7~9 おとぎ話は現実に
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エリカの容疑が晴れたと言うことは、同時に、半日ほど投獄されていたという冤罪の事実が判明した、ということでもある。
これについての謝罪はもちろん受けたが、エリカとしてはそれ以上に、衣食住の目処が立ったことが嬉しかった。
つまり、アルメリアの侍女として正式に採用されたのだ。
それからは落ち着いた日常が、二年ほど続いた。
アルメリアからはこの世界の常識や王国の歴史、作法などを教わり、魔導具は大臣――正確には儀典官と研究者の要望で、研究目的と称して定期的に使用しているうちに扱い方を習得した。
儀典官や研究者たちは特に、エリカの世界に興味があるようで、魔導具の存在について尋ねたり、エリカの世界にある車や飛行機などの動力付き機械装置に強い関心を示していた。
興味深かったのは、隣国のベリンガール南部に遺跡があり、そこの発掘で大型の乗り物らしき遺物と魔導具が発見されたという話だ。
エリカが歴史などに多少なりとも興味があると知って嬉しかったのか、発掘現場で監督を務めているという儀典官が、一段落したら、ぜひ来てほしいと言った。
だからエリカは、それとなく流しながら、了承とも拒否とも取れるよな言い方で流しておいた。
侍女としての振るまいや仕事が板についてきた、ある日のこと。
血相を変えたアルメリアがエリカの部屋にやって来て、
「た、大変です……!」
と言った。
「どうしたの? また虫でも入った?」
「ち、違います!」
「じゃあ、何があったの?」
エリカが眉をひそめて言った。
彼女がアルメリアと二人きりのとき、口調を素のままにしているのは、そうするようにとアルメリアから頼まれているからだ。
しかし、実際のところは自分が年上なのと、敬う言葉ばかりだと疲れるから、と言う理由がもっとも大きかった。エリカにとってもありがたい処置である。
「私、このままだとナザール家の方と結婚させられてしまいますッ!」
「あら、おめでとう」
「簡単に終わらせないでください!」
アルメリアは必死に訴えた。その素直さがまたイジらしいから、つい意地悪したくなる……
「ゴメンなさい」と笑顔のエリカ。アルメリアは恨めしそうである。
「それで? どういう経緯で婚約って話になったの?」
アルメリアが言うに、最近のベリンガールとアル・ファームの関係は芳しくないようで、その発端と言える『秋革命』にまつわる話の後、両国の『和平の象徴』として、ベリンガールの貴族との結婚が持ち掛けられているという。
この辺りに関しては、どんな政治体系になろうとも王族の不自由なところだなと、エリカは思った。
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「要するに」とエリカ。「その和平の象徴ってことで、政略結婚させられそうだってことね?」
アルメリアが二回、うなずいた。
「まぁ、確かに政略結婚なんて古くさいことされるのは、嫌よね」
「どんな人とも自由に恋愛するなんて、無理なのは承知しています。けれど、だからって勝手にこんなこと……!」
「断れないの?」
「現状、難しいとお父様が……」
「何か弱みでも握られてるのかしら?」
「いえ……」と横目になるアルメリア。「先程もお話したように、秋革命は24年ほど前の話となります。今のところ、ベリンガールの政治機能はうまくいっているようですけれど、不満を持っている人たちも少なからずいます」
そう言って窓の縁に手をやり、話を続けた。
「当時、お父様は内乱の飛び火を危惧し、各国との連合で鎮圧することを提案しました」
「で、実際に飛び火したから議会でそれが了承された…… だったら、それはこの国全体の総意ってことなんじゃないの? 気に病む必要は無いと思うけど?」
「お父様は、そう思っていないようです……」
窓ガラスにうつる彼女の表情が、曇っている。
「だけど」と、エリカが言う。「両国の王侯貴族が結婚しただけで、いざこざが解決するかしら?」
「方便の側面は多分にあります。ですが、内外への強い主張という意味では有効かと……」
「ちなみにだけど…… あのお兄様たちも賛成なの?」
「えっと…… 乱暴な言葉で申し訳ありませんが、どこの馬の骨か分からないヤツよりはマシだと……」
(ん……?)
