門
畳の部屋に布団を敷いて、そこに彼女を寝かせていた。私はそのそばに座って、彼女の顔を眺めていた。後ろには有馬がいた。我々はほとんど話さなかった。
「桐野は、ナカムラという偽名を使って、この近辺に潜伏していたらしい」と有馬はポツリと言った。
こんなに近くに潜伏など、まず誰かの手引きがなければできるはずはない。こんなことが頭に思い浮かんだが、そのときの私は、何事もどうでもいいように感じていた。私は有馬の言葉になにも言わず、ただ彼女の腫れた顔を見ているだけであった。
その顔は青く腫れて、見るだけで痛々しく思えたが、目をつむっている彼女はなんとなく安らかに見えた。それは私の勘違いであるのと同時に願望であるのかもしれなかった。
「そろそろ帰るよ」と有馬は私の背に呟いた。
部屋のなかに静寂が戻ってきた。私は彼女がいないとなにもする気になれなかった。
「もう一度、目を開けてくれないか」私は彼女に言った。もちろん彼女が目を開けることはなかった。私は氷のように冷たい彼女の手をずっと握っていた。私はその他を握りながら、この家を燃やしてしまいたいと思った。
彼女達の墓は71部隊の近くに作った。そこの方が、寂しくないだろうと思ったのだ。とうぜん、私はまだ死ぬわけにはいかなかった。漠然とだが、私にはやるべきことがあるように感じていた。それは、彼女が生きていたら考えすらしなかったことであった。
庭にある桜の木が花をつけた頃に、小松が家にやってきた。彼は私の不幸を聞きつけると、急いでキョウトからクマソ国に駆けつけたらしい。小松の顔はやつれており、目の下にはクマがあった。
「少し痩せたな」と私は言った。
「お互い様だろ」彼は笑った。そうして、「残念だったな」と続けていった。私は庭を眺めながらなにも答えなかった。
小松は縁側に腰かけた。
「サイトウ、キョウトに来ないか。君の力が必要になった」
「行ってもいいが、どうしていまさら?」
「キョウトはひどい有り様だ。同志達が、シンセングミに捕らえられている。政治方面では、我々クマソ国は蚊帳の外だ」
「俺になにができる」私は小松の目を見た。彼は私から目を話さず答えた。
「人を斬ってもらう」
私はなにも言わなかった。ただ、友人の変わり果てた姿から目を離さなかった。
「誰かがやらなければならないんだよサイトウ、でないとこの世界は変わらないんだ」
私もこんな世界はもうたくさんであった。そうして、世界が変わるならば、私は人を斬ろうと思った。
「小松、君の描く世界ってのはどんな世界なんだ?」
「人が人を殺さなくていい世界」小松は、表情ひとつ変えずに言った。
「それだけか?」
「ああ、それだけだよ」
そんな世界が来ればいい。そうすれば、私の考えているクマソ国の問題も幾分か解決できるのかもしれない。しかし、戦争がなくなったからといって、虐げられる人々は減らないのかもしれない。だが、そういう時節の変わり目に、虐げられた人々の時間やきっかけ位は作れるのかもしれない。そんな世界が出来上がるまで、私はどれ程の人間を殺さなければならないのかわからないが、もう私には選択肢はないのだし、誰も私の非業を止めるものもいないのだから、取るべき道はひとつであった。
「わかった、人斬りの件は引き受けよう。だが、一つお願いがある」
「なんだ?」小松は不思議そうに私を見た。
「この家を燃やしてもいいだろうか?」
「いいとも、君の好きにすればいい」そう言って小松は名残惜しそうに家の周りを見ていた。
夕暮れの山奥は、あっという間に暗くなっていく。その日は空気が乾いていて、家を燃やすにはちょうどいい日和であった。私の他に、小松と有馬がいた。
私は一通り家を眺めた。すると、どんなところにも彼女との思い出が浮かび上がってくるのには驚いた。私はますますこれを燃やさなければならないと感じた。
火をつけて、しばらくすると炎が勢いよくあがった。その炎を見ながら、まるで地獄の門が開けたように感じた。炎は暗闇のなかに妖しく輝いていた。そうして、その燃え盛る炎は彼女との思い出も共に燃やして、私という人物を空っぽにさせるようであった。炎はいつまでも燃えていた。




