10~11 仕掛けてあげる
10
交渉はうまくいった。
エリカの弁がいつも以上に立って、魔導具『生者変幻』を携え、かの魔王ならぬ貴族が住まう地へと赴くことになった。
ベリンガールの首都ベネノアは、アル・ファームの首都リボンよりも規模が大きく、町並みも近代化されていると言えた。近代的と言っても、エリカの知っている近代とはかけ離れてはいるが……
そんなベネノアの北部にある、小高い丘の上には、貴族街と呼ばれる場所があって、ベリンガールの貴族のほぼ全てが、本家をこの一帯に置いていた。
もちろんナザール家の住処も貴族街にあって、その大きさと歴史は貴族たちの中でも五指に入る、正真正銘の由緒ある家柄であった。
それから、僭主制の頃は弾圧と戦ってきた。そのため一部の親族は、安全のため国外へ避難していたが、秋革命の後は戻ってきたという経緯もある。だから、海外の情報にも強い。
エリカたちを乗せた馬車が正門をくぐり、敷地内にある建物の一つに止まる。――迎賓館だろうか。
馬車の扉が開いた男性が、
「長旅、お疲れ様でした。アルメリア王女」
と言った。
「いえ、突然の申し出にも関わらずご了承して下さり、感謝致します」
「私、執事のゼバスです。以後、お見知りおき下さいませ」
と、頭を下げて恭しく言った。
「荷物は私共が運ばせていただきますので、先にお部屋へご案内をさせていただきます」
「いえ、荷物は私たちが。ご覧の通り大所帯ではありませんから。――エリカさん」
「はい」と言って、エリカは旅行鞄、二つを持ってエリカの後ろに付いた。
「ゼバス様、ご案内のほど宜しくお願い致しますわ」
アルメリアが笑顔でこう言った。
ゼバスは二人を先導するように歩き、屋敷に入る。エントランスホールの中央階段をのぼって、右に折れた突き当たりにある両扉をあけた。
「エリカ様のベッドはあちらに用意致しましたが、何ぶん、移動できる物があのタイプだけでして…… もしお気に召さないのであれば、すぐにでも母屋へ移動できますので、いつでもお申し付け下さい」
「ありがとうございます、ゼバス様。とても良い建物とお部屋で、満足しております。――ねぇ? エリカさん」
「はい」
「恐れ入ります。――ご夕食のときは、お手数ですが母屋にてご提供させていただきますので、何卒ご了承くださいませ」
そう言ってから一礼したゼバスが、部屋を出ていった。
「荷物、一旦ここに置いておくわね?」
「あ、はい。ありがとうございます」
化粧台の近くへ旅行鞄を下ろしたエリカが、部屋を見渡しながら、
「これで客室なんて、豪勢ね」
「客室というのは、主人の部屋よりも美しくなっているものです」
「それもそうね」と、腰に手をやって言った。
「あの、エリカさん……」
「分かってる」と言い、アルメリアの方を向いた。「さっそく調べていきましょうか」
エリカは左腕に付けているブレスレットを見やって、意識を集中させる。と、彼女の姿が小猫になった。
「あの、本当に大丈夫なのでしょうか?」
エリカは「ニャ~ン」と、文字通りの猫声で答えた。
「夕方までにはお帰り下さい…… それと、どうかお気を付けて……」
そう言うと、愛しの勇者様を見送る姫様のように、アルメリアは片方の扉だけをそっとあけ、エリカ猫を部屋から出した。
11
窓から、月の薄明かりが差し込んでいた。
母屋から自室へと戻ってきたエリカとアルメリアは、疲れた顔で手燭の蝋燭の火を、燭台の方へと移し、最後にオイルランプを灯した。
それから、各々が座りたい場所に座った。
エリカは自分の簡素なベッドの際に座っていて、椅子に腰掛けたアルメリアを見ながら、
「ほんと、疲れるね……」と言った。
「仕方ありませんよ」とアルメリア。「お互い、立場が立場ですから」
「そうは言っても、給仕や使用人たちがあんなに役割分担した動きするとか、嫌じゃない?」
「ここでは、ああいうお作法が普通なのかもしれませんよ?」
「あんな作法、煩わしいだけよ……」
「まぁまぁ」と制するアルメリア。
「しかも、どこで仕入れたのかしらないけど……! どうしてあたしが、南の発掘現場へ行くってことになってるのよ! 行けたらってしか言ってないのに……!」
「ベリンガール大学の方々へ、儀典官が言ったのかもしれません。少し前に遺物が見つかったと話題になりましたから」
「それにしたって、魔導具バカもほどほどにしてほしい……!」
エリカが不満をため込むように言ってから、
「あと、それから!」と、急に語気を強めた。どうやら爆発したらしい。
「当の婚約者が晩餐に不在だったなんて、考えられない!」
「随分とお忙しい方のようですし…… 仕方ないのかもしれません」
「去年から政治に参加してるって、言ってたわね」
「平穏になってきたとはいえ、まだまだ課題はありますから。それに対応していらっしゃると言うのなら、とても立派なことです」
「だけど、貴族の政治参加って認められてないんじゃなかったっけ? 違った?」
「その当家の宗主と継ぐ者、その妻子は認められていないのであって、本家の後継権利を放棄し、分家へと変わった場合は参加資格があるそうです」
「分家の人と結婚させられるって、どうなのかしらね? それって実質、貴族じゃない一般人ってことでしょ?」
「直系のご子息様であることに代わりありませんから、一般的とも言えないかと…… ただ、私としては一般の方というなら、重荷にならない分だけ気が楽です」
「そんなものかなぁ~…… こっちは王族の長女なのに……」
「――あの、それで」とアルメリアが言った。「どうでしたか?」
「ああ、えっと……」エリカが前屈みになり、人差し指を立てた。「思った通り、家中のみんな、あなたとお相手のバーラントさん…… だっけ?」
アルメリアが頷くから、エリカが続けた。
「二人の話題で持ちきりだったわね。――あなた、結構人気みたいよ?」
「そ、そういうのはいいので……」
「まぁ、それでね。あんまり長いあいだ変身はできないから、使用人が集まってそうなところに行ってみたり、会話を聞いてみたりしたんだけど……」
「だけど……?」
「ちょっと妙な感じだった」
「妙、ですか?」
「あなたの話題は結構きくんだけどね、バーラントさんの話題があんまり無いの」
アルメリアが首を傾けた。
「要するに、客人のあたしたちの話題で持ちきりって状態みたい。それはそれで自然ではあるんだけど、なんか、引っ掛かるというか……」
「エリカさんの勘は当たりますものね」
「あなたほどじゃないけど……」
「えっ?」
「な、なんでもない。――それで、アルメリアの好きな人のことなんだけど」
「どう、でしたか?」
「例の話に該当しそうな男性、今もいるのか分からないわね」
「やっぱり、そうですか……」
あからさまに背を丸め、しゅんとするから、エリカは慌てて、
「しょ、初日なんてこんなものだと思うし、あの話って五、六年くらい前なんでしょ?」
「八年です……」
「同じようなもの! 誤差よ誤差! ――まぁほら、帰るまでに居場所くらいは特定しましょう? 絶対にこの街にいるわ、間違いない。あたしの勘がそう囁くの」
「はい……」
立ちあがったエリカが、アルメリアの前まで行って、右手を差し出した。
「ほら、元気を出して。お風呂…… じゃなくて、湯浴みでもしてサッパリしましょう」
エリカを見上げていたアルメリアが微笑んで、その手を取った。
ランプの明かりで二人の影は大きくなって、重なって、揺らめいていた。