1.気になる同志
たくさんの作品からこちらに辿り着いてくださり、ありがとうございます。
多分、アホな物語になると思いますが、くすっと笑えてもらえたら、嬉しいなと思います。
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プーランジェ王立学院には隣国のアスカリッド王立学院との留学制度がある。というのも、使用言語の違いが二国間の交流における障害となっており、とくに上流階級にとってこの壁が高いほど、公務に影響が出る。だから、学生のうちに隣国へ留学して隣国の言葉や文化を学び、将来的に公務へ生かせるようにと、留学制度を立ち上げた。しかし、王立学院に通うような貴族様の中には、好き好んで隣国で勉学に励もうという者は少ないらしい。
今年、その制度を利用したいと立候補する少女が現れた。彼女の名はアイリーン・ボイド、来月で十六歳。父はこのプーランジェ国の宰相という立場にある、ボイド公爵。まさか、彼女が名乗り上げるとは、誰も予想していなかった。だが、そこにかすかな期待もあった。
「お聞きしましたわ、リーン様」
同じ文芸部に所属しているクラスメートのジジ。彼女は伯爵令嬢。「隣国のアスカリッドへ留学するって、本当ですか?」
その問いと同時に赤みのかかった金髪の前髪が、ふわりと揺れた。
ここはその文芸部室。部室といっても貴族様のご令嬢ご令息が集まるところだから、それなりの応接セットが置いてある。
テーブルの上には人数分のカップと、それからお菓子が並んでいた。
「ジジさん。情報が早いわね」
「っていうことは、本当なんですか」
テーブルを挟み、アイリーンとジジは向かい合ってソファに座っていた。
ジジの隣に座るのは同じく文芸部員のエレナ。彼女は隣のクラスで、子爵令嬢。そんな彼女が口を開く。
「リーン様。どうして、アスカリッドへ? リーン様がいなくなられては、寂しいです」
両手を組んでぎゅっと握りしめ、寂しそうに青い瞳を揺らすエレナ。金髪の真っすぐな髪がハラリと肩を流れた。
アイリーンは左手でソーサーを持ちながら、ゆっくりと口元にカップを運ぶ。そして、そのカップをソーサーの上に戻し、テーブルの上に置く。両手を膝の上で揃えた。
向かい側のジジとエレナを真っすぐと見据えるその目は、薄い水色。
「それはもう、この作品のためですよ」
いつの間にかアイリーンの手には二冊の文庫本があった。その表紙は薄い若草色の背景に深緑色の文字で何かが書かれている。多分、本のタイトルであろう。
「皆さん、隣国のアスカリッドでは様々な恋愛ジャンルの物語が盛んなのです。このプーランジェでは恋愛ものといったら普通の一般的なラブストーリーだけですよね」
アイリーンが言っている一般的なラブストーリーとは、男女が恋に落ちていろんな試練を乗り越えた末に、最後には結ばれるというハッピーエンドな物語のことを指している。
「ですが、隣国では違うのです。この本のように私たちの好きなアレがきちんとジャンルとして確立されていて、いろんなタイトルの本が出版されているのです」
銀色の流れ落ちてきた髪を耳にかけながら、アイリーンは言った。
「リーン。まさか、リーンの言っているアレって」
と口を挟んだのはアイリーンの隣に座っていたカーナ。彼女はアイリーンと同じ公爵令嬢。昔からの幼馴染で、お互いのことをお互いよく知っている仲。残念ながら、今のクラスは別々になってしまった。でもカーナはエレナと同じクラス。
そのカーナの言葉に、アイリーンはゆっくりと頷く。
「ええ、ビーエルです」
きゃ、と喜んで両手で口元を押さえたのはジジ。青い目を大きく見開き、口まで開けてしまったのはエレナ。嬉しそうに微笑んでいるカーナ。今、この部室にはこの四人しかいない。
部員が四人しかいないのではなく、今日はこの四人での活動の日なのだ。活動といっても、こうやって集まって、お茶を飲んで、好きな作品について語り、そして創作するだけ。
「私は、隣国で売れているビーエル本、まさしくこの本を、このプーランジェでも手軽に読めるようにしたいと思っています」
「まさか、それが留学の理由?」
カーナがアイリーンの方を向き、尋ねた。茶色のくせ毛が一緒に揺れる。
「もちろんです。私はこの月雲シリーズのために、留学をします。月雲シリーズは隣国で最も売れているビーエル小説とうかがっています。しかも続刊が今年の霜の月に発売決定。にも関わらず、このプーランジェで読めるのはいつになるかわからない。待てるわけがないでしょう。待てないのであれば、こちらから迎え撃つしかない」
「リーンらしいや」
カーナはぷっと吹き出した。
「しかもこの巻、ものすごくいいところで終わっているのですよ。本当にこの二人はどうなるの? と。しかも私の推しカプはもちろんロイティ。他も気になるところはたくさんありますが、とりあえずこの二人の行方だけをなんとか知りたい」
