18~19 無邪気な文通
18
帰国から一ヶ月、二ヶ月と過ぎ去っていった。
手紙の数も合わせて一通、二通と増えていく。
アルメリアはいつしか、エリカと手紙を読むのが楽しみになっていた。
先方がエリカについて何度か言及するので、エリカは自分から手紙を送りつけてやった。すると、時たまエリカにも手紙が送られてくるようになった。
最初は良い度胸をしていると息巻いていたエリカだったが、アルメリアと手紙を突きあわせて読むことで、色々と分かってくることもあった。
まず、使用人と言っていたラインツだ。
彼は五年前に使用人として雇われたと言い、ときたま、文通へ参加するようになっていた。
アルメリアの意中の使用人がどんな人か、彼から聞き出そうと思ったエリカは、なんなら手紙を直接、自分へ送ってくればいいと書いた。
だがそれは、立場上、憚れると断られる。
それがまた、エリカにとってはもどかしかった。
次に、バーラント自身が裏も表も無く、純粋に文通を楽しんでいるという点。
こういう展開になると、エリカには分が悪かった。
なぜなら、アルメリアがバーラントのことを憎からず思うようになっていた。それは、根本的に悪い人間では無さそう、という意味である。
一方のエリカは、バーラントを信用してはいない。
それは侍女の立場として、当然の警戒だった。
この侍女としての思いが、残念ながらアルメリアに伝わらないし、伝えられないのである。
文通を楽しんでいるだけの相手を警戒しろと、その都度、アルメリアに忠告するのは無理がある。
文通だけに限るなら、現状、相手を警戒しなければならない要素は皆無。そこへ警戒を促すのは野暮であり、姑のような、うるさい小言でもあった。
アルメリアへの心配を募らせるたび、エリカは心中で『侍女の心、姫知らず』などと、うそぶいた。
――だいたい、例の使用人のことはどうなった。昔からの思い人だと言っていたのに。
これも、エリカが心中で思うことの一つである。
見ていると、バーラントに恋い焦がれているんじゃないか、と思うことさえあった。
だから、アルメリアが返事を書くと言うときにはいつも、使用人を全員連れて、こちらへ来るよう促す文章を書くようにと、釘をさしていた。
もしバーラントや他の使用人――特にラインツへ乗り換えようものなら、そのときは全力で怒ろうとも思っていた。とにかく、他の使用人へ鞍替えするのは許せない。
恋をしたことが無いエリカにとって、恋愛は何回もするものじゃないという漠然とした信念があって、なんなら一回でいいとも考えていた。
恋愛に節操が無い人間は、きっと友情を壊す。おそらく治安を壊す。
そして間違いなく家庭を壊し、最後には恋も愛も分からなくなって、自分を壊す。
少なくとも家族愛は壊れて、元に戻らなくなる。
それだけは、間違いない――……
こういったエリカの心配事を余所に、しばらくのあいだ、バーラントとの文通が続いた。
手紙の数が増えると、必然的に日数もたつ。
ベリンガールから帰国して、実に240日ほどが経過した日…… 八ヶ月とちょっとの月日が流れた頃である。
その日は晴れ晴れとした夜空だった。三日月がハッキリと自己主張している。かと言って、肌寒くは無い。
浴室にいたエリカは、湯浴み着の上から掛け湯をしつつ、バーラントのことを考えていた。
つい最近の手紙に、『庭先に行ったことがある使用人も連れて行く』と書いてあったからだ。
「――どんな人なんだろう」
いざ会うとなると、そわそわしてしまうのが人情というもの。
王女と相性が良ければいいのだが……
「あいつの使用人なら、振る舞いとかは問題なさそうだけど……」
――問題は性根である。
「あっちのあいつは冷たいのか、暖かいのか……」
エリカは、お湯を張ってある浴槽へ、手を差し入れながら言った。
じんわりとした暖かさが、手から伝わってくる。
波紋に揺れるエリカの顔は、少し切なそうだった。
「会えるのかな……」
ラインツがバーラントに連れられて来る可能性は高い。
バーラント本人が、自分の使用人を全員、連れて行くと書いてあるのだから。
――だからこそ余計に、不安だった。
エリカはゆっくり浴槽へ入り、肩までお湯に浸かって、不安を冷えた体共々、解きほぐした。
19
エリカが浴室に入って間もない頃、アルメリアは自室にいた。
彼女は婚約者であるバーラントのことを考えていた。
――意中の使用人のことを忘れたワケではない。
しかし、手紙の主であるバーラントがどんな人なのかアレコレと想像していた。
