことは自由になんでもさせてもらった。それでもひとつだけ例外があった。奥の部屋に俺だけじゃなく誰も、入ったことのないような開かずの間があった。ある朝と言っても二週間ぐらい前のことだが、叔父の家に一通の手紙が届いた。友達を持たない叔父にとって手紙は珍しいものであった。


 叔父はそれを取り上げてみて「宛名がない。 なんだろうか」と言いながら急いで封を切ると、中から 真っ赤な櫛と、桜の枝がテーブルの上にこぼれた。 俺はそれを見て、叔父にも色恋沙汰があるのだとニヤニヤ笑っていたが、叔父の顔を見ると急に笑うのをやめた。口を一文字にしめて、目を見開いて顔色も青白かった。持っていた紙は手の震えで振動していた。


「サクラ会」 と叔父は微かに呟いたのを俺は聞いた。


「どうしたんだ、おじさん」


「何でもない」叔父はそう言って自分の部屋に引きこもってしまった。

 

 食事を終えて廊下を歩いていると。片手には古びた錆だらけの鍵を持ち、茶封筒を抱えた叔父が歩いてきて、ばったりと会った。


「とうとうこの日が来たのか」おじはポツポツ言いながら、俺を見て言った。「新七、部屋に来てくれ」


 俺は言われた通り部屋に行った。テーブルの上にはあの茶封筒が置かれていた。


「新七、お前に頼むことがある。 もしお前の父か、それともお前にあの手紙が来たのなら、この茶封筒を指示通りに渡すのだ。こんな願いをして、お前も気の毒ではあるが、事情がどう変わるかわしにもわからん。だからどうか頼む」


 その日、俺は叔父の家を後にした。

 このことについて色々と考えはしてみたが、サクラ会について知らないし、考えれば考えるほどわからなくなった。 俺は何だか言いようのない恐怖に襲われて次の日も叔父の家に行った。

 

 叔父はすっかり変わっていた。朝から酒を飲み。下男にも暇を出した。そして、いつも自分の部屋にこもっている叔父が、刀を近くに置いて縁側に座っている。その様子は、死を覚悟した武士のような落ち着きがあった。


 そしてある晩、叔父の家の下男が飛び込んできた。彼の言うところでは、叔父は部屋で縊死していたのだと言う。軍は自殺で間違いないという決定を下した。

 けれどもあの叔父がどうも自分から死ぬとは考えられずましてや首吊りとはなかなか腑に落ちない」


「その封筒はいま持っているかい」

 

 有馬は立ち上がり、軍服の上着の内ポケットから茶封筒を出した。 


「見てもいいかい」


「いいよ」


 小松は茶封筒の中身を一通り見ると、それをもとに戻してから有馬に返した。


「すまない、続きを話してくれ」 小松が言った。


「叔父の家を相続した父は、叔父の家の物を整理していた。もちろん、奥の開かずの間も調べた。その部屋にあったのはいくつかの借用書で、様々な人の名前が書かれていた。これといって重要なものはなかったが、叔父の生活と関係ある書類や、キョウト時代の手紙がおびただしく散らかっていた。その中にはシマヅ卿からの手紙もあって、叔父が勇敢な軍人であったとうかがえる手紙であった。また叔父が正義派の人物を罵ったことが書かれている手紙もあった。


 父と母は叔父の家に移り、俺は家で一人になった。

 ある日、俺が家に帰ると、テーブルの上に一通の白い封筒が置かれてあった。開封すると、そこから桜の枝が出てきた。それから手紙には「大手通にある三区の郵便局に令の書類を送れ」とあった」


「それで君はどうしたんだ」と小松は言った。


「どうもしなかった」


「どうもしなかった?」


「じつは」有馬は自分の目頭をつまみながら「俺は迷っているんだ。叔父を殺した人間の敵を打たなくて、のこのこと言いなりになっていいものか。そんな情けないことをしていいものかと」


