24.気になる打ち上げ(中編)
何かがおかしい。こんなに心臓が鳴っているのは。病気なのか、と思う。まぁ、心の病にはかかっているのは認める。妄想族だし。
寮に戻る途中で、ノエルと会ってしまった。彼女は、挙動不審なアイリーンに声をかけた。
「リーン、どうかしたの?」
「あ、いいえ。何も。今日はもう、寮の方に戻ろうかと思っています」
「そうなの? 部室には寄らないのね」
「はい。アディ先生との約束もありますし」
「そうよね。本当に無理なお願いをしてしまってごめんなさい」
「いいえ、私が自分で決めたことですから」
「リーン。無理していない? 顔が赤いけれど、熱でもあるんじゃないの?」
ノエルに指摘され、アイリーンは自分の頬を両手で包んだ。まだ、ここは熱を帯びている。
「そうですか?」
と誤魔化し、また明日、とノエルに挨拶をする。
「リーン。無理してはダメよ」
優しいノエルの言葉が、背中に刺さる。背中でごめんなさい、と言いながら寮へと足を向けた。
こんな風に気持ちがざわついているときは、創作活動をするに限る。部屋に戻ると、勉強するからと言ってモイラを遠ざけた。
紙に鉛筆を走らせてみるものの、なかなか絵が出てこない。最後に、ぐるぐると黒い輪を大量に描いて没。それもこれもすべてはイブライムのせい。やっとプーランジェの王太子から逃げられたと思ったのに、なぜ逃げた先のアスカリッドの王子に捕まってしまうのか。そもそも、イブライムはフランシスといい仲ではなかったのか。ただし、アイリーンの妄想内に限る。
別にイブライムのことは嫌いではない。では好きかと言われると、それはまだわからない。ただ、王族であることが気に食わない。多分、彼が王族でなかったら、ふらふらっとついていったかもしれない。彼が王族であること、それがアイリーンの気持ちが冷める原因でもある。
「うーん。よし、寝よう」
困ったときは寝るに限る。勉強すると言ってモイラを遠ざけたのに、結局寝てしまうアイリーン。その姿を見たモイラは、「お嬢様、具合でも悪いのですか。顔が赤いですが、熱でもあるのでは?」と言って、冷たいタオルを準備してくれた。言い訳が面倒くさいので、モイラの優しさに甘えることにした。冷たいタオルは火照った頬にちょうど良い。そして、本当に寝てしまうという、罠。
早く寝てしまったからか、夜が明け切る前に目が覚めてしまった。今なら描けるかもしれない、と思い机に向かう。大好きなロイドとティム。自分はこれのためにアスカリッドは来たのだ。一心不乱に鉛筆を走らせる。彼らの物語は自分の生きる糧。そして、他の誰かにとっても糧になるはず。これを見て、少しでもロイドとティムに興味を持ってもらえたら嬉しい。
描くにも書くにも、いろんな経験は必要かもしれない。イブライムからの誘いを受けようと思った。それを経験することで、違う何かが描けるかもしれない、と。
年末年始の長期休暇前のパーティは、それに入る前の最後の休日に開かれる。だから自由参加であり強制ではない。パーティの件はモイラの耳にも入っているだろうに、何も言ってこないところが彼女なりの優しさ。そのパーティの日に出掛けるという話をしたら、ではうんと可愛くしましょうね、といつもの調子で言ってくれるのも彼女の優しさ。
イブライムとの待ち合わせはいつもの噴水の前だ。今頃、パーティは始まっているのだろう。外を出歩いている生徒は他に誰もいなかった。だから、先に来ていた彼は遠くからでもアイリーンを見つけ、手を振ってくれた。別にアイリーンが時間に遅れたわけではない。それでも、いつも相手の方が先に来ている。少し小走りで噴水へと向かう。
「お待たせしてしまって、ごめんなさい」
弾む息を整えながら、言った。
「何も走らなくて、よかったのに。でも嬉しいよ。その」
イブライムは口元を右手で押さえながら、言葉を探しているようだ。
「その服も似合っているね。初めてリーンと出会ったときと同じ服だ」
指摘され、ドキっとした。
「ごめんなさい。あまり、服を持ってきていないので」
「いや、そういうつもりで言ったわけじゃない。こちらこそ、すまない」
「あの、確認ですが。イブ様はこうやって自由に出歩ける身なのでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「あの、護衛の方とかは?」
「あー、その辺にいるが気にするな」
気にするなと言われても、気になるのだが。
「ほら」
と手を差し出されても、気になって仕方ない。
「リーンが手をとってくれないと、恥ずかしいのはオレなのだが」
仕方なく、そう仕方なくアイリーンはイブライムの手をとった。
「つまり、これは二人きりのデートではないってことですよね?」
イブライムと歩きながら、リーンはその言葉を口にした。
「それは難しい問題だな。だが、オレの中ではデートと認識されている」
「では、私の中ではデートと認識いたしません」
その言葉にイブライムは、笑いをこぼした。
「オレはどちらでも構わない。人が少ないところで、こうやってリーンと出掛けられれば」
「それで、どちらに行かれるのですか?」
「美術館」
「美術館?」
「だって、リーンはこの国の文化を勉強しに来たんだろう? だったら、美術館や博物館などは、見ておいた方がいいのではないか?」
「そうですね」
アイリーンはにっこりと微笑んだ。そう言われると、アスカリッドの美術館を訪れたことは無い。ノエルとのお出かけも書店が主だ。アスカリッドの絵画を見れば、アディから頼まれている絵の参考になるかもしれない。
「楽しみです」
そうこぼすと、イブライムは嬉しそうだった。
「そうか。本当はどこに行こうかものすごく悩んだんだが、そう言ってもらえると嬉しい。観劇がいいのか、どこがいいのか。結構、悩んだんだ」
「イブ様でも、お悩みになるのですね」
「オレだって、悩むことくらいある」
ちょっと、拗ねたようだ。
美術館は、いつもノエルと行く大きな書店の近くにあった。こんなに近くにあったのに、気付かなかったのが不思議だ。この辺は大きな建物が並んでいる。休日の昼間であるが、学生はいない。皆、学院のテスト打ち上げという名のパーティに行っているからだ。美術館なので、小さな子供もいない。成人を迎えた者が、一人で鑑賞していたり、年配の夫婦が朗らかな笑顔を浮かべて、ゆったりと絵を見ていたりする。
「イブ様は、よく来られるのですか?」
チケットを手にしたアイリーンが尋ねた。
「よく、ではないが、たまに。一人になりたいときとかは」
「では、いろいろと教えてくださいね」
アスカリッドの絵を見たアイリーンは、プーランジェのそれと違うことに気が付いた。やはり、こちらは建物もあたたかいが、絵もあたたかい感じがする。色使いも全体的に淡い。このような色遣いを、月雲の表紙絵にも取り入れられないだろうか、ということも考える。
「イブ様」
静かな空間なので、アイリーンはイブライムの耳元で囁いた。
「こちらの絵は、いつの時代の絵になりますか?」
イブライムは彼女に囁かれて、少し耳がこそばゆい感じがしたが、それが嬉しくもある。
「これは、五十年前の絵だな。まだ、プーランジェといざこざがあった時代だ」
「そうなんですね。この絵が暗い感じがするのは、そういった時代背景があるからなんですね」
「そうかもしれないな」
「それを考えると、今、私がこうやってアスカリッドで学ぶことができているのも、不思議な感じがします」
「だけど、それを当たり前にしていかなければならないと思っている」
その絵に視線を向けているイブライムの横顔を、アイリーンはじっと見つめていた。
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