7.気になる異文化(前編)
アイリーンがアスカリッドの学院へ通う初日。寮から学院まではノエルが一緒に付き添ってくれた。といっても同じ敷地内だから、それほど距離があるわけでもない。ノエルはアイリーンを学長室まで案内してくれた。アイリーンとしてはこのままノエルと一緒に教室まで行きたいところであったが、そもそも同じクラスであるかどうかもわからない。なので、残念ながらここでお別れ。
学長室には学長と事務官、そしてお初にお目にかかる先生、多分彼女の担任だろう、がいた。
「アイリーンさん。こちらがあなたの担任のリンダ・ハウガー先生です」
頭の寂しい学長が言う。
「リンダ・ハウガーです。アイリーンさんの学院生活がアイリーンさんにとって有意義なものになるようにお手伝いいたします」
ブロンドのゆるやかなウェーブのかかった髪が、背中にまで伸びている。真っ赤な唇が色っぽいのだが、年齢不詳。多分、年を聞いてはいけないやつだ。アイリーンの第六感がそう告げる。
「アイリーン・ボイドです。よろしくお願いします、ハウガー先生」
アイリーンが背筋を伸ばして挨拶をすると、リンダの顔もほころんだ。このリンダもアイリーンの笑顔にやられたらしい。
「ではアイリーンさん、教室に案内しますね」
年齢不詳のリンダの後ろを、彼女は緊張した面持ちでついていく。学院の造りなんてどこも同じ感じだろうと思っていた。だけど、先日訪れて思った。ここの学院は温かい。それは木造、だからだろうか。
「こちらがアイリーンさんの教室になります。二学年のクラス一です。当学院は成績順でクラス分けされています。クラス一が成績上位二十名の集まりです」
そんなところに投げ込まれるのか、とアイリーンは不安になった。リンダの後ろをついて、一緒に教室へと入る。
「みなさん、おはようございます。そして、進級おめでとうございます。今年もこのクラスで一緒に勉学に励みましょう。担任のリンダ・ハウガーです。ところで、多少メンバーの入れ替えはあったようですね」
そこまで言うと、リンダは教室を一通り見回す。
「では、早速ですが留学生を紹介します。プーランジェのアイリーン・ボイドさんです」
リンダに促され、アイリーンは一歩前に出た。
「プーランジェから参りました、アイリーン・ボイドです。よろしくお願いしましゅ」
あ、噛んだ。緊張のあまり。
クスクスと教室に笑いが染みだしてきたのがわかる。ちょっと、恥ずかしい。アイリーンはいつもの笑顔を作ることができなかった。
「アイリーン、はじめて。ノエル・アスカリッド。よろすく」
と、いきなり立ち上がってプーランジェの言葉で自己紹介を始めた生徒がいた。もちろん、ノエル。
「アイリーンさん、私のプーランジェの言葉はいかがでしたか?」
そこでノエルはアイリーンに向かって微笑んだ。それから表情を一掃し、能面のような顔で続ける。
「あなたたち、アイリーンさんのようにプーランジェの言葉で自己紹介できますか? できないでしょう? それにも関わらず、人の少しの失敗を笑うなんて、恥ずかしいとは思わないのですか? それでもあなたたちはクラス一の生徒ですか」
もちろん、ノエルの言葉に反論できる者は誰もいない。つまりこのクラスのプーランジェへの語学力がそれだけのもの、ということなのだろうか。
「そうですね」とノエルの言葉の続きをリンダが奪う。「クラス一の生徒として恥じないような行動を心掛けてください。アイリーンさんの席は、一番後ろの空いている席です」
リンダに促され、アイリーンは指定された席へと向かう。ここで足を出して転ばせようとする輩がいるかもしれないので、ちょっとだけ気を付ける。だが、それは杞憂に終わる。
席に向かう途中、気になる視線があった。その視線の持ち主を横目で確認すると、あのときの第二王子。そしてその隣の席になんと、あの黒髪眼鏡。顔がにやけるのを我慢して、席についた。
そのままリンダの授業へと突入する。リンダの担当科目は地理学らしい。教科書は留学が決まったときにはすでに届けられていて、彼女は何度も読み込みをしていた。当たり前だが教科書は全てアスカリッドの言葉で書かれている。だから、事前に目を通してわからない単語は調べ、内容がわかるようにしていた。
だって、成績落ちこぼれで退学とかになってしまったら、プーランジェにビーエルを広めるという夢が潰えてしまうから。ビーエルのためには、努力は惜しまないアイリーン。腐女子の力を舐めるなよ。