「――その言い回しだと、知っている人ってことになるわよね? アルメリアは知らないの?」
振り返ったアルメリアが、首を横に振った。続けて、
「私、実はそこまでベリンガールの方々と交流を持っているわけではなくて……」
「直接、会ったことがほとんど無いってこと?」
「ほとんどと言うか、小さい頃、一度だけベリンガールの貴族の方々と交流しただけで――」とまで言って、不意に言葉を切った。
「どうかした?」
「いえ、別に……」
「別にってわけないでしょ?」
「なんと言うか……」
――本当に分かりやすい子だと、エリカは思った。モジモジした仕草に、この乙女の表情である。
ニヤリとして、「ハハ~ン、なるほどね」と言った。
「そのときの人が……」
「な、何を言ってるんです?!」
「別に隠す必要ないじゃない」
「隠すも何もありませんよ!」
「ひょっとすると、婚約者が意中の人だった…… なんてこともあるかもよ?」
「完全に御伽話じゃないですか! 大体、そんなことは絶対……! 絶対に無いんですッ!」
絞り出すように言った。
これは自白に近いが、アルメリアはそんなことを気にしている余裕が無さそうだった。
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さすがに意表を突かれたエリカは、ビックリした顔で、
「えっ? どうして?」と尋ねた。
「だってその人……! ナザール家の使用人なんです……!」
「えっと…… つまり、使用人を好きになったってこと?」
うなずくアルメリア。呆然とするエリカ。
「で、でも、どうやって? 言っちゃなんだけど、使用人とお話する機会なんて無いでしょ? 晩餐会なら特に……」
「その、当時は九つと言うこともあって、なんというか…… あまりにも詰まらなく感じて、つい……」
「あ~……」と、エリカが苦笑った。「そういうことね」
「そ、そういうことなんです」
「月夜に照らされた美しい庭で、二人は出会って恋に落ちたと?」
沈黙が流れる。
「まるで御伽話ね」
「そっちは本当の話なんです!」
「わ、分かったから」
詰め寄ってきたアルメリアをなだめつつ、言った。
「――その使用人、仕えている家柄はナザール家で間違いないのよね?」
「ええ、間違いありません……」
「じゃあ、あたしが確かめてあげる」
「確かめ…… えっ?」
「だから、あたしが確かめる。婚約相手がどんなヤツで、あなたの出会った使用人がどういう人なのか」
「でも、どうやって確かめるのです?」
「婚約の件は、向こうも承知しているわけでしょ? ここは敵陣に乗り込んで、相手の尻尾をつかむのよ」
「えっと……」
アルメリアは小首をかしげていた。
「つまりね」と笑みを浮かべるエリカ。「婚約者のいる家に行って、しばらく滞在するの」
「た、たた…… 滞在?! いきなりですか?!」
「もちろん、婚約できて嬉しいなんてお世辞でも言っちゃダメだからね? それとなく、どんな方なのか気になりまして~、みたいな感じで泳がせておいて。それで、使用人のことを調べましょう。後、ついでに相手のこともね」
「でも、そんなことは……」と、オロオロするアルメリア。
「大丈夫、いい考えがあるから。――例の魔導具を使いましょ」
「だ、駄目ですよ! あの魔導具は代々、我が王家に伝わる宝物の一つで……!」
「あたしがあなたと一緒に付いて行けば、研究も中断することになるし、お守りとして持たせてもらったらいいじゃない」
「そんな簡単に……」
「あのね、アルメリア」
急にエリカが真顔になって言った。
「どんな立場の人間でも、自分の子供を愛しているなら、親としては幸せになってもらいたいものよ。父親である国王陛下だって、人の子…… あなたの安全のために、きっと了承してくださるわ」
アルメリアが視線を下げた。まだ迷っているらしい。
エリカはもう一息だと思い、
「あたしも一緒にお願いしてみるから…… ね?」
と、押すように言った。
彼女がここまで食い下がるのには理由がある。それは当然、アルメリアに対するお節介だけでは無かった。
相手によっては、自分の今の立場が危うくなる。
せっかく衣食住を得られ、それなりに満足できる生活が送れているのに、『未来の旦那様』に問題があったなら、アルメリアはおろか自分の生活も危うい。
どういう経緯で、死んだ自分がこの世界に来られたのか分からないけれど、日本ではロクに人生を謳歌できなかったのだから、二回目の人生は少しでも長く過ごしたいというのが、人情である。
結局はエリカに押し切られる形で、アルメリアは父親との交渉に臨んだのだった。