14~15 月夜の森でお喋りを
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二日目の晩餐会が終わった後、エリカはアルメリアと共に、満月に照らされる雑木林を訪れた。
二人とも、動きやすいズボン姿になっている。そして、アルメリアは髪をうなじ辺りと毛先の辺り、二箇所を紐で結ってあった。エリカはいつも通りである。
適当な広葉樹の幹の陰に来ると、屈んだエリカがアルメリアの手を下に引っ張った。それで、彼女も姿勢を低くする。
(いい?)
と、エリカが小声で言った。
(ここから動かないようにね?)
(大丈夫なのですか……?)
怯えた目でアルメリアが言った。
(こんなこと、もし見つかってしまったら……)
(ワケの分からない男と婚約させられるより、好きな人と婚約したいでしょ?)
(そうは言っても、相手が本当に使用人かどうか分からないのでしょう?)
(だからこそ、ここで尻尾を捕まえるの。それが一番、確実だから……)
――情報不足。
アルメリアを安心させるに足る情報が、エリカには無かった。だから彼女は、身を案じているのである。
将を射んと欲しても、先ず馬を射ようと思っても、将や馬の情報が無いのだから、狙いを付けて弓を引くことは叶わない。つまり、五里霧中の中にある的を、勘で射貫くことになる。
無論、この事態を避けようと、エリカはラインツと別れた後、アルメリアに事情を話してから、敵情視察をしていた。
なるべく様々な職種の人たちから聞き取りをしたり、小さな動植物に変身して立ち話や噂話を見聞きしたのだが、ラインツの情報はおろか、バーラントの目新しい情報さえ一切わからなかった。
可能ならバーラントの部屋へ忍び込み、夜まで待機したいところだが、魔導具の性能的にそれは不可能だった。
実は、魔導具には重大な欠点がある。効果の時間と再使用までの時間だ。
変身時間が3~5分程度で、再使用までに10秒ほどの休憩が必要なのである。しかもこれは、変身させる人数が多いほど、再使用までの時間が長くなる。だから、長いあいだ潜んでいられない。
結局、魔導具があればすぐに情報を集められると思っていた当初の算段は、見事に崩れてしまった。
(――じきに来ると思う。ここで聞き耳たててね?)
アルメリアは不安そうな顔を崩さなかったが、エリカは大事を取って、さっさと離れていった。
落ち葉や砂利、小枝を踏む音が響く。
まるで自分の足音を確かめるように踏みしめている気分だ。
今は木漏れ日にあふれる雑木林も、暖かさも、小鳥のさえずりも無い。薄暗くて青白く、静かで寒々しい光景となっていた。
開けた場所でしばらく待っていると、
「――ラインツ様?」
と、足音がした方向へ振り返る。
ぼんやりと、人の形が黒く見えている。
さすがのエリカも怖かった。身がすくんでいた。
「敷地の中とは言え、こんなところに一人で来るなんて…… 単なる勝ち気な女性では無さそうだな」
――明らかに声音が違った。
エリカの知るラインツの声はもう少し明るい。この人の声はもっと低く、重い。
「誰です?」
「バーラントだ」
エリカの目が見開く。
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「すまないが、ここから話をさせてもらう」
バーラントと名乗る男が、低い声音で言った。
「なぜです?」とエリカ。
「君のことをよく知らないからだ」
「私も同じです」
「本当なら、ここに来るつもりなど無かった。しかし、私について色々と知りたがっている女性がいる、と聞かされたんだ。それでここに来た」
暗闇に紛れているせいで、男の顔が見えない。かと言って、近付くと逃げられてしまうかもしれない。
エリカは仕方なく、
「なぜ、晩餐会にご出席なさらないのですか?」
と尋ねた。
「そんなことか……」溜息まじりにバーラントが言った。「忙しいからだ」
「あなたの婚約者となる方が、わざわざいらっしゃっているのですよ? 一目、会おうとは思わないのですか?」
「訊きたいのはそこだ」
彼はクロスカウンターを決めるように、エリカの質問をかわしつつ、新しい質問で返した。
「君はアルメリア王女の侍女らしいな?」
「そうです」
「ここには一人で?」
「そういう約束でしたので」
「――本当か?」
「お疑いになるのですか?」
「君のような女性が、一人で会いに来るとは思えない」
「見くびらないで頂きたいですわね……」
「別に見くびってはいない。心配しているんだ」
「心配……?」と、エリカが少し困惑して言った。「どういう心配ですの?」
「どうせ、王女をひそませて、私との会話を聞かせているのだろう?」