アイリーンにとってはこのアスカリッドで受ける最初の授業であるとともに、他の人にとっては進級してからの最初の授業。だから、最初からそんなに深い内容ではなく、今後の授業の内容の紹介程度の中身。
アイリーンはなんとか乗り切った。
「アイリーンさん」
授業と授業の間の休憩時間に声をかけてくれたのは、もちろんノエル。「授業の方は、ついていけますか」
言葉の壁を感じて、声をかけてくれたのだろう。
「はい、今のところはなんとか」
と笑顔で返す。ノエルはアイリーンが書いていたノートに視線を落とす。
「これ、もちろんアイリーンさんが書いたのですよね」
ノエルが驚いたのは、そのノートの内容。もちろん、アスカリッドの言葉で記載されているのだが、ところどころにイラストが描いてある。それはアイリーンが自分で理解しやすいように、リンダの言葉から連想やらイメージしたものを描いたもの。
「はい。どうしても理解しにくいところはイメージしながら覚えるクセがあるので」
アイリーンは答える。アイリーンは前世からイメージ派の人間。単語が目に入ると脳内に勝手にその映像が浮かび上がるのだ。
「アイリーンさんのこれ。とても分かりやすいわね」
そもそもこの世界に生まれてから、イラスト解説といったものを見たことが無い。あるのかないのかはわからないが。ただアイリーンは、大昔に勉強していた方法を取り入れているだけ。前世でやっていた勉強方法。
「アイリーンさん。美術部にでも入ってみたらいかがかしら?」
いきなり部活の話になった。でもアイリーンには美術部よりも入りたい部活動がある。
「あの、ノエル様」
「私のことはエルでいいわ」
「でしたら、私のことはリーンとお呼びください。向こうではそう呼ばれていましたので」
「嬉しいわ、リーン」
ちょっと話がずれてきてしまった。
「それで。私、文芸部に入りたいのですが。こちらにもありますか?」
「文芸部」
そこでパチンとノエルが手を叩いた。
「嬉しい。私も文芸部なの」
「本当ですか?」
「ええ、今日の授業が終わったら、部室に案内するわ」
「是非。お願いします」
アイリーンはなんとなくノエルから感じているものがある。
この王女様、なんとなく、なんとなくだが同志の感じがする。
アイリーンの第六感。
「エル、君ばかり留学生を独り占めしてしまうのは、いかがなものかな」
出た。第二王子。漏れなく黒髪眼鏡がついてくる。
「アイリーン嬢」
「はい」
第二王子に名前を呼ばれ、つい元気よく返事をしてしまった。
「私は、イブライム・アスカリッド。先日、王宮でお会いしたのを覚えていらっしゃいますか?」
コクコクとアイリーンは頷く。
「あのとき、あなたが宰相殿の通訳をしていて、とても感銘を受けました。是非とも、生徒会の仕事も手伝っていただきたいのですが」
なんと、この第二王子も生徒会のメンバーだったのか。
「それに、拒否権はございますか?」
というのもアイリーンはこの国のビーエル本を読みたいのだ。
生徒会の仕事を手伝ったらその時間が削られてしまう。
周囲がざわついた。誰もアイリーンがその申し出を断るとは思ってもいなかったのだろう。そもそもこの学院で生徒会の役員に選ばれたと言えばとても名誉なこと。成績上位者であるクラス一の者しか所属できない。さらに、家柄とかコネとかが重要となってくる。
「私には荷が重いのです。まだ、こちらのこともよくわかりませんので」
と言う言葉を続けると、イブライムはにっこりと微笑む。
「だからです。生徒会という仕事を通して、この学院とこの国のことを学びませんか?」
逃げ道を塞がれてしまった。でも生徒会に入れば、先日会った会長と会計のカップリングが楽しめるということか。うーん、悩む。
「そこまでおっしゃるのであれば」
と呟きながらも、アイリーンは決断できない。困ってノエルの方に視線を向けると、彼女もニッコリと笑っている。
「大丈夫よ、リーン。私もいますから。文芸部と生徒会、どちらもよろしくお願いしますね」
ノエルにここまで言われてしまっては断るにも断れない。
「はい。よろしくお願いします。お世話になります」
アイリーンはペコリと頭を下げた。
その答えにイブライムは大変満足して、今まで誰にも見せたことないような笑顔を浮かべていたことに、アイリーンは気付いていない。それに気付いたのはノエルと黒髪眼鏡ことジョアキナのみ。
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