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5.気になる出会い(前編)

 モントーヤ伯の屋敷を早くに出る。それでもアスカリッドの王都に着く頃には日が暮れているだろう。今日は手配してある宿に泊まる。明日、学院の方へ手続きに向かうことになっていた。

 アイリーンは学院の寮でこれからの二年間を過ごすことになる。寮には、様々な子息令嬢も過ごしているらしく、侍女も一人までなら同伴可能となっている。

「お嬢様、そろそろアスカリッドに入りますよ」

 モイラが声をかけてくれる。アイリーンにとって、アスカリッドへ足を踏み入れるのは生まれてから初めてのこと。

 そのアスカリッドが農業の国であれば、プーランジェは工業の国だろう。豊富な地下資源を使って発展し続けている。だから、軍事力もプーランジェの方が高い。そして、この自動車もその恩恵の一つ。


「お父様、少しだけ外を見てもいいかしら」


「この辺なら、まだ人もいないからいいだろう。あまりはしゃがないように」


 アイリーンはそっと窓から外をのぞいてみた。そこに広がる田園風景は、プーランジェではなかなかお目にかかれないものである。

「すごいわね、モイラ。金色に輝いているわ」

 とアイリーンはアスカリッドの言葉で言ってみる。


 この時期の田んぼは、収穫の月とも呼ばれていることから、稲がパンパンに膨らんでおり、その重い頭(こうべ)を下げている。その様子が黄金に見えるのだ。


「今は収穫の月ですから。そろそろ稲刈りが始まりますね」

 とモイラもアスカリッドの言葉で返す。

 プーランジェにもお米を食べる習慣はあるが、そのお米の大部分はアスカリッドからの輸入に頼っている。

「やはりアスカリッドの農業は素晴らしいわね。アスカリッドのお米とプーランジェのお米を食べ比べたら、それがわかるわ」


「そんなことをおっしゃるのは、お嬢様くらいですよ」

 嬉しそうにモイラは笑っている。母親の母国のことを褒められるのは、やはり嬉しいのだろう。

 女性二人の会話に耳を傾けていたボイド公爵ではあるが、この二人がアスカリッドの言葉で話をしているため、内容は理解できていない。ただ、金色とか稲刈りとか農業とか、そういった単語はわかった。

「モイラ。もしかしてアスカリッドの言葉で話せば、お父様はわからないかもしれないわ」

「だからって、例の話をこの場ですることは控えてください」

 アスカリッドの言葉でモイラに釘を刺されてしまった。


 自動車はゴトゴトとリズミカルに進んでいく。

 王都に着くとすっかり日は落ちていた。アスカリッドでは自動車は王都のど真ん中を走ることはできない。外れの方に自動車を停め、そこから歩いて宿へと向かう。宿はそこから目と鼻の先。


 今日は宿に泊まり、明日、編入予定の学院の手続きを行う。その後、アイリーンとモイラは学院の寮へと向かうことになるが、父親はこのアスカリッドの王宮に顔を出して挨拶をしてくると言う。どうせ行くなら顔を出してこいと陛下に丸投げされたらしい。しかし、通訳はいなくてもいいのだろうか。父親はアスカリッドの言葉はなんとか読めるが、会話は不自由なはず。

 と、そんなことを思っていたら、案の定、父親から通訳を頼まれた。アイリーンもペラペラと話せるわけではないが、多分、父親が言いたいような定型的な挨拶くらいなら、なんとかなるだろう。



 次の日。明るい場所で目にするアスカリッドの王都は、プーランジェとはまた違う雰囲気に包まれていた。

 アスカリッドはよく言うと素朴な感じ、悪く言えば田舎くさい。プーランジェの王都は近代的な感じはするが、とても冷たい感じがする。きっと建物の違いがあるのだろう。アスカリッドでは木造の建物が主流らしい。


 宿からは馬車で学院へと向かう。こちらの学院も新学期が始まるまでの長期休暇中。正門脇の小屋にいた守衛に、アイリーンは声をかけた。彼女がアスカリッドの言葉で尋ねたから、守衛は驚きつつも丁寧に学長室の場所を教えてくれた。見取り図まで手渡してくれた。

 この守衛も、今日、プーランジェからの学生が来ることは知っていた。この学院に編入しようとするプーランジェのお嬢様と聞いていた。

 だから、どれほど高慢ちきなお嬢様なのだろう。ここに来たのもお嬢様の気まぐれか、プーランジェにいられなくなったから来るのか、そのどちらかだろう。そもそもこのアスカリッドの言葉なんかも満足に喋ることができないだろう。とそんな風に思っていた。

