イノチ
木々の葉はすっかり色を変えて、ほとんど落ちかけていた。
小さい頃、キョウトに住んでいたことがある。キョウトの冬はひどく寒かったが、クマソ国の冬はキョウトと比べるとさほど寒くはない。とはいえ、空気はひんやりと冷たい。
大通りにあるカフェテラスで私とコズエはお茶をしていた。通りは、楽しそうに歩く人々が多かった。休日であった。
私はホットコーヒーを、彼女はレモンティーを飲んだ。久しぶりの休日であった。私は、彼女と二人で出掛けるのが嬉しかったためか、ベラベラと一人で話していた。彼女は不機嫌な顔をせずに、面白くもない私の話をニコニコ笑って聴いていた。
コーヒーを飲み終えると、私の興奮は幾分収まっていた。コズエは黙った私をじっと見つめていた。私は嫌な予感がした。なにかしでかしたのかな。そう考えていると、コズエが話し出した。
「赤ちゃんができたの」
しばらく私は、呆けたように口を開けて彼女をみていた。彼女は私の顔を見て笑いながら、自分のお腹を優しく撫でた。
「困ったお父さんですね」と彼女はお腹に向かっていった。
「本当に子供がいるの」
「ええ」
私は椅子から立ち上がり、彼女のそばに立った。そうして、子供なんでどこにもいなそうなお腹に手をあてた。
「僕の子供だ」
なぜだかわからないが、私は目の奥が熱くなるのを感じた。お腹に手をあてたまま、私は彼女を見上げた。
「これからも、ずっと一緒にいてください」と言った。
彼女は私に微笑みながら、
「ええ、もちろん」と優しく言った。
風が吹いてきた。
「大丈夫かい、冷えないか」と私は言った。
「ええ」
「名前はなににしようか」
「気が早いお父さんだこと。これから、ゆっくり決めていきましょう」
そう言う彼女の落ち着きに、私は母親の面影を見つけた。きっと、彼女ならいい母になるに違いない。そんなことを思いながら、私は生まれてくる子供と、彼女の三人で暮らしている姿を思い浮かべた。
少し前までは、色々な人について心を悩ませていた私が、彼女の報告を聞くと、悩みなぞどこかに吹き飛んでいってしまった。どうも私と言う人間は意志薄弱の意地汚い人間なのかもしれない。しかし、いまはそんなことを思わないでおこう。彼女の幸せそうな顔。私にはそれだけでなにもかも忘れることができるのかもしれない。
本格的な冬がきた。小松と天草は今ごろキョウトについたころだろう。
そんなときに、私のクラスの生徒が死んだ。死因は溺死であった。川で溺れたのだ。
その男の子は、父親の仕事の手伝いの帰りに、足を滑らせて川に溺れたらしい。その時、父親は一人で先に家へ帰っていた。
こういったいきさつを、私の家に飛び込んできた有馬から聞いた。彼は走ってきたのだろう、息があがっていた。そうして、私は急いで喪服に着替えると、彼と共に生徒の家へ向かった。冷気が枯れ木の山道をいっそう寂しく感じさせる。
「実はな、その生徒の首に吉川線が見つかったんだ」有馬はポツリと言った。
「そんな、それは事件じゃないか」
「ああ、でも上はどういうわけか事故として処理したがっている」
それから我々は一言も話さず山道を歩いた。我々の小さな足音は山のなかへ吸い込まれていくように消えていった。
やがて、ボロボロの小さな家に着いた。なかに入ってみると、壁の所々に穴が開いてある。一室しかない部屋の中央に、その生徒が寝かされてそばには二人の両親が涙で目を腫らしていた。私と有馬がなかに入ると、もう部屋はいっぱいであった。私は両親に御悔やみの言葉を伝えて、早々に家を出た。有馬はなかなか家から出てこなかった。なにやら、両親と話し込んでいるらしかった。
重苦しい気分の朝であった。私は眠れずに、早くに学校にきていた。私は異様な光景に足を止めた。校門の上には、黒猫の首がおかれてあったのだ。周囲を見渡すと、誰もいなかった。幻覚を見ているのかと思った。
私はその小さな首を抱いて、校庭の木の下に埋めた。なんだか悪いことをしている気分であった。
いつも騒がしいクラスは深い悲しみに包まれていた。誰もが神妙な面持ちで、一言も話そうとはしない。なぜだか、私はイライラしていた。子供の死は人をおかしくさせるものである。
私は学校を早退して、家の縁側に座ってぼんやりと小さな庭を眺めていた。
「なにか考え事ですか」
隣でコズエの声が聞こえた。
「いや、なんでもない。それよりも、動いて大丈夫なのか」
「なにがです」
「お腹の子供だよ」
そう私が言うと、彼女は声をあげて笑った。
「まだ大丈夫ですよ。まだ三ヶ月ですもの」
コズエは私の隣に座って、子供のように足をぶらぶらさせていた。私は彼女の顔をみた。涼しげな横顔がそこにあった。
「大丈夫ですか」と彼女は庭をみながら言った。
「なにが?」
「いえ、なんだか心ここにあらずに見えたものだから」
彼女は足をぶらつかせて、私の顔を覗き込んだ。
「敵わないな」私は照れたように笑った。
「あなたのこと、よく見てるでしょ」彼女は嬉しそうに言った。
冷たい風が吹いてきた。コズエは髪が乱れないように手で押さえていた。
「この子が生まれたら、二人の式をあげよう。小松も天草も有馬もみんな呼ぶんだ。どうだろう?」
「素敵な考え。約束ですよ」
「うん、約束するよ」
彼女は小指を立てた。我々は指切りをしたあと、子供のように笑いあった。




