17.気になる勉強(中編)
ノエルと約束をした日、つまり休日。今日はノエルと書店に行き、それから食事をする。帰ってきたら、少し休んで本を読もう。街で買い物をしてくる、とモイラに伝えたところ、お出かけ用の茶色のワンピースを準備してくれた。稲刈りも終わり、これから冬支度を迎えるこの季節は少し物寂しい。風も冷たくなってきているから、ということで派手過ぎない薄手のコート。
いつもの噴水の前での待ち合わせ。ノエルはすでに来ていた。彼女の姿を見つけ、アイリーンは小走りで近づく。
「お待たせしてしまって、ごめんなさい」
「いいえ、私も今来たところだから」
デートの定番の会話が交わされる。二人で笑い合う。
「エルって王女様よね。護衛の人とかいるの?」
アイリーンには気軽に街に出てきてよかったのだろうか、という不安があった。
「ええ。気にしないで。その辺にゴロゴロといるはずだから」
という答えが返ってきたら気にはなるけれど、その辺のどこにいるかなんていうのはアイリーンにはわからない。
ノエルは楽しそうに微笑み。
「まずは、ここの王都で一番大きな書店に行きましょう。多分、リーンの好きな本が一番揃えられているはずだから」
彼女はわざとアイリーンが好きな本、と言った。ノエルだってもう気付いている。彼女が好む本を。甘美小説と呼ばれる作品の中でも特にアレだということを。
「私、アディ先生の本が読みたいの。他にも書いているかしら?」
「月雲の先生でしょ。『美しき二人』がデビュー作なんだけど。その後に短編で何冊か出しているのよ。それも素敵なお話だし、短編だから翻訳もしやすいんじゃないかしら」
「とりあえず。アディ先生の本は、全部買うわ」
実は、父親からの仕送りが思ったより多かった。というのも、先日の通訳代らしい。
プーランジェの国王陛下から丸投げされたような会議だったけれど、結果は大成功だったらしい。結果を持って帰ったら陛下が大喜びだった、と父親からの手紙に書いてあった。そして、通訳代として多めのお小遣いを振り込んだという。無駄遣いしないように、と一筆書いてあったが、母様には内緒です、というのが走り書きしてあり、思わず笑ってしまった。
仕送りが多いことがばれたら、また甘やかしてと言うだろうし。通訳を頼んだということがばれたら、またいいように使って、と言うだろうし。仲が良い夫婦であることは確か。
「ここよ」
ノエルに案内され、一番大きな書店の前に着いた。見るからに大きい。中も広そうだ。
「迷子にならないかしら」
アイリーンが不安がって言うと。
「大丈夫よ。どうせ、甘美の棚しか見ないのでしょう?」
ノエルが笑う。
「でも、せっかくですから、一通り見てみたいわ」
「それもそうね。せっかくだから、案内するわ」
王都一大きな書店なだけあって、中も広い。よくなんとかドーム何個分という表現をするけれど、甘美のコーナーだけで教室二個分くらい。各種試験の問題集やら参考書やらが教室二個分。専門書で教室一個分。子供向けの本で教室一個分。その他の本で教室四個分。つまり、この書店は教室十個分くらい。ただし、アイリーンの感覚による。
「結局、ここに戻ってくるんでしょ」
甘美小説コーナーの前で、ノエルが笑いながら言う。それは否定できない。今のところ、問題集や専門書や絵本やその他の本に興味は無い。
「甘美の棚はね。まずは同性と異性にざっくり分かれているからね。それから同性は男か女に分かれているの。そして、作者順に並んでいるから、リーンのお目当ての本はこの辺にある、はず」
ノエルの言うこの辺は、甘美の同性の男の作者の頭文字が『ア』の棚。月雲シリーズはもちろん、平積みだった。その上の棚には、アディの作品が他にも何冊か並んでいる。
「それも買うの?」
読んだはずの『美しき二人』まで手にしているアイリーンに、ノエルは声をかけた。
「ええ。とても素敵なお話だから、手元に置いておきたいの」
その気持ち、よくわかる。他にもアイリーンは、短編集二冊と他のシリーズ全三巻を手にした。
「月雲シリーズは全部持っているのよね。そうしたら、アディ先生の作品はそれで全部のはずよ」
つまり、今までの作品は全部で十一冊。十二冊目が月雲シリーズの六巻になるというわけか。それが発売されるまでに、これらの本を読み終えることができるだろうか。ただ、読むだけならできそうな気もする。
レジで支払いを済ませたときに、来月の新刊を予約したいということを伝えると、別なカウンターを案内された。
