64 守れないものばかり
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エリカは手すりの前にある、円形の長椅子に座っていた。椅子の前には円柱のガラスがあって、その中には魔導具があった。
両手には手錠が付いていて、両足を縄でくくられている。足の縄は、手すりの後ろにある鉄製の柱に結びつけられているから、歩くこともままならない。自由に動くのは肩と肘、後は胴体くらいである。
「もうじき、そいつを動かしてもらう。準備はいいかな?」
「あたしの都合なんて考えもしないくせに、よく言うわね」
「ちゃんと人質は解放するぞ?」
「どうかしら……」
「とにかく、君がちゃんとここへ帰ってくるよう、その魔導具をしっかり操作することだ。でなければ、私も君も、連中も死ぬことになる」
エリカは口を閉じたまま、彼を睨んでいた。
「それに」
と、ムハクが続ける。
「君が儀典官殿に伝えてくれた情報…… それが決定打となったんだ。実際に動くのかどうか、君自身も確かめたいだろう?」
「全く興味が無い」
ムハクが嫌味な笑みを浮かべた。
「分割したガス袋を外皮で覆い、それを鋼鉄と縄で形を保つ…… いや、実に素晴らしい発想だ。生物の骨格と皮を見習うというのは、盲点だった」
「あたしも…… こんなものを浮かべて喜ぶ変態だったとは思わなかった」
「彼はそうかもしれない。私は違うがね」
「――そろそろいいんじゃない?」
「何がだね?」
「この飛行船を浮かべて、何をするつもりなの?」
「ほう、飛行船か…… いい名前じゃあないか」
エリカは何も言わなかった。
「我々の目的は、もう知っているだろう? それで充分だ」
「魔導具があるからって、ずっと浮いていられるわけじゃないからね? 燃料だって物資だって有限なのよ? もう、アンタたちに逃げ道はない」
「逃げ道ねぇ……」
そう言ったムハクが、ゆっくりした足取りでエリカの後ろに立った。
足が動かせない彼女は、体を傾けながらねじって、なんとかムハクを視認する。
「君のいた世界は、空を飛ぶ乗り物が普通に存在するそうじゃあないか。実に素晴らしい。鳥になることは、人類が追い求めた夢の一つだからな」
「まっとうな人間が言うなら、その通りだって思えるわね」
「やれやれ、君は分かってない」と言って、ムハクが前のめりになって、エリカの両肩へ手を付いた。
エリカは拒否反応から身を丸め、少しでも離れようとする。が、ムハクが肩を後ろへ引き寄せて、離れさせなかった。
「いいかね? 国を取り戻す、民衆を取り戻す…… そういった事態は、支配者が変わらなければ起こらないことなんだ。我々が秋を取り戻した暁には、そういったことが発生しないよう注意していかなければならない」
「いかにも恐怖政治が好きそうな台詞……」
「全員が納得した形で支配を取り戻すことこそ、国を取り戻し、囚われた秋分を解放することに繋がるんだよ?」
ムハクが、エリカの首筋に顔を近付ける。無論、エリカは気持ち悪くて離れたがっていた。
「そのためには力が必要となる。まず、今の統治体系と支配者が無能であること、無力であることを示してやらなければならない」
エリカは黙ったままだった。
「私たちの世界の人間は、空を見上げることしかできないんだ。だからこそ、王族連中は高いところに住み、バカはわざわざ死ぬ覚悟をして、のぼる必要が無い絶壁の山をのぼる。――我々は?」
ムハクが右手を伸ばし、エリカのアゴ下をつかんで、しゃくりあげさせた。
彼女は強制的に上向きとなって、苦しそうな声をあげる。
「自由に移動できる空の居城があれば…… 跪き、命乞いをする王族とバカ共へ、一方的に石を投げ落とすことができるだろう?」
「時代遅れの原始人に相応しいわね……!」と、横目で睨むエリカ。
「もちろん、石を本当に落とすんならね…… まぁ、それもゲーム性があって面白そうではあるが、もっと効率よく破壊をせねば時間が足らない。たとえば……」
と言って、ムハクがエリカの耳に口を近付けた。
「爆薬を使うとかね……」
――想定していた中で、最悪の事態だった。
ムハクは飛行船を使って、爆撃をするつもりである。
本来なら、遅くて強度も無い飛行船なぞ、全く脅威にもならない。むしろ、対空砲火や戦闘機の的である。
だが、この世界には空へ飛びあがる兵器は無く、その対策となる兵器も一切ない。空は鳥が飛ぶもので、人間が飛ぶものでは無いからだ。
そこへ爆撃する人工物が現れたら、もはや一方的な蹂躙である。ペリーの黒船が来航した瞬間に、砲撃してくるようなものだ。
空へ銃を撃っても、低高度の鳥を落とすのとはワケが違う。飛行船はその気になれば高度二〇〇〇メートルから三〇〇〇メートルまであげられる。魔導具があるからもっとあげることも可能である。
日本などの現代銃器ならまだしも、この世界の銃器では、たとえ空に向けて発砲しても届かないだろう。逆に落ちてくる弾で怪我をするのが目に見えている。
ムハクのことだから、ベリンガールだけでなく、隣国のアル・ファームや他の国々にも攻撃を仕掛ける可能性が高い。
そうなったら、内乱の復活どころではない。世界大戦である。
――どうにかして、止めなければならない。
「この日のために爆薬を集めるのも苦労したよ。そのうち、もっと良い兵器を潤沢に用意できるようにしておかないとね」とムハク。
「君が無事に我々をここへ戻してくれたら、時限爆弾を解除できる。人質も一安心だ。それに、場合によっては君の友達である王女様くらいは、助けてやっても構わんぞ?」
エリカは前を向いたまま、何も言わなかった。
ムハクは右手を引っ込めて、歩き出す。
「また来るから、魔導具を操れるようにしておけ」
そう言い残し、彼は去っていった。
残されたエリカは、目を閉じて、考えを巡らせた。
考えに考えて、目をゆっくりあけた。
彼女の出した結論は、今度こそ異世界ではなくあの世へ…… しかも地獄へ落ちる、というものだった。
つまり、空に飛びあがったら魔導具を止める…… これでムハクたちを道連れにできるはずだ。問題は、閉じ込められている発掘労働者たちを爆死させてしまう点である。時限爆弾を止めるには、生きて渓谷に戻ってこなければならない。それは、いくらなんでもできない相談である。
「私も、こいつらと同じ人殺しか」
独り言を口にした途端、フッと、ライールを思い出してしまう。それで、エリカが寂しそうな笑みを浮かべた。
「今度は大人しく逮捕されなきゃね……」




