9.気になる異文化(後編)
なんとか初日の授業を終えることができた。このくらいなら、なんとかついていけるかもしれない、とアイリーンは思った。とにかく、頑張るしかない。
放課後。ノエルとヘレンと共に、アイリーンは文芸部室へと足を運び入れた。そこに一歩足を入れると、目の前に大きな本棚。そして、びっちりと並べられた本。
「うわぁ。素晴らしいです」
と思わずアイリーンが言葉を漏らした。
「本当は、図書室も案内していただきたかったのですが、まずはここにある本で十分です」
「ここの本は、私たち文芸部員の選りすぐりの本たちです。きっと、リーンさんが気に入る一冊に出会えると思いますよ」
ヘレンが嬉しそうに、にっこり笑って言う。
でもお気に入りの一冊はあるんだけど、とアイリーンは心の中で言う。
「ちなみに、ここの本棚はどのような順番で並んでいるのですか?」
「ジャンル別ですね。本に馴染の無い方には、好きなジャンルの本を読んでもらうのがいいのかな、と思いまして」
そしてヘレンは本棚に並んでいる本のジャンルについて、大まかに説明する。甘美、推理、歴史、その他という感じらしい。なぜこんなジャンルかというと、文芸部員の趣味によるもの。
「リーンさんは、どのような本をお読みになっているのですか?」
本棚の前でヘレンが尋ねた。この娘は純粋に本が好きなんだな、と感じる。
「ありきたりですが、恋愛ものです」
ここで言うアイリーンの恋愛はもちろん、男女の恋愛にかぎったものではない。
「あら。ノエルさんと趣味が合うかもしれませんね」
くるりとヘレンはノエルの方を向いた。
ノエルはソファに座って、何かしら一冊をすでに広げている。
「あの、ヘレンさんはどのような本がお好きなんですか?」
アイリーンは尋ねた。
「私はミステリーです」
即答する。
「リーン。騙されてはいけないわ。ヘレンの言うミステリーって人殺しだから。ヘレンはね、一日一死体読まないと気が済まないのよ。前なんて、『これは人が死なないミステリーだ、騙されたー』って嘆いていたんだから」
「ノエルさん。誤解を与えるようなことは言わないでください」
「あら、だって事実でしょ?」
そして、二人は笑う。
好きな本を読んで、こうやって言い合って、笑って。なんとなくやっていけそうな気がした。
「あの。授業が終わったら、ここに本を読みに来てもいいですか? 邪魔でしたら図書室の方に行きます」
アイリーンが言う。
「遠慮する必要は無いわ。これから、部長たちが来ると思うから紹介するわね」
「できれば、アスカリッドの本をプーランジェ語に翻訳したいと思っていまして」
アイリーンのその言葉に、二人は目を見開く。
「アスカリッドの本の方がこのようにジャンルが豊富で。それで、プーランジェにも広めたいと思っているのです」
「まあ」
とヘレンはアイリーンの手をとった。
「嬉しいです、リーンさん」
だからって、翻訳したいのは人殺しの本では無いのですが。
「ねえ、リーン。一つお願いがあるのだけれど」
ソファから身を乗り出してノエルが口を開いた。
「できたら、甘美小説を翻訳してもらえないかしら? そうしたら、私、それでプーランジェ語を勉強できると思うの。さっきの私のプーランジェ語、酷かったでしょう?」
苦笑を浮かべている。自覚はあったのか。
「でも、エルの気持ちは伝わりましたよ」
「ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど。やっぱり、もう少しマシに話せるようにならないと、とは思っているの。一応、一応、王女だし」
最後の言葉は消え入りそうに。
「きっと、好きなもので勉強すれば、私ももう少しプーランジェ語ができるようになるんじゃないかな、って思うのよ?」
その気持ちはよくわかる。アイリーンだってアスカリッドの言葉を覚えたのは全て大好きなビーエルのおかげ。と、同志のモイラのおかげ。励ましてくれる同志がいたことも重要。
「わかりました。やってみます」
「ありがとう」
ノエルはいきなり立ち上がって、アイリーンに向かって歩き出し、一歩手前から飛びつき抱きついた。
「ノエルさんばかり、ずるいです」
「あなたたち、楽しそうね。外まで声が響いていたわ」
という声と共に、二人の生徒が部室に入ってきた。灰色の髪の男子生徒と、金髪を肩で切りそろえた女子生徒。
「あら、見慣れない子がいるわね。早速の新入生かしら?」
金髪の女子生徒が言う。
