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風薫る  作者: しょーた
第二部 神無月
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セイタ

 

 


 校庭に陽が射して、雨上がりのグラウンドを照らしていた。私は教壇に立って、子供たちの姿を眺めていた。休み明けとは思えないほど、彼らの顔には疲れが見えていた。


「皆さん、宿題を出してください。忘れてきた人は先生に言うように」


 そう言うと、子供たちはぞろぞろと宿題を出しに来る。しかし、その半分は私に小さな声でいかにも申し訳なさそうにして言うのであった。私はその聞き取りにくい声をなんとか聴いて、頷いたり、わかったと言ったりした。それは先生にとって相応しい態度なのかわからなち。でも、先生というものは仕事で黒く汚れた小さな手をした子供を叱りつけるものでもなかろう。私にはそんなことできない。


「今日は宿題を忘れたかたが多いように感じました。君たちは家の手伝いで忙しいかもしれません。だけど、学生である限り宿題をするのは学生の義務です。もしお父さんとお母さんの許可がとれたなら、宿題を忘れた、あるいはやってない人は先生の家で宿題をするように。いいですね」

 子供たちはなにか大きな罪をおかしてしまったように、しょんぼり返事をする。


「では授業を始めます」


 勉強などここにいるほとんどの子供にはなにもならない。しかし、家の手伝いばかりしていても彼らの人生が変わる確率の方が少ないのだ。たしかに、勉強で人生を帰られるのはほんの一握りしかいない。だけど、ほんの一握りの子供だけでも人生を変えてあげたい。それが二人になり三人になっていく。そして、その家の仕事の跡継ぎがいなくなろうと、その土地に人がいなくなろうと、そんなことはもうどうでもいいのである。それに気がついたときは、もう手遅れであるし、そんな状況を招いた大人たちが悪いのである。気になどしなくてもいい。私達が思っているより、人間というものはずっと自由な存在なのかもしれない。


 チャイムが鳴った。私は教科書をもって職員室に向かった。すると、職員室の前に人だかりができていた。


「どうしたのですか?」


 私は一人の教師に聞いた。彼は小声で「校門の前で、首のない猫の死体がされたんだ」と眼鏡の教師は興奮気味に話した。


「子供のいたずらでしょうか」


「さあ、私にはわからない」


「可哀想に」と私は呟いた。


 授業は昼までであった。職員会議を終えて、私が家に帰ると、家ではたくさんの子供たちが宿題をしていた。畳に座っているものも、縁側に座っているものもいた。コズエは笑顔で子供の質問に答えていた。

「あら、お帰りなさい」コズエは笑顔で言った。


「毎回すまない」


「いいんです。子供が好きなんです」そう言って、コズエはまた子供の宿題をみにいった。


 頼もしい彼女の姿をみていると、どこからか元気が湧いてくる。私が畳の部屋に入ると、「先生、お帰りなさい」と子供たちが言う。私はその言葉に頷き、子供たちを眺めていた。

 先生の家で宿題というのはどうかと思うが、子供たちを親の手伝いから解放できる方法を私は思い浮かばなかった。ここにいる子供のなかには、帰ってから仕事を手伝う子供もいる。親というのは、子供に対して優しくもなれるが、反対に残酷にもなれるものである。私はそんな親が嫌いである。だから、とある生徒に「親孝行をしなくてはいけないのですか」と聞かれると、私は決まって「父母は唯其の疾を之憂う」と答える。


 妹や弟をおぶって来ているものもいる。彼らの健気さには頭が下がるばかりである。それも彼らが、これが当たり前だと思っていなければ話だが……。

 私は願う。彼らがこの伝統を当たり前だと思わず、おかしいと思ってくれることを、どうにかしなければならないと思うことを。今の私には願うことしかできないのだ。



 誰かが私を呼んだ気がする。私は声のする方を見た。セイタであった。彼は、縁側で宿題をしていたのだけれども、わざわざ私の座っている場所に近づいてきた。


「どうしたんだい?」


「先生、学校をでると軍隊に入りたいんだ」彼は赤い顔をしながら、小さな声で言った。


 彼は勉強ができた。それに頑張り屋でもあった。彼は親と交渉して、夜働く代わりにここへ宿題をしに来ている。彼なら幼年学校を受験しても受かるであろう。

「高等学校は行かないのかい?君なら勉強次第で相当な所に入れると思うけど」


「そんなの行けるわけないよ。それに、高等学校は給料がでないだろう。幼年学校をでて、その後の士官学校に入れば給料がでるよ。俺はそっちの方がいいんだ」セイタは笑いながら言った。その目にはうっすら涙が浮かんでいる。

 夢を諦めた人間は、こんな風に強がるものである。私は彼を気の毒に思った。


「お父さんとお母さんには言ったのかい」


 セイタはなにも言わず、首を横に降った。


「どうなるかわからんが、試験まであと一年ほどある。君が軍隊に入りたいなら、これから、お父さんの許可をもらえる日は、この家に来て勉強をしなさい。僕が教えてあげよう」


「いいよ、先生。迷惑だろう」


「ああ、迷惑だ。だけど君、なんでも一人で頑張ってはいけない。たまには、迷惑だと思われても人を頼りなさい。皆が君を頼るんだ。それくらいのことをしたって、罰はあたるまいよ」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」

 セイタは手をついて頭を下げた。部屋のなかは宿題が終わった生徒がはしゃいでいた。


「さあ、みなさんお握りができましたよ」コズエは台所から、大量の塩むすびを持って現れた。子供達は米に群がるように、彼女の元に集まっていった。

 

「さあ、君ももらってきなさい」と私はセイタに言った。彼は私にもう一度頭を下げてから、群れに加わった。


 彼女は楽しそうに、一人一人の小さな手に大きなお握りを渡していた。私はそれを飽きずに、最後まで眺めていた。



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