65~66 勝ちヒロインは助けたい
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空の彼方だけが、ほんのりと明るさを残す程度に、ベネノアの町並は暗くなっていた。チラホラと家に明かりが灯りだしている。
アルメリアは機動隊員に囲まれながら、アル・ファーム国の大使館にやってくる。バーラントはすでに国防省へ向かい、ライールは借りた馬にまたがって、単身、南部のルーツ渓谷へ向かっていた。
アルメリアが門前の衛兵に下がるよう伝え、機動隊員を引き連れたまま大使館の中へと入っていく。
「ここで待っていてください」
アルメリアがエントランスホールの中央まで来て、言った。
「この時間、館にいるのはアル・ファーム国の人間だけですから、大丈夫です。何かあったら叫びますから、そのときはどうか宜しくお願い致します」
言付けのように伝えてから、身を翻して両扉をあけた。
真っ直ぐに長廊下を歩くと、徐々に話声が聞こえてくる。
一人は父のアルバート。もう一人は……
(まさか)
そう呟き、アルバートの書斎の扉へ耳を押し当てる。
――儀典官の声だ。
どうやら彼とアルバートは会話しているらしく、儀典官が食事処に忘れ物をしたから、南部の村へ出掛けたいと申し出ているところだった。
当然、アルメリアには彼の行き先は分かっている。南部の村ではなく、さらに南へ行ったところにあるルーツ渓谷である。
(どうしましょう……)
ここで姿を見せると、何をするか分からない。
かといって、機動隊員たちと鉢合わせると面倒なことが発生しそうでもある。
もし逃げられでもしたら厄介だ。彼はベリンガールの人間ではなく、アル・ファームの…… それも王族に関わる重要な役職にいる人間である。今後の王家の存続にも関わるかもしれない。
なんとかして、彼に怪しまれずにエリカのいる場所へ案内させるには……
(そうだ……!)
アルメリアの直観――というよりも、悪知恵が発動した。
早速、彼女は台所へと向かう。
台所には幸い、誰もいなかったから、刃物類を収めてある棚を漁った。そこから刃渡り10センチほどの、革の鞘付き小型ナイフを入手する。
次に、流し台の側に置いてあった野菜のところへ行く。野菜は束になって保管してあったから、結束に使っている麻の紐を解いて、乱雑にまとめると、すぐに台所から出た。
それから大使館に来たとき、自分が使っている寝室へ小走りで移動し、まずはクローゼットをあけた。
――もう夜だし、よりいっそう肌寒くなるはず。
アルメリアはそう思ったから、外見を変えずに中身を変えるような服装をしようと考えた。
まず、たくさんある衣類の中から、森の散策をするときに着る白いズボンを選ぶ。そのズボンを自分の腰に合わせてぶら下げ、膝の位置を確認してから、机の引き出しにあるハサミを使って切り離す。
長ズボンは膝までの長さしかない、バミューダパンツみたいな形になった。借りた上着と合わせて、これで気分的には寒さが和らぐように思える。
アルメリアはそれを穿いてから、椅子に腰掛けた。腰掛けたらフレアスカートになっている部分をたくしあげて、太ももまで露わにした。
その太ももの付け根辺りへ麻の紐を回して軽く止め、次に内側の太ももへナイフの鞘を差し込んだ。そうして今度は紐をキツく締めあげた。
立ち上がって、化粧台の近くにある全身鏡の前に立ち、自分の姿が自然かを確認する。確認し終えたら即行で机に向かい、今度は手紙を書き始めた。
完成した手紙は二枚。各々を封筒へ入れると、それらを持ってエントランスホールへ戻る。
「お願いがあります」エリカが、胸を弾ませながら言った。「この手紙を、全員でバーラント様のところへ届けてください」
『全員で』という単語に、隊員たちが響めいた。
「この手紙はとても重要な物です。絶対に届けてほしいのです。ベリンガールだけでなく、私たちアル・ファームの命運も掛かっていると言えます。組織の人間たちがどこに潜んでいるか分からない今、皆様のように勇敢な方々しか信頼できません。――どうかお願いします!」
言っていることは間違いでは無いため、言葉の端々に熱が入っていた。しかし、最後辺りの台詞は少々演技が入っていて、それは間違いなくエリカの影響があった。
熱意が伝わったのか演技に同調したのか分からないが、隊長らしき人間が、王女の手紙を預かり、全員で出発すると告げて大使館を後にした。
彼らの背に、アルメリアは深々と一礼をする。そうして、きびすを返すと足早にアルバートの書斎へ向かう。
まだ会話しているようだったから、息を整えたアルメリアが、残りの一通を持って、深呼吸を一つしてから扉をノックした。
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「お父様……」
アルメリアが部屋へ入るなり、言った。
アルバートも儀典官も驚きの表情で彼女を見ている。が、儀典官の後ろに立っていた部下の男も、驚いた顔をしていた。
もちろん、アルメリアは部下の存在なんて知らなかったから、落ち着くために間を作る。
「――アルメリア」
アルバートがようやく言った。
「ご心配を掛けてしまい、申し訳ありません。お父様……」
「そうか、やはり無事だったか……!」
「もちろんです。儚く上品なだけが王家ではありませんもの」
そう言って笑みを浮かべると、父親の傍へ寄って、彼と抱擁を交わす。