手紙を通じて理解してきたのは、相手の柔らかい文体、ちょっとした冗談と機知、決して正体に触れることのない、ある意味で筋の通った信念である。
使用人を連れて来ると言っていたが…… どんな人になっているのだろう……
「ハァ……」
――散歩しよう。
アルメリアはフッとそう思った。
エリカが湯浴みをしている最中だから、他の女中に外を散歩すると言付けしておいて、城の中庭へと向かった。
中庭は、バーラントの豪邸にある雑木林とは違って、区画整理かと思うくらいに整えられており、樹木や生け垣が対称的に並ぶ、美しさの際立つものであった。
「まるで違う……」
互いの住んでいる国が違うのだから当然だけど、産まれ育った環境がこれほど違うということに、不安を感じていた。
一方で、不安は期待の裏返しによって生じる。
アルメリアは知らぬ間に、バーラントと自分が一緒に暮らしたら、どうなってしまうのかを考えていた。
うまくいくのかと考える。
合わずに喧嘩するのかと考える。
もし、好きになって愛したらどうなってしまうのかを、考える。
そこへ急に、声が飛び込んできた。
「また抜け出してきたのかい?」
アルメリアは驚いた。しかし、振り返らずにいた。
妙な感覚を抱いて、それが恐怖などの感情を消し去っていたのだ。
「お答え願えますか?」
やっと振り返る。
彼女は、少し先に立っている男性に向かって言った。
「あのときの晩餐会、つまらなかったですよね?」
男性は頭をかいて、
「立場上、そういうことは言えないね」
アルメリアの脳裏に、8年前の光景が浮かぶ。
彼女は男性の前へ歩み寄り、
「まだ、お仕事の最中ですか?」
と尋ねた。
「いや……」
そう言うなり、男性が右手の平を胸に当てながら目礼し、告げた。
「本当にお待たせ致しました、アルメリア王女。僕がバーラント・マラル・ナザールです」
「凝った演出ですこと……」
「そういうのは嫌いではありませんが」と顔をあげる。「今回は本当に偶然です。――前回のは狙っていたけどね」
アルメリアがクスりと微笑む。そして、
「良かった……」
と、つぶやいた。
「どうも気付かれていたようだね、僕の正体に」
「あれだけ文通をすれば、なんとなく面影が出てきますもの」
「確かにそうか」と頭をかくバーラント。「僕も、身に覚えのある体験でしたからね」
「それにしても…… 随分と立派になられましたね?」
「八年もたってるからね。使用人から出世していても変ではないでしょう?」
「そうかもしれませんね」と微笑むアルメリア。
「――ずっと再会したかった」
急に真顔になって、バーラントが言った。
「今の今まで来られなかった理由は…… やはり秘密ですか?」
「そっちは大丈夫」
バーラントが口角をあげた。
「単純に、このアル・ファームへ連れて来られなかっただけだよ」
「どうしてです?」
「僕は次男坊だからね。王族と定期的に交流を持つに足る身分を持っていないと判断されていたんだ。――うちはそういう場所だから」
「あのときは特別に……?」
「そんなところかな。一度くらいは挨拶させておきたいって、親父が考えたのかもしれない」
「そう、だったのですか……」
「だから、相応しい立場になりたかったんだ。自分でここへ来るために」
アルメリアの顔が、少し赤らむ。
「ただ、今すぐにあなたを迎えることはできない」
今度は、少し表情が曇った。
「僕にはまだ、やるべきことがあるんです。それは、今後のベリンガールの行方と僕たちの行く先を決める、大きな出来事になる……」
「では…… 今日はどうしてここへ?」
「君のお父様に、報告することがあったから来たんだ。婚約についての予定とか、使用人のこととか、色々とね」
「そうなのですか……?」
アルメリアはどこか不服そうであった。その原因について、バーラントは心当たりがあったから、答えた。
「時間が時間だったし、何より会ってしまうと、帰るのが億劫になってしまうから…… あと、侍女のエリカさんに、僕の正体がバーラントだって伝えたら、色々と話すことが多くなるだろうし」
その通りだったから、アルメリアがクスリと笑った。
「――ここに泊まることはできないのですね」
「ああ、ごめん」
沈黙が流れた。
「最初の手紙にも書いたように、全てが終わったら話す」察したバーラントが言った。「それは絶対に約束する。何があっても、それだけは守る」
アンジェリカが、バーラントをジッと眺めた。
彼は、彼女の視線を真っ直ぐ受け止めている。
お互いがお互いを確かめ合うように、視線を合わせていた。
そこへ、
「アルメリア……!」
と、エリカの声が割り込んだ。