ものがたりの、はじまりは。
「星空。」
私の瞳をじっと見つめながら、男の子はそう呟いた。
それが、すべての始まりだった。
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6歳のとき、子供たちだけのお遊び感覚で開かれた小さなパーティーに、田舎貴族とはいえ伯爵令嬢である私は招かれた。
かといえ、引っ込み思案で人に喋りかけることのできないことは愚か、話しかけられても上手く返すことの出来なかった当時の私は、楽しそうに話している子供たちの輪に入ることなく一人だった。
(……………いいな。)
楽しそうに話している同年代の子たちの輪に、憧れなかったわけじゃない。
話に花を咲かせ、幸せそうにお菓子を頬張っている姿をただ遠くから眺めて、ああ、混ざりたいなぁなんて思っていた。
でも、話しかけることなんて出来なくて。
私なんかが混ざったところで誰も楽しくなんてないことは、私だってわかっていた。
実際、話しかけてくれた令嬢は何人かいたけど。
上手く返すことが出来なくて、結局何も、名前すら伝えることの出来ないまま、令嬢たちは去ってしまった。
私はきっと賑やかなパーティーには不向きで、屋敷に籠って本でも読んでおくべきだったのかもしれない。
そんなとき、ひょこ、と小さな女の子が、デザートの並んでいる白いクロスの掛かったテーブルから、姿を隠すように顔を覗かせていた。
(……………なんだか、すっごく)
見られている。
「………………」
視界の端から感じる視線が痛い。
自分にどこかおかしいところがあるのかと不安に思いながら、気になってちら、と女の子のほうを見る。
ばっちりと目があってしまって、その女の子は慌てたようにはっとすると、私の方へと駆け寄ってきた。
ふわっと髪を揺らしながら、女の子は丁寧にドレスを少し持ち上げる。
「わたし、リーナ・オリディールともおします。あっ、あの。」
私よりも小さな女の子は、舌足らずなその喋り方で丁寧に名前を告げると、天使のように笑ってみせた。
(……………かわいい。)
人形のような白い肌を薄桃色に染めて、ぱっちりとした澄んだ緑色の瞳で私を見つめる。
「…おなまえ……」
「え……?あっ、え、ええっと、え、えりのあ…」
あれだけ挨拶のマナーや行儀作法を教わったというのに…でも、名前を言えたことにほっと胸を撫で下ろす。
「エリノア様!」
きゅん、と胸の奥で何かが跳ねた。
笑顔かわいい。天使が舞い降りた…?
「これ、どーぞ。」
「………?」
差し出された何かを受け取ると、それは透明の袋に入れられたチョコだった。
「……く、くれるの……?」
「うん、かなしそうにしてたから。」
ありがとう、そう言いたかったけど上手く言えなくて、笑顔を浮かべてみせる。
「元気でた…?」
こくりと頷くと、女の子は嬉しそうに笑った。
それはそうと、集まっているのはみんな同年代なはずなのに、この子は少しとはいえ幼く感じる。
不思議に思っていると、
「今日はお兄さまについてきたの。」
と女の子はそう笑った。
◇ ◇
天使のような小さな女の子と別れたあと、袋をあけ、チョコを口へ運ぶ。
(…………おいしい。)
話しかけてくれたことが嬉しくて、でもなんだか余計寂しくなった気がして。
この場に居ても居ずらいだから、少し散歩でもしようと人気の少ないところに足を向ける。
みんな会話に夢中で、テーブルがたくさん並んだ庭の賑やかさとは裏腹に、少し離れたところは誰もいなくて静かだった。
遠くから楽しそうな声が聞こえる。
誰もいないことにほっとして、軽く息を吐いた。
パーティーが終わる時間まで、ここで時間を潰そう。
