12~13 謎の男は誰だ
12
窓にある薄手のカーテンで和らいだ、淡い光の刺激で、エリカの目蓋がゆっくりと開いた。
向こうのベッドには、アルメリアが眠っている。自分のところよりもふかふかで、眠り心地が良さそうだ。
伸びをしたエリカは、上着を羽織ってから、ルーフバルコニーへの両開き掃出し窓をあけた。
「――相変わらずね」
まだ起きないアルメリアを見てつぶやいた後、何気なくルーフバルコニー側の足下に目が向いた。
外履きが置いてある。
だから、外へ出てみようと思った。
夜と違って日が昇ると随分、暖かい。秋だけど春の陽気とも言える。
場所が高台にあるから、遠景に望む町並みが、うっすら朝靄に覆われて、屋根だけがハッキリと浮かび上がって見える。その下の方は朝日の輝きを受けて、朝靄がキラキラと輝いていた。
ルーフバルコニーの端まで来て、両手をそこへ置いて、しばらく町並みを眺めることにした。
「――お客人」
唐突に低い声がした。
「こっちだよ、こっち」
下からだった。
無論、町並みの方向ではなく、ルーフバルコニーの下の方である。
「観光は嬉しいけど、着替えてからにしてほしいかな」
エリカが上着の前立て部分をつかんで、胸元へ引き寄せた。
男性が歩き出したから、
「あっ、待ってください!」
と呼び止める。
「あの、ちょっと聞きたいことが…… 少しお時間、頂けませんか?」
「うーん」と言いつつ、ポケットから懐中時計を出した。「また今度ってわけにはいきませんか?」
「ひょっとして…… バーラント様?」
「えっ?」
男性が驚きの声を出してから、動かずにエリカを見つめた。
「そう見えます?」
やっと返事が来たから、
「えっと、なんとなく……」
と返す。
彼は笑った。
「なんとなくですか」
「と、とにかくちょっと待っていてください! 聞きたいことがありますから!」
エリカはすぐに自室へ戻った。
アルメリアがやっと起きつつあったけれど、
「ごめん、アルメリア! すぐ戻るから!」
と言って、ドタバタと普段着に着替え、いつものポニーテールを結いながら部屋を出ていく。
後に残されたアルメリアは、寝ぼけ眼のまま両扉を見つめていた。
13
外に出てきたエリカは服の形を整えながら、男性の姿を捜した。
「こっちだよ」
振り返った先にある雑木林の中から、男性が現れた。
彼はエリカよりも少し年上らしく、おそらく二十代中盤くらいである。
「そこだと人目に付くし、こっちでお喋りでもどうです?」
エリカは目を少しだけ細め、「ええ、光栄です」と答えた。
雑木林は敷地内にある。二人以外に人影は無い。
木漏れ日が徐々に濃くなっていく中を、二人は並んで散策した。
「いい天気だ」
男性が上向きに言った。
「まさかとは思うけど、アル・ファームの王女様?」
「そのまさかだとしたら、どう思われます?」
男性がピタリと立ち止まる。
遅れてエリカも立ち止まる。
「想像していた方と、だいぶ違うなぁ~…… と」
「それはいったい……?」
「噂では、流れるような漆黒の長髪に、美しい碧色の瞳を持つ女性…… と伺っておりましたのでね」
エリカが黙り込んだ。
「ひょっとして、お付きの侍女さんでは?」
振り返った男性が、不適な笑みを浮かべながら言った。エリカはそれが気に入らず、ムッとしたままである。
「あの建物にアルメリア様が宿泊なさっておられるようですから、侍女の方で間違いは無いかと…… まさか人違いとか?」
「いえ」エリカが観念した。「侍女のエリカです。以後、お見知りおきを」
そう言ってスカートをつまみ、深々とお辞儀した。
「良かった良かった。人違いだと色々、恐ろしい事態ですからね」
「随分と含みのある言い方ですね?」
「まさか…… あなただってこの懐中時計を見て、僕をバーラント様だと思ったのでしょう?」
「バルコニーからお伝えしたように、なんとなくですわ」
「女性の勘、というヤツですか?」
「たまたま発揮したのでしょう」
「――なんだか他人行儀のやり取りはムズかゆい」
男性は頬をかきながら言った。
「普通に喋っても?」
「お好きにして下さい、私は気にしませんので」
男性は軽い咳払いをしてから、
「バルコニーでやり取りしたときのあなたが、本来のあなたに近いような気がするんだけど」
「あなた様の言うように、はしたない姿を見られて気が動転していたのです。重ね重ねのご無礼、お許し下さいませ」
「いや、なんと言うか…… 実は目に入ったから近付いたんですよ」
エリカは下に向けていた目線を上向け、首をかしげて見せた。
「単刀直入に訊きたい。アルメリア様は、バーラント様のことをどう思っているんです?」
「それは……」と言って、エリカが一瞬だけ黙った。「――アルメリア様ご本人に訊いてみては?」
「やめてくださいよ」と苦笑う男性。「僕とアルメリア様じゃあ、身分が違い過ぎるでしょう?」
「それを気にして、なぜバーラント様とアルメリア様のご婚約は気にするのです? 野次馬根性は紳士のおこないとは思えませんが?」
「バーラント様にお伝えできたらなと」
「つまり、あなた様は私と同じような立場にいらっしゃるわけですね?」
今度は、エリカが盛り返すように言った。その眼光は獲物を見る鷹のようであった。
「まぁ…… そういうことになりますね」
「バーラント様の使用人ですか?」
「どうかな」と男性が笑って言った。「ちょっと特殊な位置にいると思います。まぁ、使用人でも間違いでは無いかと」
「せっかくです、お近づきの印にお名前をお聞かせ下さい。――私、実はここへ来て少々心細かったもので。同じ立場のお友達がいると、心強いですわ」
「そうですね……」男が言葉を切った。「僕はラインツと言います」
「ラインツ様、今後とも宜しくお願い致しますね」
「こちらこそ」と言ってすぐ、「あっ、そろそろ僕はこれで」と続けた。
「お待ちを。――今日のお昼、お時間ありますか?」
「いやぁ…… 忙しくてね」
「では、お昼過ぎは?」
「出掛ける用事がね」
「夕方は?」
「今日、帰ってこられるかどうか……」
「まるでバーラント様のように多忙ですのね?」
「よくない忙しさですよ、これは」
不意にエリカがニヤリと笑い、
「夜、ここで会うのでも構いませんよ?」
と言った。
「私、あなたに少々興味が出てきました」
その挑発的な表情に、さすがの彼も反応したらしく、
「じゃあ、頑張って夜に会えるようにしますかね」
と言って、エリカを見やった。
「では、十時頃はどうでしょ? 私はこの場所におりますから、また呼び掛けてくださいな。多少の遅刻は大丈夫ですから、ちゃんと来てくださいね?」
「遅刻はしませんよ」と言って、懐中時計を出した。「誕生日に頂いた、この時計がありますから。――綺麗でしょ?」
わざとらしく見せるラインツ。
それを見つめるエリカ。
「ええ、素敵な懐中時計ですこと……」
「楽しみにしていますよ、エリカさん」
「ええ、私も楽しみです」
二人はなぜだか、戦いの火花らしきモノを散らしていた。