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女の子になれる機械  作者: 半ノ木ゆか
第一話 新しい体
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#1 [表紙絵]

挿絵(By みてみん)




「本当に女の子になれるんですか」


「なれますとも」


 僕の質問に、新宮にいみや医師は自信たっぷりに答えた。


「次に目を覚ますとき、あなたはすっかり女の子になっていますよ」


 ここは病院の一室だ。ベッドが二台、向い合せに置いてある。患者衣を着た僕はそのうちの一台にいた。梅雨の空に背を向ける白衣姿の彼女は、ここに勤めている新宮恵美(えみ)医師。歳は僕の両親と同じくらいだった。


「でも手術はしないんですよね。しかも、簡単に元のからだに戻れるだなんて」


 信じ切れない僕に、新宮医師は少し強い声で言った。


「失礼しちゃいますね。私の四半世紀の研究の集大成ですよ。人が思い描けることは、人が必ず叶えられるんですから」


 僕は黙った。目を瞑って唸って、彼女を見上げる。


「やっぱり、僕が男の人を好きになるだなんて、考えられない」


 新宮医師が眉尻を下げ、僕を見つめ返す。僕はたじろいだ。


「理論を教えてあげましょう」


 彼女は微笑み、踵を返した。


「まだ誤解してるみたいですね。『性別』と一口に言いますけど、あなたは色んなものをごっちゃにしちゃってます。本当は、人間の性別は五つの違うものが絡み合ってできているんです。女性にするのは、その内の一つだけ」


 そう言って、白衣の胸ポケットからジッパー付の袋を取り出す。中には黒い粒々が入っていた。植物の種らしい。


「一つ目が、染色体の性別。染色体は、学校で習いましたよね」


 彼女が向き直る。僕は目を丸くした。


「えっと、生物の授業で習いました」


「説明できますか」


 口籠る僕に、彼女はくすりと笑った。僕は布団を引き寄せて、熱くなった顔を隠した。


「大丈夫、この話にはあまり関りませんから。……性染色体は、あなたがお母さんのお腹に宿ったその時。受精する瞬間に決まるの。これを変えたら別人になってしまいます。だから、あなたの性染色体は男の子のまま」


 窓を開ける。吹き込んできた風が僕のおでこを冷やした。雨がしとしとと聴こえる。外の白い植木鉢に、細い指で、種を二、三粒蒔く。


「二つ目が、体の性別。あなたに関りがあるのはこちらです」


 新宮医師は天井から何かを引き出した。ベッドの正面に現れたのは、白い幕だった。僕の頭上にリモコンを向けると、幕に数枚の絵が映し出された。


「実は、性染色体が男性でも、女性の体で生れてくる人がいるんです。『性分化疾患』と呼ばれるものの一つですね」


 僕は身を乗り出した。


 絵は横二列に並んでいる。お腹の中の赤ちゃんを描いたもので、右へ進むほど体が大きくなっている。よく見ると、上の段は女の子、下の段は男の子だった。


「赤ちゃんの体は、初めは女の子と男の子で差がありません。だけど、ある時に男性ホルモンを浴びることで、男の子は男の子の体になるんです。私たちはこの仕組を利用して、わざと性分化疾患を起すことにしました」


 彼女は指棒で右端の男の赤ちゃんを示した。


「まず、あなたの体を特殊な薬で若返らせます。お母さんのお腹にいた頃の、小さな小さな体までね」


 指棒が左端の赤ちゃんへ近づく。


「その後、成長促進剤で一気に元の年齢に戻します。男性ホルモンを浴びなければ、女性に近い体のまま成長できるはず。あくまで女性のような体ですから、大人になっても妊娠はできませんけどね」