ロイティとは、アイリーンの好きな月雲シリーズと呼ばれる小説に出てくる登場人物たちのことで、ロイドという男性教師とティムという男子生徒のコンビ。この二人が魔法を駆使して魔物と戦うというファンタジー恋愛小説なのだが、他にも恋愛を繰り広げる登場人物は何組かいる。そのなかでロイドとティムは公式。そしてアイリーンはその二人が大好き、ということのようだ。
薄々お気づきたとは思うが、実はこの四人、男性同士の恋愛話が好きなご令嬢たち。ビーエルとはつまりBとL。ボーイズなラブと言われているもの。
しかし、残念ながらこのプーランジェではそのような物語は存在しない。
さらに、この世界にはビーエルという言葉は存在しない。隣国で確立されている分野は甘美小説と言われている。読むとうっとりとする気持ちから、そう呼ばれているらしい。それの中に、男性同士、女性同士の恋愛も含まれているのだ。その甘美小説の一つとして、アイリーンの好きな月雲シリーズと呼ばれるものがあった。
では、そんな状況のなかで誰がビーエルという言葉を使い出したか。
犯人はアイリーン以外、いない。
そのビーエルの先駆者であるアイリーンは、一口お茶を飲んだ。それから、ゆっくりと口を開く。
「まず、アスカリッドのビーエル本を片っ端から読んできます」
うんうん、と三人は首を縦に振っている。
「そして、あわよくば。アスカリッドのビーエル本を翻訳し、このプーランジェの書店でも手軽に買えるようにする、そしてビーエルという一つのジャンルをこの国でも確立する。それが、私の留学における最終目標です」
左手を軽く握り、それを胸元に置くアイリーン。
エレナからパチパチパチと乾いた拍手が起こった。他の二人も慌ててパチパチと手を叩く。
「素晴らしいです、リーン様」
エレナが言う。「リーン様と離れ離れになってしまうのは寂しいですが、リーン様の目標のためにも応援いたします。リーン様がこちらに戻ってきたときには、私にもお手伝いをさせてください」
「もちろんよ、エレナ。手紙を書くわ」
「リーン様。私も、リーン様を応援しております。戻ってきたときには、私もお手伝いいたします」
「ありがとう、ジジ」
「リーン。できれば、定期的にアスカリッドのビーエル情報を送ってもらえない? 私たちもそれで勉強をするわ」
「もちろんよ。素敵な作品があったら、送る。私、頑張って翻訳するから」
「できれば、リーン様のオリジナルイラストもつけてください」
エレナが言う。
「リーン様の漫画も読みたいわ」
ジジが言う。
「わかったわ、みんな。できる範囲のことでやってみる。ほら、名目上は異文化交流のため、私の語学向上のため、だから」
「ビーエルを翻訳して語学向上、そしてビーエルによる異文化交流だね。リーン、期待しているよ」
アイリーン自身も不安な留学ではあったが、こうやって同志から応援をもらえたことは、とても励みになった。
隣国の言葉は授業でもそれなりに学習はしているが、まだ片言でしか話すことはできない。だが、このように目標を持つとがぜんとやる気が出る。だって、会話ができないと必要なビーエル本を買うことすらできないのだ。
さらに念願のビーエル本を手に入れたとしても、読めなかったら意味が無い。そのためには、頑張って隣国の言葉を覚えて、話すことができて読めるようにならなければならない。
そして好きなものを得た人間は強い。好きなものを摂取するために、異国の言葉で書かれた本を読みたいという気持ちになり、その気持ちが語学勉強をはかどらせる。さらに、その本を翻訳して同志にも広めよう、という気にさせるからだ。その好きなものがアイリーンにとってビーエル本。
留学までにはまだ時間がある。その時間も語学の勉強にあてよう。
彼女は確固たる目標を持っている。その目標を同志たちのためにも必ず叶える。その意気込みを胸にしっかりと刻んだ。
「リーン様。留学は二年間ですよね」
ジジが尋ねる。
「ええ、そのつもり。高等部の二学年に進学するタイミングで、あちらの学校に編入するわ」
「では、卒業パーティもご一緒できないのですね」
エレナが寂しそうに言う。
「でも、卒業後は必ず戻ってきます。だって、戻ってこないことにはこの国にビーエル本を広めることができないでしょう。それが最終的な目標ですから。だから、成人の祝いはみんなで行いましょうね」
この国で成人と認められるのは十八歳。学校を卒業した年の狩りの月に、成人の祝いの式典に出席する。その式典で初めて、成人として認められることになるのだ。
「リーン、必ず戻ってきてよ。向こうでいい人見つけて、向こうで結婚しないでね。それに向こうにはビーエルがあるから、リーンにとっては居心地がよくなってしまうんじゃないの?」
「ビーエルが認められているという時点でアスカリッドは魅力的な国だけれど。でも私、このプーランジェが好きなのです。だから、必ずビーエルを持ってこの国に帰ってきます。そして必ず、この国にもビーエルを広めるのです」
ぎゅっと右手を胸の前で握りしめる。そんなアイリーンの顔には満面の笑みが浮かんでいた。それは自信にあふれた笑みだった。
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