そう思って、足を止めたときだった。
ふいに。
「誰かいるの?」
突然聞こえてきた知らない声に、びくっと肩を震わせる。
「だ、だれ…?」
振り返ると、茂みの中に男の子が立っていた。
柔らかい亜麻色の髪に、珍しい、綺麗な銀色の瞳。
その銀色の瞳は、私を映していた。
人形のような綺麗な肌に、亜麻色の髪がかかる。
「星空。」
微かに吹いた涼しい風に、木々の葉や芝生が揺らされて。
男の子が呟いた言葉に私は首を傾げる。
「君はだれ?」
最初、問いかけられたその言葉の意味を理解できず。
少しの間フリーズしたあと、慌てて口を開く。
「え…あ、わっ、私は…エリノア・クラシースと、も、申しま、っす。」
途切れ途切れになってしまって、恥ずかしさで顔が熱くなる。
反応を伺うように男の子の顔をそっと見ると、その子は優しく微笑んだ。
「エリノア。…僕は、」
話し始めた少年の声を遮るように、「ラファエル殿下!」という声が聞こえてきた。
侍従らしき者が走ってくる。
「こんなところにいたんですね!殿下、アルフレッド王子がお探しです。」
「え?あぁ、ごめん。すぐ戻るように伝えて。」
「はい、承知しましたっ!」
先行ってて、と男の子は侍従を促すと、再びこちらを見る。
(で、でででで、殿下!?お、おお王子!?)
このお茶会に呼ばれているのは貴族だけだから、この男の子も貴族なんだろうと思ってて。
でも、他の人たちとの友好を築くための小さなパーティーだから、この国の王子殿下が来てるなんて思いもしなかった。
まだ幼いとはいえ王子という地位の尊さはわかっていて、私は慌てて頭を下げる。
「でんっ、す、すすっすみませっ」
もしかしたら無礼を働いてしまったかもしれない、と恐る恐る顔を上げるが、殿下はそんな様子はなかった。
「ごめんね、ゆっくり喋りたかったんだけど。」
「い、いえっ、お気になさらずっ」
「じゃあ、またね。エリノア嬢。」
どうするべきかわからず、とにかく頭をぺこぺこと下げている私に、殿下は手を振って去っていった。
(…… 、……またね………?)
殿下の言葉が理解できず再びフリーズしていた私は、私を探していた付き添いの騎士に声を掛けられるまで、殿下の去って行った方向を見ながら突っ立ったままだった。
◇ ◇
それからの私といえば、あのお茶会から2週間後、父と母から呼び出されて。
なにかと思って訪ねれば、ラファエル殿下から婚約の申し込みが来ているとのことだった。
「エリノアちゃん、別に無理に婚約を受けなくても良いのよ。殿下からご婚約の申し込みをいただくことは凄く光栄なことではあるけれど、あなたの気持ちが一番だもの。」
「そうだよエリノア。なんだってエリノアはまだ6歳なんだ、婚約だなんて早すぎる!」
お母様とお父様はそう言ってくれたけど、私は婚約を受けることを選んだ。
殿下はこの国の王子なのだ、婚約すれば、いくら田舎貴族の伯爵家でも優位になる。
とはいえ、幼く身分に対してあまり知らなかった私は、クラシース伯爵家をより有力にするため、なんてこのはあまり深く考えてはいなかった。
単に、確かに王子の婚約者とはとても光栄なことであるから、少しでも“娘は王子殿下の婚約者”だと母と父の自慢の娘になりたかったからかもしれない。
そうして私は、 殿下の婚約者となった。
なぜ伯爵令嬢なんかに、しかもたった一度顔を合わせただけの田舎貴族に、なんて不思議に思ったけれど。
一つ思い当たることがあるとすれば、私の瞳だった。
殿下の銀色の瞳もすごく珍しいけれど、私も変わった瞳をしていて。
深い蒼色の目には、淡い黄色の光が混じっている。
ひとつの目に二色が混ざっている瞳は見たことがないと、お母様とお父様も、屋敷に働いているみなそう言った。