 まだ根強く残るプーランジェへの負の感情。

 だがその守衛は、アイリーンの第一声を聞いてそんなことを考えていたことを心から反省したのである。彼女の態度からは、高貴でありながらも謙虚、そんな印象を受けた。だから守衛も快く教えただけ。


 アイリーンはものすごく美人、というわけではない。多分、美人度でいったらカーナやエレナの方が上だろう。でもなぜか、アイリーンは老若男女問わず、人から好かれている。多分、その笑顔と明るい性格が、好かれる要素を構築しているのだろう。

 そして、その術にまんまとかかってしまったのが、この守衛。アイリーンの人から好かれる体質は、国境を越えても健在らしい。


 守衛は彼女の後ろには青年と思われるような男性が立っていたことに気付いた。その彼も守衛に向かって一礼し、彼女と並んで歩き出す。この青年は彼女の関係者なのだろう、と守衛は思ったが、父親であるというところまでは頭が回らなかったらしい。むしろ、父親に見えない。

 この時、この守衛にとって、プーランジェという国に対して、印象が変わった瞬間であった。


 学院の敷地内は、休暇中でありながらもあと数日で学院が始まるからか、ちらほらと制服に身を包んだ学生たちの姿が目に入った。


 アイリーンとボイド公爵は学長室へと向かう。先ほど受け取った見取り図が役に立つ。もちろんアスカリッドの言葉で書いてあるが、このくらいの単語であればアイリーンも父親も読める。

 学長室の前に着くと、そのドアをノックする。中から返事が返ってきたので、アイリーンと父親は中へと入る。


「遠いところ、よく来てくれましたね」

 学長の頭は少し寂しいものの、その分白い髭が豊富であった。


「プーランジェから参りました、アイリーン・ボイドです」

 アスカリッド語で名乗ったアイリーンは背筋を伸ばしたまま礼をする。そして、思い出したように、父です、と隣にいたボイド公爵を紹介する。


 学長は朗らかな笑みを浮かべて、応接セットのソファに座るように言った。いつの間にか学長の脇には学院事務官と呼ばれるような女性もいて、腕の中にはいくつもの書類があった。それを次から次へとテーブルの上へと並べていく。どうやら、父親のサインが必要らしい。アイリーンは書類にさっと目を通して、父親のサインが必要なものを彼の目の前に並べた。

「お父様、これとこれ、ここにサインをお願いします」

 父親の耳元でそう囁くと、彼は慣れた手つきでサインをしていく。


「制服は寮の方に届けてあります。サイズは事前に連絡をいただいていたもので手配してありますが、もし変更したい場合は寮長の方へ連絡をしてください」

 事務官はそう言うと、寮の案内の書類を手渡してくれた。


「ありがとうございます」とアイリーンは受け取る。この事務官はとても事務的であるが、好感が持てる。


「手続きは以上です」

 父親が必要な書類全てにサインを終えると、事務官はそう言った。


「アイリーンさん。この学院で過ごす二年間が、あなたにとって有意義な時間であることを願っています」


「はい。私もプーランジェとアスカリッドの架け橋となれるように、ここで勉学に励みたいと思います」

 そのアイリーンの言葉に、学長の顔はさらにほころんだ。事務的な事務官も少し笑顔を浮かべている。

「お互いの国を理解し合うために制度を作りましたが、今まで利用した学生が少ないというのはとても残念に思っています。それでもアイリーンさんのような方が来てくださったことを嬉しく思います。できれば、こちらからも近々プーランジェへの留学生を出したいと思っているところではありますが」


「そのときは、その学生がプーランジェで安心して学生生活が送れるように、我がボイド家の方でサポートさせていただきます」

 その後手早くプーランジェ語で父親の耳元で囁いた。


「アイリーンさんは、こちらの言葉もよく勉強なさってきたようですね」

 学長のその言葉に、はい、とだけ頷いた。


「アイリーンさん。これから少し当学院の中を案内いたします。隣国からの留学生ということもありますので、初日はまたここへ来てください」

 事務官のその言葉に頷いた。そこへ父親が「なんだって?」と聞いてきたので、これから学院の中を案内してくれるそうです、と囁いた。

いつも読んでくださりありがとうございます。

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