「ダメだ君、しっかりしなきゃいけない」と小松は語気を強めていった。「おじさんはきっとそんなこと望んじゃいない。 だから君に封筒を託したのだ。そうでなければ、あの時に封筒を燃やしてしまったり、処分してしまうはずなんだ。叔父さんは 君や、君のお父さんに危害が加えられるのを一番恐れていたのだ」

 そうして小松は有馬に近づき 、肩を掴んで「復讐したい気持ちはわかる。しかし今じゃないんだ。向こうは君を罠にかけようと網をもう何通も張りめぐらしているんだ。いま考えなければいけないのはこの状況を抜け出すことだ。命がなければ復讐もできないんだよ」


「わかった」有馬は立って上着に手を通した。 「君に相談してよかった。おかげで新しい希望が湧いてきたよ」


「一刻の猶予もない。すぐに郵便局へ行きなさい。君の身に起こっている危険は、決して漠然としたものじゃない。それから封筒を出し終えたらまたここに戻ってくるように。今日はここに泊まるんだ。この家なら敵もへたに手は出せないだろうからね」


「わかった。行ってくるよ」


 外は依然として強い雨が降っていた。

 小松はしばらく腕を組んだままどこか一点を見ていたが、やがてタバコに火をつけると、天井に煙を吐いてその行方を追っていた。


「サイトウ。今まで受けた相談の中でこんなに危ないものはないな」


「士官学生傷害事件以来かな 」


「あんなものはたいしたことないさ。有馬はとても面倒な奴らに目をつけられている」


「ということは、なにか心当たりがあるのかい」


「もちろん」

「というとなんだ? このサクラ会というのは何者だ。なんであの一家ばかり狙うのだろうか」


「まずは有馬武二が、家族を置いてキョウトを去った理由について、何かよほど大事な理由があったという仮定から出発しよう。家族を置いてあの年齢ならなかなか生活を変化させたがらないはずだ。それに帰ってきてからの孤独な生活を見ると、彼は誰かに恐れを抱いていたのか何か秘密を帯びた仕事をしていたのか。まあまずはこの両方だと考え始めるのが妥当だと思う。恐怖が何だったのか、それは彼の受け取った手紙からわかるし、秘密を帯びた仕事は封筒の内容からわかる」


「どういうことだい」


「有馬の持っていた茶封筒が、この手紙を出した奴らにとって非常に大切なものであることは間違いない。しかも相手は一人ではない。軍をまんまと騙した奴ら、あるいは、軍内部にも協力者がいるに違いない。この点からこのサクラ会というのは油断ならないのだよ」


「サクラ会とはなんなんだ?」


「君はまだサクラ会について聞いたことがないのかい?」


「知らないねえ」


 小松はふたたび腕を組んだ。


「サクラ会というのは、クマソ国、シ国、イズモ国、三つの国からなる秘密結社だ。その勢力の政治目的は、現政権の転覆、不平等をなくすこと、主に反対勢力への威嚇、並び結社の政権に反対するものの殺害。または国外の要人の殺害にも用いられたりする。この結社が、暴行を加える前に目標の人物に対し、桜の枝の入った手紙を送りつける。この警告に従わないものは必ず死を招く結果になる。結社の組織は幅広く、軍の上層部、下男まで。それに毎年優秀な人材をこぞってひき入れている」


「有馬武二はどうして殺されなければならなかったんだ」


「封筒の書類は借用者の名簿だったよ。それも全員が俗論派の人間さ。おそらく、有馬武二は誰かの命をうけて俗論派の支援者になったんだ。しかしある時から、このことがサクラ会にばれた。名簿のこともね」


「どうして名簿なんか」


「もしかしたら、サクラ会の奴等が一斉に反対勢力を粛清するかもしれない。今月にはいって軍本部の人間が三人やられている。そのうちの二人は俗論派の人間だった」


「じゃあ名簿は暗殺される者の選別をするために」


「おそらくそうだろう。まあ有馬の助かる道は、僕の言った方法しかないのだから、これ以上余計な心配する必要もないさ。有馬が帰ってくる前に一杯飲むことにしよう」



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