 指棒はUターンして、右端の女の赤ちゃんに辿り着いた。


 僕はぴとりと自分の首を触ってみた。太い首だった。唾を飲むと喉仏が動いて、指の骨に当った。体の中に別の生き物がいるみたいで、気持悪かった。


 絵が消え、幕が上がる。向いのベッドでは誰かが寝ているらしかった。だけど、カーテンで仕切られていて中は見えなかった。


「三つ目が、心の性別。『僕は男だ』とか『私は女だ』とか『どちらでもない』とか『両方』とか、自分はどの性別か、体の性別に関りなく感じていることです」


 彼女は続けた。


「四つ目が、性指向。易しく言うと、誰に恋をしうるか。あなた、さっき『僕が男の人を好きになるだなんて』って言いましたよね。あれのことです」


 指棒の両端を摘む。棒はしゅるりと縮んで、白衣のポケットに収まるほどになった。


「心の性別も性指向も、お母さんのお腹の中で脳ができる時、ホルモンによって決まると考えられています。ですが、この治験では脳はほとんどいじりません。記憶を保つためです。ですから、心の性別と性指向も変りません」


 耳にかからない短い髪を、骨張った手で触った。頭がじいんと熱くなったような気がした。


 僕が本当に女の子になるの? 今から?


 夢のようだけど、現実だ。修学旅行の前の夜みたいに、胸の中で期待と不安がぐるぐる動いた。


「五つ目が――」


「新宮先生、時間です」


 白衣の男性が廊下から顔を覗かせた。病室の時計は五時過ぎだった。


「いけないいけない。すぐ用意して」


「もう持ってきています」


 引戸が開く。「五つ目ってなんですか」と訊こうとした僕は、思わず口を閉ざした。


 男性が一台のワゴンを押して入ってくる。白っぽい物が乗っているのが見えた。それに看護師が四人、きびきびとした足取でいてくる。針みたいな緊張感が病室を貫いていた。


 ワゴンがベッドの隣に停った。僕はゆっくりとそれを覗き込んだ。


 ベルト型の機械だった。輪っかになって、清潔そうな布の上に置かれている。肌に触れる内側は布製だ。外側は白いプラスチックで覆われている。


「はい、横になって下さい」


 もっとまじまじと見たかったけど、促されるまま、枕に頭をあずける。


「お腹を出して下さいね」


 僕は渋った。耳が熱くなる。看護師が試すように訊ねる。


「……女の子になりたくないの?」


「な、なりたいです!」


 一人が僕のおへそ周りを消毒した。そこへ、さっきの装着具をつける。僕はびっくりして目を瞑った。ひんやりして、何かがチクリと刺さったような気がしたんだ。内側は全部布だと思っていたけど、一部違うらしい。


 背中を丸め、あお向けのまま機械を見る。見た目よりもずっしりしていた。トランプ大の液晶画面がある。白い筐体きようたい越しに、うっすらと内側が見える。薄緑色の管や、茶色い液体の詰まった半透明の容器がぎっちりと畳み込まれていた。僕は恐る恐る訊ねた。


「新宮先生、これは」


へそと胎盤です。要らないものを吸い取りながら、栄養を送り込むの」


 筐体の中央に白いボタンがある。新宮医師がそれを優しく押した。液晶画面に青白い数字が浮び上る。機械が低い音を立てはじめた。目をこらす。じわりじわり、管に透明なものが流れ、体へと送り込まれている。


 僕は薄い布団をかけて辺りを眺めた。看護師たちが片付け出す。一人がタブレット端末の電源を切り、僕に伝えた。


「最初の性転換には八週間かかります」


「二ヶ月も眠るんですか?!」


 新宮医師が窓辺を歩いて言う。


「あなたの十六年間の成長をもう一度やり直すんですから、これでも短いんですよ」


 六月のカレンダーが窓の隣にかけてある。ちらりとめくり、七月の頁を見せた。


「胎児に戻すのに一ヶ月、成長するのに一ヶ月。機械の中の栄養や薬品、老廃物は、定期的に取り換えます」


 いつの間にか、部屋には僕と新宮医師だけになっていた。彼女が灯りを消す。僕はカレンダーをぼんやりと眺めた。目蓋がだんだん重たくなる。


「治験期間は目覚めてから一ヶ月です。おやすみなさい」


「……新宮先生」


 引戸を開けたその背中に、僕は訊ねた。


「五つ目って何ですか」


「五つ目?」


「さっきのお話の続きです。体の性別とか……心の性別とか」


 眠気と戦いながら言葉を紡ぐ。彼女は「ああ」と声を上げて、言った。


「いけないいけない。五つ目の性別はね――」


 おしまいまで聞く前に、僕は眠ってしまった。

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