「サラ先輩、彼女はプーランジェからの留学生です」
ヘレンが答えると。
「留学生?」
と聞き返したのは灰色の髪の男子生徒。
「あ。はい。プーランジェから参りました、アイリーン・ボイドです。文芸部に入部したいと思っています」
アイリーンが背筋を伸ばしたまま挨拶をすると、灰色の髪の男子生徒が一歩前に出る。
「文芸部へようこそ。アイリーンさん。僕は部長のルーク・モーガン。そしてこちらが副部長のサラ・エイケン。共に三学年だ」
「はじめまして、サラ・エイケンです」
サラがペコリと頭を下げると、金髪がふわんと揺れる。この二人は、ビーでエルではないけれど、とてもお似合いのカップルではないか。
「留学生が来るとは聞いていたけれど、まさか文芸部に興味を持ってもらえるとは思ってもいなかったよ」
嬉しそうにルークが言う。やはり、本好きな人間は本好きを受けいれてくれるらしい。これは国境を越えても同じということか。
「部長、リーンは授業が終わったらここの本を読みたいらいしのですが、特に問題はありませんよね?」
「ええ。ご自由にどうぞ」
言うと、ルークとサラはそれぞれ空いているソファに座る。事前にノエルから「部長たちの定位置」と聞いていた場所だ。
「それで、早速で悪いんだけど。新入生の勧誘について、どうしようね」
腕を組んでルークが切り出した。
「アイリーンさんが入部してくれて、これで二学年は三人になった。今のところ全部で五人。五人いればなんとか部としての存続は可能だけれど、やはり一学年から最低二人は欲しいな」
アイリーンは、ノエルに促されて空いているソファに座る。多分、これからここがアイリーンの定位置になるのだろう。悪くない。
「アイリーンさんは初めてだから、新入生勧誘について説明するわね」
ルークの斜め前に座っているサラが続ける。
「まずは、生徒会主催の新入生への学院紹介の集会があるの。そこで、各部活動の簡単な紹介をすることになるのね。それから、十日程の新入生の部活動見学。そして、正式に入部っていう形になるのよ」
「つまり、悩まれているのは。その部活動紹介の内容、ということでしょうか」
「アイリーンさんは、こちらの言葉も堪能なのね」
サラがふふっと上品に笑う。
「部活動紹介は、紹介文を読み上げるだけだから、特に悩む必要はないのよ。むしろ、部活動見学の方。さすがに、いつものように本を読んでいるわけにはいかないでしょう?」
だからといって、ひたすら文章を書いているわけにもいかないだろう。
「そう言われると、悩みますね。毎年、どのようなことを行っていたのですか?」
「毎年ねぇ……」
ルークが顎に右手をあてた。
「特に何も」
「え?」
アイリーンは聞き返す。
「特に何もやっていなかったんだよね。本を読んだり、書いたりするのが好きな人が入ってくれればいいかな、と思っていて。でも昨年、さすがにね、部の存続の危機、というようなことを生徒会の方から言われてね。今年こそは真面目に勧誘しようかな、という話を昨年度の終わり辺りからこのメンバーで相談していたところだ」
「そうなんですね」
とアイリーンは呟いたものの、存続の危機に立たされた文芸部をどのようにして盛り上げていくべきか、ということを考えていた。
部の存続の危機。だから、ノエルもヘレンもお昼休憩のときに話題にあげたのだろう。
アイリーンにとってプーランジェにいたときの文芸部はオアシスだった。そのオアシスが無くなる、ということを想像したら。つまり、貴重な水源が無くなり、砂漠に飲み込まれて干乾びてしまう、ということ。
すなわち、それは心の死。
ただ部活動という場にかぎらず、好きであればどこでも活動はできるかもしれない。だが、同志がいるということは心強いのだ。
「あ、生徒会」とノエルが口にする。
「部長、その新入生への学院紹介の件で、生徒会の方からも呼ばれていたのを思い出しました」
「そうだよね。なぜ、ノエルさんがここにいるんだろうって思っていたところだったんだよね。フランが急いで生徒会室に向かっていたからね。新入生勧誘の件は、宿題ということで。何かいいアイディアがあったら、よろしくね」
「はい。リーンも一緒に行くわよ」
ノエルに腕を引っ張られ、アイリーンは立ち上がる。
「アイリーンさんも生徒会に?」
「ええ、私の愚兄の陰謀です」
「相変わらず、君たちは仲が悪いね」
ルークが笑って見送ってくれた。
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