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女の子になれる機械  作者: 半ノ木ゆか
第一話 新しい体
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#2 女の子になれた!

 長い長い夢が終った。


 目を閉じたまま、今日すべきことを考える。


 学校へ行かなくちゃ。朝ごはんを無心で食べて、可愛くもない制服を着て、寝不足な頭で授業を受けて――。


 僕は布団の触り心地で、そこがいつもの自分の部屋でないことにぼんやりと気づいた。鉛のような腕でナースコールを探し出し、呼出釦を押す。それだけで疲れてしまった。眠気が僕を引き戻す。


 遠くで「ピンポーン」と音が鳴る。十も数えないうちに足音がやってきた。七人くらい引き連れている。引戸の音がした。


「おはようございます」


 新宮医師の声だった。


「痛い所や気になる所はありますか」


 別の声が聴こえた。長い沈黙の後、僕は目を瞑ったまま答えた。


「痛い所は、ありません。あと、すごくだるい。お腹の下の方が、ちょっと……温かい気がします」


「今、機械を外しますからね」


 ぱさりと布団が捲られる。機械の運転音が停る。ベルトのような機械が取り外された。お腹が急に涼しい風に触れて、心地よかった。


 ゆっくりと目蓋を開ける。眩しくてすぐ閉じる。白くてよく見えなかった。今まで見たどんな光よりも明るく感じた。片目を閉じたり、薄目で見たりしながら慣らす。


 日が射し込む窓を背に、新宮医師が立っていた。


「目の調子はどうですか。耳の聴こえ方は?」


 僕はむにゃむにゃと答えた。


「前より景色がはっきり見えます。なんか、自分の声が変なふうに響きます」


 八月のカレンダーが目に留った。眠る前のことがちょっとづつ思い出される。僕はドキッとして、少し身を起した。背中が汗でじんわり湿っている。窓の外であさがおが花を閉じていた。白い植木鉢から伸びている。


 看護師たちが慌ただしく動いていた。一人は僕の体を拭いていた。一人はタブレット端末に文字を打ち込み、僕の様子を記録している。


 その時、黒い滝みたいなものがぱさりと視界を塞いだ。心臓が止るかと思った。髪の毛だった。僕の背丈より長い。首にさらさらとかかって、くすぐったい。頰に引き寄せて笑う。


「ゆ、夢みたい」


 自分の声の変りように、今更ながら気付く。


 今までなら裏返っていた高い音も、淀みなく出せる。喉にぴとりと触る。細い首だった。あの喉仏はどこへ行っちゃったんだろう。


「鏡、鏡ってありますか」


「この手鏡を差し上げますよ」


 看護師が言うより先に、僕はベッドから降りた。目の高さが頭一つ分、低くなっている。


 冷たい床をまっさらな足でぺたぺた駈ける。医師たちがどよめき、道をあけた。「もうしばらく安静にしないと」と呼び止める声もあった。黒い長い髪がずるずると僕を這って追った。


 突然、目の前が白く輝いてぐるぐる動いた。ふらりとよろめく。それを大きな手が支える。


「落ち着いて下さい。まだ、脳が新しいからだに慣れていないんです。急がなくても鏡は逃げませんよ」


 低く優しい声とともに手鏡を握らされる。目の前のもやがだんだんと晴れるのを、僕はドキドキしながら待った。


 重い手鏡の中に人影が見えた。長い髪を垂らしている。暑さのためか、頰はほんのりと赤い。白い肌にはにきび一つなかった。長い睫毛まつげをぱちぱちと動かし、黒目がちの目で僕を見つめ返してくる。高校生くらいの見た目の、痩せ気味の少女がそこにいた。


「わーい!」


 僕は手鏡を抱えてふわりと跳ねた。


「僕、女の子になったんだ! 女の子になれちゃったんだ!」


 飛んで踊ってひとしきり喜ぶと、僕はその場にへなへなと坐り込んだ。すかさず新宮医師が膝まづく。


「どうされましたか。ベッドへ戻りましょうか」


「……か」


「はい?」


 僕は手鏡を抱きしめたまま、うつろな瞳で言った。


「おなか、お腹が空きました」


 おろおろする看護師をよそに、僕はご飯を搔き込んだ。空っぽの丼を突き出す。


「おかわり下さい!」


「もう十杯目ですよ!?」


 一人が注文へ急ぎ、一人がタブレットに食べた量を打ち込む。僕はぱちぱちと瞬きをして、周りを眺めた。


 ここは病院に併設されたレストランだ。食器同士のぶつかり合う音が厨房から微かに聴こえる。休憩中の職員や症状の軽い患者が昼食をとっていた。


 外の公園で木々が青い葉を茂らせている。風の吹く度、木漏日が地面で揺らいだ。


「唐揚、お好きなんですか」


 こくりと頷く僕。


「いつまで食べますか」


 唐揚を運ぶ箸を止めて、新宮医師に答えた。


「これでおしまいにします」


 彼女が一つ頷く。


「では、私たちは他の患者さんを診なければなりませんから。食べ終ったらさっきの病室に戻ってきて下さいね」


 僕は一人で黙々と食べ続けた。


 ご飯を口へ運ぶ度に、髪がはらはらと零れて汁物に触れそうになる。僕はその都度、慣れない手付で髪を耳にかけ直した。病室を出る時、床に付かない程度には切ってもらったんだけど。


 可愛らしい声が聴こえたのは、その時だ。


「髪、邪魔じゃない?」


 顔を上げると、向いの席に女の子が着いていた。僕は箸を落としそうになった。


「ごめんね。びっくりさせちゃった?」


 眉尻を下げて、胸の前で細い手を合せる。僕はナプキンで口を拭き、かぶりを振った。


「そんなことないよ」


 僕と同じくらいの歳に見えた。彼女はくりくりした目を細めて「えへへ」と笑った。


「一つあげるよ」


 両耳の下で結んだ髪をふわりと揺らし、患者衣のポケットをまさぐる。覗いたのは、彼女がつけているのと同じ桃色のシュシュだった。


「いいの?」


 頷く彼女。


 僕の手の平にシュシュがころんと着地する。僕はそれを胸に抱き、微笑んだ。


「ありがとう。嬉しい」


 シュシュを一旦テーブルに置き、首の後ろでもたもたと束ねる。だけど、指の隙間から髪が逃げてしまう。彼女は苦笑した。


「初めてだもんね」


 素早く僕の後ろに廻り込む。「失礼するね」と言って、長い長い髪を手際よくまとめてゆく。僕は思った。


 君はどうして病院にいるの?


 怪我にも病気にも見えないけど。


「これでよし」


 彼女は腰に両手を当て、うんうんと頷いた。


「また会おうね」


「えっ? うん。またね……」


 僕は小首を傾げつつ手を振り返した。遠のいてゆく彼女の髪は、今の僕と同じくらい長かった。

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