――こいつ、鋭い。
「図星か?」
「王女を連れてくるなどという不敬なこと、侍女である私には許されません」
「――まぁいい」と切ってから、「王女は、婚約についてどう思っておられる?」
「どう……?」
「何も聞かされていない、などと言うことは無いだろう? 君の忠誠心は立派なものだ。そうでなければ、一人でこんなところに来ないからな」
「あら、見ての通り物好きな性格ですのよ?」
静まり返った。
相手は動く気配が無い。
エリカはどうしたものかと考え、思考を巡らせる。
「何も言っていないのか? 王女は」
「いえ……」観念したエリカが答えた。「随分と気を揉んでいらっしゃいます」
「ほう…… なぜだ?」
「急に決められたご婚約な上、相手の殿方が一切、姿を見せないからです」
「それについては謝罪する」
「今からでも会っては頂けませんか? 私と話すより、アルメリア様とじかにお話された方が、よほど紳士的で誠実です」
「今は駄目なんだ」
「何か事情でもあるのですか?」
「無ければ、すぐにでもアルメリア王女と話していた」
「まさかとは思いますが、バーラント様はナザール家の養子で、ここに住んでおられないのでは?」
「養子ではなく実子、次男坊だ」
「では、なおさらに妙なことです」
相手からの返答は無かった。だから、続けた。
「誠に勝手ながら、バーラント様について色々と調べさせていただきました。すると、面白いことが分かりまして……」
「ほう…… なんだ?」
「あなたの話題がほとんど無いのです。あるのはアルメリア様や私に関するものだけ…… 妙だとはお思いになりませんか?」
「半分だけ合っている」と、バーラントが言った。少し笑いが混ざっていた。
「単純に、私がこの屋敷に住んでいないだけだ」
「なぜです?」
「政治機能を担う場所は、首都の中央にある。ここからだと交通の便が悪い」
「それで別邸にいらっしゃると?」
「他の宿泊施設にいることも多いがね」
「では、どうして本邸の給仕や女中、使用人たちも全部、別邸と入れ替わっているのですか?」
月の位置が変わったのか、雲が晴れたお陰が分からないものの、彼の開いていた口が、ゆっくり閉じたのが分かった。それくらい、視界が明るくなっていた。他はまだ暗いままだったが……
「全員が別邸の方々か、新しくお雇いになった方々なら、ここの勝手が分からないのも無理ありませんもの。それに、バーラント様のことも良く分からなくて当然ですわ。
別邸の方々は政治活動をしているバーランド様しか知らない…… 長く仕えていても、せいぜい3年がいいところでしょう。
本邸なら少なくとも、執事のゼバス様が20年以上つとめていらっしゃるようで…… 他にも、長期勤務の方がいらっしゃることでしょう」
バーラントからの返事が無かった。
エリカはほくそ笑んで、
「なぜ、そのようなことをされているのです? 私たちに会うとマズいことでもあるのですか? まさか、邪なお考えでもおありなのかしら?」
「一つだけ、ハッキリと言えることがある」
エリカは眉をひそめた。
「君たちが帰国するまでのあいだ、私は君たちに姿を見せることは無い」
「やはり、後ろめたい何かがおありなのですね?」
「君たちにどう思われても構わない。――ただ、この埋め合わせはするつもりだ」
そう言って、彼は背中を向けると走り出した。
「あっ、ちょっと待って!」
エリカが追いかける。
しかし、彼の足は想像以上に速く、雑木林を抜けた頃には、すっかり見失っていた。
「全く……! なんて逃げ足なの……!!」
元・運動部だったエリカの目から見ても、男の足の速さは尋常では無かった。
「貴族って軟弱なのかと思ってたけど…… 違うのかしら……」
両膝に付いていた手を離し、上体を持ち上げる。息を整えるために、大きく呼吸したときだった。
「あの」
「ヒャイッ?!」
不意打ちとはこのこと。
爪先立ったエリカが、パッと振り返ると、そこにはエリカと同じように驚き固まっているアルメリアがいた。
「も…… もう!」と、安心した途端に怒りが湧いた。「ビックリさせないでよアルメリア!」
「ご、ごめんさい……! でも、一人にされそうで、怖くて……!」
あっ、とエリカは思った。思ってすぐ、
「逃げられたから、つい追いかけちゃった……」
と、泣きそうなアルメリアをなだめた。
「……――なのか?」
建物の向こう側から、人の声がしてきた。
(逃げるわよ!)
(は、はい!)
エリカが魔導具の腕輪を輝かせると、二人の姿が鳥となった。
羽ばたいた二羽は、そのまま自室があるルーフバルコニーへ飛びあがる。
そのあとすぐ、建物の角から警備兵が二人、姿を現したのだった。