アルメリアはにじんだ目を閉じ、父親に顔を埋めて、左右にゆっくり首を振る。
「お父様」と、顔をあげたアルメリア。泣いてはいない。
「この手紙、廊下で使用人から預かったものです。後で必ず、お読み下さい」
「分かった、ありがとう」
「――必ず、後でお読み下さいね?」
アルバートが首をひねる。
「それから、ちょっとお話がありますの」
彼は腕の中にいる娘が、ほくそ笑みながら言うのを、不可思議に見下ろしていた。
娘の方は、父の腕の中から離れて儀典官を見やる。その佇まいは、悪に立ち向かう姫騎士そのものだった。
「アルメリア王女」と笑みをこぼす儀典官。「火災で生死不明とお伺いしておりましたが…… いや、奇跡の生還ですな。きっとバルバラントの聖女様のご加護が効いたのでしょう!」
「あなたにとっては」と切り捨てるアルメリア。「思ってもみなかった奇跡のようですね」
儀典官の眉がぴくりと動く。
彼女は儀典官の前まで歩み寄り、彼の目を貫くような視線で話し始めた。
「あなた、南の村へ向かうと言っていますけど、本当はルーツ渓谷へ行くのでは?」
儀典官は薄ら笑いを浮かべ、「王女、この時間に渓谷へ行っても、調査はできませんぞ?」
「調査ではなく、例の組織と合流するためでしょう? そこで落ち合う約束でもしているのでは?」
「いったい誰と合流するというのです?」
「全てが明るみに出るのは時間の問題です。――すでにあなたの後援会と、城にいる研究員の身柄を拘束するようにと伝えてあります。
それと、あなたの資産も当然、凍結されています。後は、拘束した人々に対し、本国の検察官が『ブリギン・グバク・ザフォル』の一員か否かを聴取し始めるでしょう」
「何を、言って……」
「バーラント様が、あなたの悪事を全て暴き立てております。今頃、国防省で証拠を提出し、一個師団を渓谷方面へ差し向けるはずです。
――組織の主要な構成員は全員、ギースという男性の作った名簿によって、割れています。国外の潜伏者が逮捕されるのも、時間の問題ですわ」
沈黙が流れる。
「もう無駄な抵抗はおやめなさい。今ならまだ、罪は償えます」
「クソッ!」
儀典官が突然、懐から銃を取り出して、アルメリアをつかんで引き寄せた。
アルバートが動く前に、アルメリアのこめかみに銃口が突きつけられる。
「動くなッ!!」
ピンと緊張の空気が張り詰める。
「お前は馬車を玄関へ着けておけ! 早くしろッ!」
部下の男性が、扉をあけて、走って出て行く。
「こんなにも生意気な女になったのは、あの侍女が影響しているんですよ、陛下……! 昔は素直で大人しい、聞き分けのいい娘だったのに!」
「お前がそんなことをしていたとはな……」
「それさえ見抜けないお前が無能なんだよ……! 王にふさわしいのはこの俺なのに……!」
「分かった、分かったから銃を下げるんだ」
「動くなよッ!!」
銃口が、ゴリっとアルメリアのこめかみを強く押し、彼女の首が横に曲がる。
「あんまり舐めた態度を取ると、お前から撃ち殺す……!!」
「お父様!」アルメリアが言った。「私は大丈夫ですから、犯人を刺激しないで!」
「うるさいぞ小娘ッ!」
儀典官の腕で首を絞められ、アルメリアが息を引きつった。
「もう充分に刺激してんだよッ! 探偵気取りにベラベラと喋って、近付いてくるなんてな……! 父親に似て無能なバカ女だぜッ!」
「――準備できましたッ!」
扉から、戻ってきた部下が言った。
「ここなら、裏口へ回る方が早いです! どうぞこちらへ!」
「来いッ!!」
ズルズルと、アルメリアが引きずられていく。
それを追おうとするアルバートに銃を向け、
「お前はそこにいろッ!!」と、銃の引き金に力を込める。
横目で銃を見ていたアルメリアが、もがいて銃身をブレさせた。
「こいつ……! 大人しくしろッ!!」
「お父様ッ! 手紙をッ!!」
「こっちに来いッ!!」
儀典官は部下と共に、アルメリアを連れ出してしまう。
アルバートが扉の方へ駆け寄ると、銃声がして、あけ放っていた扉に弾がめり込んでいた。
廊下から追うことはできないと考えたアルバートが、窓をあけて鎧戸を開き、そこから無理矢理に外へ出た。
裏口のある方へ出たときには、馬車がすでに走り出して、加速していた。
途中まで追うが、どんどん引き離されて、ついには馬車が見えなくなる。
アルバートは両手を膝につき、息を荒げながら、石畳の道を見つめた。
「陛下ッ!」
と叫んで、衛兵が走ってくる。
「ご無事ですか陛下ッ!!」
「私は問題ないッ! それよりも――」と言って、地面に落ちていた手紙が目に付いた。
満月の明かりのお陰で気付けたようなものだが、同時に、アルメリアが念を押していたことも思い出せた。
「陛下?」
「今すぐ屋敷に戻る。それから、娘がさらわれたことを外務官へ知らせるように。――急げ!」
「は、はい!」
衛兵が走って行った。
アルバートは手紙を拾いあげ、屋敷に戻るなり、明かりの側へ行って封筒をあけた。
――内容は、今すぐに儀典官の後援団体と研究者たちの身柄を拘束すること、必ずバーラントが大使館へやって来るから、話を聞くこと。そして、彼に協力して動いてほしいということ、このままでは内乱がまた起こるということが書かれてあった。
「まさか……」と呟くアルバート。
――エリカ共々、後で説教をしなければならない。
彼は、手紙を畳みながら思った。