「あら、ノエルさんじゃない」
そこのカウンターにいた女性に、声をかけられた。
「今日は、どうしたの?」
「来月発売の月雲シリーズの予約しにきました」
ノエルが答える。
「この子の分もお願いします。この子、プーランジェからの留学生なんです」
と、アイリーンを紹介する。
「まあ。この子が噂の」
女性は嬉しそうに笑みを浮かべた。
なぜ、この書店の女性にまで噂が広がっているのか、と同時にどんな噂なのか、アイリーンは気になった。
「では、二人分ね。この紙に名前を書いてね。連絡先は書かなくてもいいわ。学院の寮でしょ」
頷く。
「そうそう。ナミカさん。オススメの本ってあるかしら? できれば甘美で」
どうやらこの女性の名はナミカというらしい。
「ノエルさんの甘美って、あっちの方よね。来月の新刊で、こんなのもあるんだけれど」
ナミカは新刊リストに並んでいるタイトルを一つ指さす。
「タイトルからして気になりますね」
「でしょ。どうする? こっちも予約していく?」
「もちろん。新規開拓は必要ですから」
ノエルはもう一枚、予約票を書いた。
「リーン。ナミカさんは、文芸部の先輩なのよ。そして、部長の彼女」
予約票に本のタイトルを書きながら、ノエルが言う。その言葉にも、ナミカは笑みを浮かべている。
「え」
アイリーンは一歩遅れて、声を上げた。
「部長の?」
ナミカの顔をまじまじと見つめてノエルが尋ねると、彼女は頷いた。
「例のパーティの件をね、ルークから聞いてはいたんだけど。プーランジェからの留学生がいるからって。それがあなただったのね。アスカリッドの言葉も堪能とは聞いているわ。まだ、この本はプーランジェの言葉には翻訳されていないわよね。やっぱり、アスカリッド語のままで読んでいるの?」
ナミカが言うこの本は月雲シリーズのこと。
「そのまさかですよ」
ノエルは書き終えた予約票をナミカに差し出した。
「彼女は原本のまま読んでます」
「へー。そうなんだ。なんか、嬉しいな。本好きとしては、いろんな人にこの国の本を読んでもらえるって嬉しい」
「ですよね。特に、甘美。もっと全世界的に広まってもいいと思うんだけど」
ノエルのその言葉にアイリーンも頷く。
まさしくノエルのその言葉はアイリーンがいつも思っていること。特に甘美のビーでエルな方。
「あ。ナミカさんに一つお願いがあるのですが」
「何? サイン本の裏ルート入手とかならお断りだけど」
「違いますよ。文芸部の部誌を、この書店に置いていただきたいな、と思って」
「え、あなたたち、部誌を作るの?」
「はい」
「あの面倒くさがりがよくそんなことを言い出したわね。いいわよ。そこに、いろんなお店の広告が置いてある場所があるでしょ? そこに置けるから。できたら、持ってきてね」
ナミカはまたね、と手を振ってくれた。無事にお目当ての本を買って、予約できた二人は、書店に併設されているカフェへと向かった。
「ここで、買った本を読みながら、お茶ができるのよ」
ノエルが教えてくれる。ついでにオススメのメニューも教えてくれた。どうやらチーズケーキが美味しいらしい。
目の前にチーズケーキが二つ運ばれてきた。早速、フォークで口元にまで運ぶ。
「本当だ、美味しい」
アイリーンが目を細めて感想を言うと、ノエルも満足そうに口元を歪めた。
「本を予約しにきただけなのに、なんかとても楽しかったわ」
「私もです」
「あら。リーンの楽しみはこれからでしょう。そんなに買ったんだから」
「でも。定期テストも近いんですよね」
「そうなの。長夜の月に入ったらすぐよ。でもその前に月雲の新刊は読まないと、気になってテスト勉強ができないわ」
学院では長夜の月の頭に定期テストが行われ、それが終われば新年の狼の月まで年末年始の休暇となる。だいたい休暇は一月ほど。
「リーンは、年末年始は一度あちらに戻るの?」
ノエルの言うあちらとはプーランジェのことだろう。
「はい。寮も閉まってしまいますし」
「そうね。でも、休みに入ってから七日くらいは寮もまだ開いているから、少しは遊べないかしら? 私も五日くらいは寮で過ごして、それから戻る予定だから」
まさかのデートのお誘い。
「新しい年を祝うイルミネーションが始まるのよ。それをリーンにも見せたいの」
イルミネーション。それはとても魅惑的な言葉だった。それと同時になんとも表現し難い気持ちが襲ってくるのはなぜだろう。
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