母親
船に乗り風を切って進むのは気持ちがよかった。私は袴姿であった。シ国は袴が主流であった。
私は首桶を抱えながら、シ国に向かっていた。久しぶりの外国であった。
これは私にとって最後の仕事であった。小松は「君がいく必要はないのだが」と言っていたが、私なりのけじめの付け方である。
岡田の家はかなりの田舎にあった。しかし、私が想像していたよりも家は大きく、綺麗であった。これも、彼の仕事のお陰なのかもしれない。
私は門口に立った。
「ごめんください」と言った。
なかから、岡田の母親がでてきた。私は事情を話して、家のなかにはいった。囲炉裏のある大きな部屋であった。妹は学校で留守であるらしかった。
私は母親に、ロザリオと首桶をそっと差し出した。そして、母親に、彼は政治の陰謀で殺されたのだと話した。母親は「そうですか」と小さく呟いた。
「あなたは、あの子とどのようなかんけいでしたの?」母親は私を見て言った。
「たいした関係ではありません。息子さんが入れられていた牢屋の門番です」と私は嘘をついた。
母親はそうですかと言って、目の前にある首桶を寂しそうに眺めていた。そうしてポツリポツリ語りだした。
「あの子は、優しい子でした。人の役に立つのが好きな子で、小さい頃はよく私の手伝いをなにかとしてくれました。本当に心根の優しい子です」
私はなにも言わなかった。私は彼のことをあまりにも知らずにいた。
すると、彼女は優しく微笑み、首桶の蓋を開けて生首を取り出すと、それを胸に抱きしめた。
「お帰り。イゾウ」
そう言って彼女は涙を流していた。たしかにイゾウは愛されていたのだ。私はイゾウの家を早々に辞去した。
私は田舎の畦道を歩いていた。空には雲があり、それが勢いよく移動していた。
前から紋付き袴をきた男が歩いてきた。背の高い、切れ長の目をした男であった。私とその男はすれ違うと、背後から声がした。
「もし、なにか落としましたよ」通りすがりの男が言った。
私は振り返った。紋付き袴の男は私に近づいてきた。
「ロザリオですか。大事にしなければ」
男は右手にロザリオを持っていった。
「いえ、それは私のものでは……」と私が戸惑っていると、男は鋭い目で私を睨んだ。
「我々の邪魔をするな。これ以上関わると、ただじゃおかない。お友達にも伝えておけ」と男は低い声で言った。
セミの声が響いていた。私は男をじっと見た。我々は互いに睨み合った。
「心得ておきます」
私は静かに言って、頭を下げた。
「あなた、どうかなさったの?」
男の背後に上品な女性が立っていた。彼女はなにやら心配そうに我々を見つめていた。
「この方が、ロザリオを拾ってくれたんだ」と男は笑顔で言った。
「まあ、それはありがとうございました」と彼女は頭を下げた。
「では、サイトウ君ありがとう」そう男は言った。
私は軽く頭を下げてから、その場から離れた。
とんでもないものに目をつけられたものだ。私は田舎の畦道を歩きながら、軍をやめたあとの自分の生活について考えていた。
ここで、第一部完結です。