私は最初、この瞳が嫌で仕方がなかった。
変わった瞳なんて変だと。
どうして、お母様やお父様みたいな、澄んだ赤一色碧一色じゃないのだと。
だけれど、お母様は私に言った。
「あなたの瞳は綺麗ね。」
光の秘めた深い海のようだと。宝石みたいだと。
お父様も、「エリノアの瞳は綺麗だ。」と私の目を褒めた。
普段から話すことのあまりない母と父が、私の瞳を好きだと言ってくれて。
話しかけたくても話しかけれなくて、ぎこちない距離感の使用人や侍女たちも、「お嬢様の瞳は綺麗ですね。」と微笑んでくれた。
それが、うれしくて。
まるでこの瞳は、私の存在価値を示しているようなものだった。
人と話すのが苦手で、勉強も得意じゃないし行儀作法だって上手くできないけれど。
この瞳は唯一誇れるものだった。
きっと殿下も、私の変わった瞳に興味を持ったのだろう。
星空みたいだ、と。
直接言われたわけじゃないけれど、たぶん、きっとそう。
瞳以外に取り柄のない私が、身分だって王子殿下には合ってない私が、婚約を申し込まれるはずがないのだから。
◇ ◇
幼い私は、そう理解していて。
だからこそ、不安だった。
目の色が気に入った、という理由で婚約者に選んだのならば。
瞳が見れるならそれでよくて、冷たくあしらわれるんじゃないか、と。
いや、そんなことはどうでもよかった。
いつか私の瞳に飽きてしまったら?
時間が経って、私の瞳を見飽きてしまったら、私は捨てられてしまうんじゃないか。
殿下には私が必要なくて。
そう考えたら、怖くて仕方がなかった。
だけど。
殿下は優しかった。
私の名前を呼んで、微笑んで、私に手を差し伸べて。
そんな不安は感じなくなるほどに、私は殿下と過ごす時間が好きになっていった。
上手く喋れない時は、話し終わるまで待ってくれた。
私の手を引いては、普段は大人びた年齢に不相応な顔を、子供らしく無邪気に笑ってみせて。
よく私の屋敷に遊びに来ては、庭で時間を過ごした。
王城を訪ねることもあったけれど、殿下は私の屋敷の庭が好きだと言った。
庭園の花壇に植えられた白いリナリアの花が好きだった。
ラファエル殿下て過ごす時間は、これ程になく幸せだった。
普段から私は一人で過ごすことが多くて、平気だってそう自分に言い聞かせていても、それでも少しは寂しかったけれど。
殿下と過ごしている時間は、その寂しさも忘れていた。
最初は不安だったのに、怖かったのに。
殿下の笑顔は、私の不安を溶かしていって。
いつか捨てられてしまうんじゃないか。
そんなことを思うことは、とうになくなっていた。
「ラファエル殿下。」
名前を呼ぶと殿下は振り返って、こんな私にも笑いかけてくれる。
「どうしたの?」
友達もいなくて、家族とすら上手く話せない、ひとりぼっちの私。
今思えばそれは、ただの婚約者という役に向けた、偽りの笑顔をだったのかもしれないけれど。
全部、偽物だったのかもしれないけれど。
それでも私は、その笑顔に心救われたのだ。
だから、殿下に相応しい人になりたかった。
隣に並んでいて恥ずかしくない、傍で支えられるような人になりたかった。
いつか殿下が疲れてしまったとき、心から安心して頼れるような。
そう思って私は必死に勉強した。
地理、歴史、古語、数学はもちろん、薬学や医学も少し。
お裁縫やヴァイオリンは完璧にしたし、苦手な礼儀作法と行儀作法も頑張った。
容量の良くない私は人一倍努力しないといけなくて、馬鹿みたいに頑張っていることを殿下に知られるのが恥ずかしかった。
だから私は殿下と顔合わせる時以外は、ずっと部屋にこもって勉強をしていた。